救世主
今週の木曜日。
朝からのバイトを終え、僕はその後にある舞台に備えて練習するためカラオケに向かった。
バイトの連勤が酷すぎてフラフラである。
やはり太ったおじさんに週7は無理がある。
来月のシフトは色々考えなければ。
とりあえず今からのカラオケ、1時間のうちネタの練習は30分にして、残りを仮眠にあてよう。
そんな事を考えながらカラオケ店に入店した瞬間。
僕は異変を感じた。
レジ周りが人で溢れているのである。
平日の夕方前の光景としてはかなり珍しい。
ここのカラオケは東京に来た当初からよく行く所なのだが、こんな光景はあまり見た事がない。
しかも何というか、、、
全員、殺気に満ち溢れているのだ。
まるで地下格闘技場の控え室の様な空気を醸し出しているのである。
原因はすぐに分かった。
受付の店員のお兄さんが遅すぎるのである。
尋常じゃない遅さ+受付と精算を1人でやっているという最悪のコンボにより、レジ周りがとんでもない状況になっているのである。
いつもはバイトリーダーっぽい女性の方が受付しているのだが、今日はお休みなのだろうか。
清掃に回ってるスタッフのバタバタ具合を見る限り、かなりの人手不足な状態の様である。
その結果、このちょっとチャラめな大学生風の激遅お兄さんが1人受付にまわる事になったのだろう。
僕は迷った。
この状況、いつ受付してもらえるか分からない。
もしかしたらかなり待つ事になるかもしれない。
違う店に行った方がいいのだろうか。
しかし、もう今フラフラである。
また別の店に行くのは正直めんどくさい。
それに現在の状況を考えると、、、
受付待ちはにっしゃんを入れて4人、精算待ちは6人。
こんな感じである。
つまり部屋は空いているのだ。
この激遅お兄さんが波に乗りさえすれば、ポンポンっと順番が回ってくる可能性が高いのである。
よし、待とう。
僕は決めた。
5分後。
僕は先程の決断を後悔していた。
遅すぎるのである。
激遅お兄さんがいくらなんでも遅すぎるのだ。
マジで見た事ないレベルの遅さなのだ。
何かラスボスみたいな言い方になるが、
うぬの動きが止まって見えるわ!ハッハッハー!
なのである。
カフェで午後のひとときを楽しんでいる貴婦人の様な、そんな優雅ささえ感じられる。
そして遅い上に何か動作をするたびにいちいち髪の毛をかきあげるのが余計に相手の怒りを刺激する。
こうしてレジ周りはおよそカラオケ店とは思えないみんなの殺気が充満し、はち切れそうになっていたのである。
ゴングの音さえあれば、全員でバトルロワイヤルを始めそうな勢いである。
ちなみに受付待ちは現在にっしゃんを入れて4人。
そう。
何も変わっていないのだ。
精算に手を取られて、全く受付が進まないのである。
完全に読み違えた。
そう絶望しながら、僕は精算待ちの列をボーっと見ていた。
精算待ちの列は現在7人ほど。
みんなイライラしている。
もしここに魔導師バビディがいたならみんな操られまくっていただろう。
まあ精算は料金にも関係してくるかもしれないので余計にである。
中でも特に殺気立っていたのが、大学生風の大人しそうな女性。
あんまりキレそうなタイプには見えないのだが、非常に激しい怒りを表現していた。
携帯で時間をチラチラ確認し、顔を歪め、足をカタカタと揺らしている。
スタンディング状態での貧乏ゆすりというのはなかなか珍しい。
やけにリズミカルである。
見方によってはマイケルジャクソンが踊っている様にも見える。
そして時折小さく「あ〜もう」と苛立ちの声を洩らす。
もし僕が今、怒ってる人オーディションをしていたならこの子を採用するだろう。
そう思えるほど、彼女からは怒りがほとばしっていた。
そしてその後ろには汗だくのおじさん。
ハーハーと息を切らし、ひたすら汗を拭いている。
その顔には悲壮感が漂っている。
今にも泣き出しそうだ。
そしてさらにその後ろには冷徹な目をした長髪の男性。
冷たい目で受付の激遅お兄さんを見ている。
まるで殺し屋の様だ。
一見落ち着いているように見えるが、この人が一番何かしでかしそうである。
そんな列を見て僕は思った。
何なんこの布陣!?
よりによって変なメンバー並んでもうてるて!
女の子、キレ過ぎやろ!
どんだけ時間ヤバいねん!
何でそんなギリギリまで歌ってもうてたんや!
あと「見方によってはマイケルジャクソンが踊っている様にも見える。」
って何や!
どういう状態や!
