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【ホラー小説】呪い殺されない方法【6/10】

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 生まれてから一度も、泣いたことのないわたしが、泣く?
 まして、自分が殺した人間を思い出して、泣く?

 この女は、本気でそんなことを言っているのだろうか?
 それともただ、わたしをからかっているだけなのだろうか?

 ……しかしまあ、こんなことを相談できるのはサダコしかいないわけだし、相談できるたったひとりの相手が与えてくれた唯一のアドバイスが、これだ。

 その日は、ビアホールの払いを持ち、サダコにアドバイス料を払い、そのまま別れた。
 なんだか、パパ活でもしているような気分だ。 

 それから思案に思案を重ねる日々が続いた……。

 どうすれば、泣くことができるのだろうか?
 とりあえず、自分が殺した人間のことを思い出して泣くのは、絶対にムリだ。

 ただでさえ、わたしにはセンチメンタルな感情などない。

 一部の人殺したちは、殺しのたびに被害者の所持品を持ち帰ったり、髪の毛を少し切ってコレクションしていたりすると、ものの本で読んだ(わたしも直接、自分以外の人殺しに会ったことはないので、詳しいことは知らない)。

 実に変態的な趣味だと思う……自分が殺した相手に対する、センチメンタルな気持ちや執着が、彼らをそんな異 常な行動に駆り立てるのだろう。

 わたしは、殺して死体を捨てたら、あとはもうどうでもいい。

 前の殺人を反芻して悦に入ったりしない。
 次の殺人に関していろいろと思いをめぐらせると……なんとも言えずワクワクしてくる。

 性来、わたしはポジティブな性格なのだろう。
 だからこそ、ますます“泣く”ことは難題だ。

 そんなふうに殺人現場で涙を流す方法についてあれこれ方策を考えていたとき、ふと妻が見ていたテレビドラマが目に止まった。

 いわゆる、お涙ちょうだいの、あざといファミリードラマだ。

 親を失った女の子と、その子と暮らす中年男の涙あり笑いありの物語。
 言うまでもないが、わたしはそのドラマのストーリーにはまったく感情移入できなかった。

 しかし、テレビ画面に大映しになっていた、ある有名子役女優の泣き顔がわたしの心を捉えた。

 どういうシチュエーションだったのか、どういう設定だったのかわからなかったが、その子役は、吐き出すように健気なセリフをポツリ、ポツリとつぶやきな がら……

 ほんとうに『泣いて』いた。

 ただ目から涙を流しているのではない。
 鼻水まで垂らしている。

 鼻から目にかけての皮膚が、真っ赤になっている。

 これはすごい。

 演技しているのではなく、本当に『泣いて』るじゃないか。

 テレビを見ている妻は、そんな子役の演技にすっかり魅せられた様子で、しきりにティッシュで鼻をかんでいた。

 わたしが数日前から首に大きな絆 創膏を貼っていることにすら、まったく関心を払わず、気づいている素振りすら見せないような妻が……子役の『泣き』を観て泣いている。

 これは素晴らしい……これは、ウソ泣きのレベルではない。

 わたしにはわかる……
 なぜならこれまでに、それはもうたくさんの、『本気の泣き顔』を見てきたのだから。

 これまでわたしの前で命乞いをした人間のうちの何名かは、実際に死を目前にしても、上手く感情を表現できなかった。

 実際に殺されようとしているのに、 その子役の『泣き』の四分の一も感情表現ができない。

 もちろんその人間がうまく感情を表現したからといって、わたしの心が動くはずはないのだが、そ れにしても近頃は感情を正直に表現できない人間が多くなったような気がする。

 なぜだろう? 

 死を目の前にしているというのに、なぜ精一杯、生命の限り、泣き叫び、命乞いを尽くさないのだろう?