あとおじさん、大丈夫か!?
何やその汗は!?
何があったんや!?
で、その後ろの殺し屋!
何で殺し屋がカラオケにいるんや!
いや、別に殺し屋がカラオケしてもいいのはいいんやけども!
そんな事を思っているとウイーンとドアが開き、新たなお客さんが入ってきた。
眼鏡をかけた物静かそうな女性である。
その方はまさか精算以外に受付のグループがいるとは思わなかったのだろうか。
待っている僕達を差し置いて
スッと最前列に陣取った。
呆気にとられる僕達。
静かに佇む女性。
何かレジから出てきた紙を適当に置きすぎて、どれがどれか分からなくなってる激遅お兄さん。
いよいよ現場はカオスの様相を呈してきた。
少ししてついにブチギレお姉さんの精算の番が回ってきた。
「PayPayでッ!!!」
「レシートいらないですッ!!!」
怒りすぎて語尾に全て「ッ!!!」がついているバキ状態に突入している。
まさにブチギレ。
帰る時、歯茎剥き出しの顔で帰っていった。
いや、キレすぎやろ。
次は汗だくおじさん。
ふーふー言いながらか細い声でこう言った。
「、、、1人で」
その瞬間、その場にいる全員が思った。
あんた受付かい!!!
汗だくおじさんは間違えて並んでいたのだ。
今から受付なのに精算の方に並んでいたのだ。
まさに痛恨のミス。
間違えていた事に気付いた汗だくおじさんは「じゃあもういいです、、、」と汗を拭きながら店を後にした。
その光景を見て僕は
「強く生きてくれ、、、」と願った。
と、そんな精算の風景を見ながら僕はある事を思い出した。
それは、、、
受付全く進んでない。
待つ事20分以上。
まだ1人も受付出来ていないのだ。
激遅お兄さんの動きにはさらに磨きがかかっている。
遅すぎてこっちが速くなったのかと錯覚しそうだ。
クイズ番組でたまに見るめちゃくちゃゆっくり絵が動いて何が変わったでしょう?のクイズの様である。
そろそろこっちも限界である。
何とかしてくれ。
誰か来てくれ。
何が変わったでしょう?やなくて
この状況を変えてくれ!
そう切に願っていると、先程最前列に陣取っていたメガネをかけた物静かな女性が口を開いた。
「受付はまだでしょうか??」
すると激遅お兄さんはゆっくりこう言った。
「受付お待ちの方いらっしゃいますんで、少々お待ちください」
それを聞いた瞬間、物静かな女性はバッと後ろを振り向き、僕らの存在に気付いた。
ボーっと亡霊の様に佇む受付待ち4人衆。
それを見て物静かな女性は絶望の表情を浮かべながら言葉にならない声を発した。
「あ、、、あ、、、そんな、、、受付、、、え、、、あ、、、う、、、」
怒りと悲しみの連鎖。
そんな光景を見て僕は思った。
ショック受けすぎやろ!!
あんたまだ来たばっかりやないか!
勝手に順番抜かしただけやろ!
てか、さっきからみんなどんだけ歌いたいねん!
あと激遅お兄さん!
「受付お待ちの方いらっしゃいますんで」ってよう普通に言えたな!
お前どんなメンタルしてんねん!
誰のおかげでお待ちしてる思ってるんや!
はよしてくれ!
もう限界や!
え、てか、殺し屋みたいな冷徹な目した人、精算の列におらんようなってる!
いつの間に!?
精算してたっけ?
どうなってんねんこれ!
わけわからん!
めちゃくちゃや!
助けてくれ!
誰か!
誰かー!!!
と、その瞬間である。
バックヤードから1人の女性が姿を現した。
見覚えのある顔。
そう、彼女は
いつもいるバイトリーダーっぽい女性である。
お休みではなく、休憩に入っていただけなのだ。
まさに救世主。
救世主降臨である。
本当に後光が差している様に見える。
神々しい。
救世主はレジ業務を開始した。
尋常じゃないスピード。
どんどん捌かれていく受付と精算。
今まで遅すぎた分、より速く感じる。
見ていて快感すら感じる。
まさか受付で脳汁を出す事になろうとは。
救世主は止まらない。
それを横でただジーッと見る激遅お兄さん。
いや、お前も何かせえよ。
こうして約3分後。
僕は部屋に入る事が出来ていた。
救世主が現れてから一瞬だった。
やっぱりバイトリーダーは凄い。
そう思えた出来事だった。
そして最後に。
殺し屋みたいな冷徹な目をした人。
彼はいつの間にか僕達、受付の方の集団にいた。
そう。
彼もまた
受付と精算の列を間違えた人だったのだ。