 その現場には殺される本人と、 殺すわたし、この二人しかいないのに。
 それでもある種の人間は、感情のままに命乞いすることに賭けてみようとしない。

 泣き叫び、わめいて、わたしに追いすがってみる……そうすれば、自分の命が助かるかもしれない……というかすかな希望に、賭けてみることもしない。

 ほんとうに、理由がよくわからない……もしかすると、それは照れや羞恥、プライドや体面といった、わたしたち文明人に刷り込まれている性質が、皮肉にも 自分に死を呼び寄せていることの表れなのかもしれない。

 わたしたち現代人のほとんどは、日常生活において、怒りや恐れなどの反射的・自動的な感情を抑え込んでいる。

 そうやってずっと、自分の本性を剥き出しにすることを制限して生きている。

 それを続けていると、いざというとき……表すべき感情が表せなくなり、取るべき行動が取れなくなる。

 泣いて、わめいて、叫んで、自分を殺そうとしている殺人者の同情心を掻き立てよう、などという、実は理性的で合理的な行 動がとれなくなる。

 これは大変、恐ろしいことだ……
 殺人犯に殺されそうになる、というような特殊な例だけではない。

 たとえば、がんを宣告されたときに……悪あがきをして、 少しでも生命を延ばすための努力を放棄して、延命治療を拒否するようなことになるかもしれない。

 あるいは大事故を目の前にしたとき、死にかけている赤の他人……それが子供や老人だったりしたらさらに始末が悪い……を助けるために、軽く、かるーく自分の生命を投げ出して英雄的な行動を取ってしまいかねない。

 あるいは……そこまでして見栄やプライドや体面を自分の生命よりも優先させるということはつまり、多くの人間にとって自分の生命は、そこまで価値のある ものではないのかも知れない。

 わたしには到底、理解しがたいことだ……自分の生命ほど大切なものなど、わたしには考えられない。

 今の人間は、自分の生命を軽んじ、最大限の命乞いもせずにむざむざ殺されておいて、それなのに殺されたら幽霊になって化けて出てくるのだ。

 まったく始末に負えない。

 そんな勝手で不合理な人間が多い状況下で、こんなふうに“職業として”カメラの前で泣いてみせる子役たちが人気を博しているのも理解できる。

 誰もが、自分の感情の発露を、他者に求めている。

 自分の代わりに、感情を露わにして、涙を流し、鼻水を垂らしてくれる人間を欲しがっている。

 それは、こんな子役たちでもいい。
 金メダルを獲ったアスリートでもいい。
 引退する野球選手でもいい。

 苦渋の決断の末、辞任を決断した閣僚でも何でもいい。

 誰かが自分の代わりに泣いているのを見ることが、カタルシスであり、癒やしだ。

 現に、わたしの妻は泣いている……演技としての子役の泣き顔を眺めながら。

 かなり話が脇道に逸れてしまったが……わたしは『泣く方法』に関して少し、活路を見いだせたような気がした。

 サダコに幽霊を退ける方法を聞いたのだから……どうやって泣くのかは、泣き方をよく知っている人間に聞けばいいのだ。

「泣くときはねぇ、悲しいことを思い出しても泣けないのぅ。ムカつくことを思い出すんだよぉ」

 そう教えてくれたのは、まだ高校を出たばかり、という感じの少女で、名前をハルナといった。
 サダコと同じで、本名まで特に知ろうとは思わなかった。

 彼女にたどり着くまでにはそれなりの苦労をした……とりあえず、車で行ける範囲にあるタレント養成スクールをしらみつぶしに探し、その前で車を停めて、 演技クラスのレッスンを終えてゾロゾロと出てくる少年・少女たちを値踏みした。

 その手の学校の授業料はそれなりに高いようなので、車で送り迎えをしている 愛情あふれる裕福な親が多いことにも気づいた。

 おかげでわたしがいくら張り込んでいても、不審がられる心配はなかった。

 しかしまあ、誰もが誰も、親に送り迎えをされているわけではない。
 生徒たち同士数人で、そのまま夜の盛り場に消えていく連中も多かった。

 どこの世界にも、格差というものがあるものだ……それにも気づいた。

 子どもを俳優や、アイドルや、ダンサーにしようと本気で頑張る親たちもいる。
 そういう親たちはそれなり に必死だ。

 子どもたちにもそれなりの服を着させて、精一杯ソフィケイトさせ、金をどんどん注ぎ込む。

 反面、進学の意思もなければ、まして働く意思もない子どもを抱え、『せめてあんた、何かひとつでもやる気になれることがないの? ……夢とか目標とかはな い の?』と問うた結果、とくにガッツも何もなく『テレビに出たい……』と答えた子どもに対して、さしたる期待もできないままに投資を続けている気の毒な親もいる。

 そういう事情でスクールに通っている子どもたちの一部は、どこかうつろで、スクールの後も子どもたち同士でつるみ、フラフラと遊び歩いていた。

 果たして、そんな連中がわたしの求めている『泣くための方法』をきちんと体得しているものなのか……その点は多少、心配だったが……わたしが手を出せる のは、そういうレベルの子たちだ。

 あまり、贅沢は言っていられない。

 とにかく、ハルナにたどり着くまで、かなりのトライ&エラーを繰り返した……あの噛みつき魔の亡霊がまた突然現れ、わたしのふくらはぎを噛み切ってし まうことにびくびくしながら……わたしはタレントの卵たちの跡をつけて、つけて、つけまわした。

 家族がうるさい子たちは、夜遊びには参加しても、終電の時間には仲間たちと別れなければならない。
 ほとんどの場合、全員が終電前に解散してしまい、無駄 足となることが多かった。

 しかし、それでも終電後も一人でふらふらと夜の街を彷徨おうとする子供がいる。わたしは彼、彼女らを求めて夜の街の尾行を続けた。

 一人、また一人……わたしは彼・彼女たちに近づき、声を掛けた。
 ほとんどの場合、子供たちは、わたしの食事の誘いに気安く応じてくれた。

 とはいってもファミリーレストランや、せいぜいは居酒屋レベルだったので、大した出費になることはない。

 そこで楽しく語らい、演技について話を聞く…… 残念なことに、まったく演技に対してやる気も何も持ってない子のほうが多かった。

「ねえ、テレビの子役みたいに泣いてみせてよ」

 わたしはいつも、彼・彼女たちに頼んだ。
 何人かは、面白がってそれに応じてくれた。

 泣いて見せてくれた子の中には……なかなか才能のある子もいた。
 涙を流すだけではなく、あの子役のように鼻水まで流してみせる子もいた。

 家庭の経済事情に加えて、才能の格差というものは、歴然と存在する。

 ひどい奴ときたら、うちの息子が小さかった頃に見せたウソ泣き以下のレベルだった。

 わたしは、泣いて見せてくれた子のうちで……それなりに“資質あり”と見込んだ子たちに、『どうすれば悲しくもないのに泣けるのか』を詳しく聞いてみ た。

 しかしまあ……なかなか参考になる意見には辿りつけなかった。

 曰く、『別れた彼氏の事を思う』だの
 曰く、『学校でいじめられたときのことを思う』だの、
 曰く、『五歳のときに死んだインコのことを思う』だの……。

 てんで参考にならない。

 わたしは一通り子供たちから必要な情報を聞き出すと……
 泣いてくれた子、泣いてくれなかった子にかかわらず、すべて殺した。

 殺されるとわかって……ようやく本気で泣いて見せてくれる子もいた。

 確かにその泣き顔は真に迫っていた……気の毒に。

 こうしてわたしに殺されることがなかったら、この経験を生かして彼・彼女らは迫真の演技をものにしていたかも知れない。

 だか、気の毒だとは思いつつも死んでもらった。

  全員が、ペーパーナイフで脅され、自分でジーンズやチノパンやカーゴパンツ、スカートやショートパンツ、それから下着を脱ぎ、わたしが差し出した紙おむつを履いて、わたしに絞め殺されて死んでいった。

 その間も……ほかの幽霊たちはしょっちゅうわたしの周りに現れ続けた。

 子供たちとファミレスで話しているとき、幽霊たちのうちの誰かが、はるか向こうのボックス席から、じっとわたしたちのことを見ていることがあっ た。

 紙おむつを履いたまま、真っ青な顔をして。

 彼女たちを殺すために山奥へ車を走らせている際も、バックミラーにベンチシートからじっとわたしを見つめる 彼らの姿が映り込むこともある。
 特に死体を放り込む貯水池では、入れ替わり立ち代り別の幽霊が待ち受けていた。

 しかし、貯水池で待っているのは、あの全身真っ黒な噛みつき幽霊ではなかった。
 それを見るたびに、ホッと胸をなでおろす。 

 ……あいつでさえなければいい。

 また、あいつが現れる前に……とっとと『悲しくもないのに泣く方法』を修得しなければ……わたしは幽霊を無視して、重しをつけた子供たちの死体を貯水池 に投げ込んだ。

 死体が真っ黒な水に沈んでいくのを見守りながら、幽霊と、死体と、人殺しのわたしだけが真っ暗闇の中にいる。

 そして……やがて死体だけがいなくなる。


 そうこうするうちに出会ったのが、ハルナだった。

 チェーンの居酒屋のボックス席で、ハルナはわけのわからない甘そうなチューハイを何杯か飲んで上機嫌だった。
 確かに、女優を志しているだけあって、年齢 のわりにハルナには妙な色気があったような気がする。

 彼女は殺すのにも絶好の相手だった。

 ハルナの話によると、地方に暮らす彼女のご両親は、何ごとに対してもまったくやる気を見せない彼女のことをほとんど放置していたようだ。

 “どーっしても、って言うんだったららぁ”

 とでハルナが一方 的に出した

 “一人暮らしをさせること”と“タレント養成スクールに通わせること”

 という条件を飲み、彼女に好き勝手をさせていた。

 彼女の兄は地元の国立大学で、医師を目指して勉強中。
 ご両親の期待は兄に集中していた。

 わたしに殺されるために存在していたような少女だった。

 いやあまったく……親御さんがお気の毒というかなんというか。

 それでも、

「泣いて見せてよ」

 というわたしの求めに、ハルナは快く応じてくれた。

「うん、いいよぅ」

 ハルナがそういった瞬間……ほんとうにその瞬間、ハルナの目から、“どばっ”と 涙が溢れ出した。

 さすがのわたしもたじろぐ。

 鼻水もダラダラ流れた。
 美しいつくりのハルナの顔はどんどんくしゃくしゃになり、まるで真っ赤な般若の面のようになった。

 喉からは“ぐろろろ……”という嗚咽が。

 その間も涙と鼻水がどろどろと流れ続ける……ふるふると震える全身。

“あっ……かはっ……”

 と鼻と喉に詰まる涙と鼻水の混合物のせいで、言葉にならない声。
 素晴らしい……これは完全に、『泣いているフリ』ではない。

 彼女は、本当に『泣いている』のだ。

「す、素晴らしい、すごいよ!」

 わたしは思わず拍手していた。

「ありがとぅ~」

 まだ、充血した目、赤くなった目頭で、ハルナはケロリと笑った。

「……どうやったら……どうやったらそんなに瞬時に、完璧に泣けるの?……」

「カンタンよぅ」ハルナは簡単に教えてくれた。「泣くときはねぇ、悲しいことを思い出しても泣けないのぅ。ムカつくことを思い出すんだよぉ」

「はあ!」思わず、感嘆の声をあげてしまった。「ムカつくのか!」

「そうよぅ……みんなぁ、記憶のなかにぃ、泣けることなんて、そんなにたくさんないでしょぅ……? でも、ムカつくことはたくさんあるしぃ」

「もっと……もっと具体的に教えてくれ!」

 わたしは結構、興奮気味だった。

「なんか、普段の生活じゃぁ、いくらムカつくことがあってもぉ、それは表に出せないでしょうぅ?……世間体とか、人間関係とかあるわけでさぁ……なんで、 なんでこんな自分がこんな理不尽に、なんで自分だけがこんな目に、なんで、自分だけがこんな損ばっかり、って、みんな思うじゃなぃ?」

「思う! 思う!」……実はわたしは“殺し”でガス抜きをしているので、一般的な同年代の男性に比べてストレスは少ないほうかもしれないが。「それを、一 気に思い出すわけ?」

「そう、思い出して、目と目の間あたりに溜めてぇ、一気に目と鼻の穴から吹き出すのぉ」

 素晴らしい……これなら、わたしでもなんとか涙を流すことができそうだ。

「で……君のムカつくこと、って何なの?」

 いちおう聞いてみた。

「……それはぁ」

 
……身の上話がはじまった……長くて、とても退屈な話だった。

 適当に聞き流して、殺した。

 ハルナの本当の命乞いの泣き顔は、数時間前に居酒屋で見せてくれた泣き顔と比べて、ちっとも迫力がなかった。


【7/10】はこちら


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