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中央集権による弾圧の繰り返し-チベットのボン教——仏教以前の精霊信仰の生き残り
チベットの宗教といえば、多くの人がチベット仏教(ラマ教)を思い浮かべるが、仏教がこの地に広まる以前から存在していた土着信仰がある。それがボン教(Bon)である。ボン教は、仏教伝来以前のチベットで広く信仰されていた精霊崇拝やシャーマニズムの要素を持つ宗教であり、現在もチベットの一部の地域や信者の間で存続している。仏教がチベットに定着する過程で異端視され、時には迫害を受けながらも、独自の形で生き延びてきたボン教は、チベット文化の中で特異な位置を占めている。
ボン教の起源と特徴
ボン教の起源は明確には分かっていないが、一般的にはチベット高原における最古の宗教体系の一つとされている。ボン教の伝統では、創始者はシェンラプ・ミボ(Shenrab Miwo)とされ、彼はチベットの西方にある伝説的な国「タクジク」からこの教えをもたらしたとされる。シェンラプ・ミボは仏教の釈迦に相当する存在とされ、ボン教の経典には、彼が悪霊と戦いながら人々を導いたという神話が残っている。
ボン教は、精霊崇拝、シャーマニズム、死後の世界への信仰を特徴とする。特に、大地や山、河川、風などの自然の中に宿る霊的存在を崇拝し、それらの精霊を鎮めたり助けを得るために、儀式や供物を捧げる習慣があった。チベットの各地には、特定の山や湖が神聖視され、今でも巡礼の対象となっているが、その多くはボン教の信仰が起源とされる。
また、シャーマン(ボン・ポ)による呪術や占いが重視され、病気の治療や災厄を防ぐために儀式が行われた。特に、悪霊を追い払うための「ルン・ゴル」や「プル・チェン」と呼ばれる儀式は、今日のチベット仏教の護法儀礼にも影響を与えている。
仏教との対立と融合
7世紀、チベットに仏教が伝来すると、ボン教は次第に衰退し、異端視されるようになった。チベットの王ソンツェン・ガンポ(617–650年)がインドや中国から仏教を取り入れたことを皮切りに、8世紀にはパドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)によって密教的な要素を含むチベット仏教が本格的に広まり、ボン教は弾圧を受けることになった。特に、9世紀のラン・ダルマ王(838–842年)の時代には、仏教と対立するボン教徒が権力闘争の中で弾圧されることがあった。
しかし、ボン教は完全には消滅せず、仏教と対立しながらも、時には影響を与え合いながら変容していった。チベット仏教には、もともとボン教が持っていた精霊崇拝の要素が取り込まれ、チベット仏教の儀式の中には、ボン教由来の呪術的な側面が色濃く残るようになった。一方で、ボン教の側も仏教の影響を受け、経典を持つようになり、寺院や僧侶の制度を整備することで、仏教に近い形へと変化した。
このように、ボン教は弾圧を受けながらも、仏教の影響を受け入れることで生き延びてきた。そのため、現代のボン教には、伝統的なシャーマニズム的なボンと、仏教的な要素を取り入れたボンの二つの系統が存在する。
現代におけるボン教の位置づけ
現在、ボン教はチベットやネパール、インドの亡命チベット人コミュニティで信仰されており、チベット仏教の宗派の一つとして認識されることもある。ダライ・ラマ14世もボン教を「チベット文化の重要な一部」として認めており、以前のような異端視や弾圧はなくなっている。
しかし、中国政府のチベット統治の影響で、ボン教もまた厳しい状況に置かれている。文化大革命(1966–1976年)では、チベット仏教の寺院とともにボン教の寺院も破壊され、多くの伝統が失われた。現在では、ボン教を守るための運動が行われており、特にインドの亡命チベット人の間でその復興が進められている。
結論
ボン教は、仏教以前のチベットに根付いていた精霊信仰を基盤とする宗教であり、仏教の伝来によって異端視されながらも、仏教との相互作用を通じて独自の形で存続してきた。その信仰は、自然崇拝やシャーマニズムの要素を色濃く残しながらも、仏教的な体系を取り入れることで、長い歴史の中で変化しながら生き延びた。
現代では、ボン教はチベット仏教の影に隠れながらも、チベット文化の一部として重要な役割を果たしている。その歴史は、宗教が単なる信仰体系ではなく、政治的な力や文化的な変化とともに常に変容し続けるものであることを示している。仏教が広まる以前の精霊崇拝の痕跡を残すボン教は、チベットの伝統と精神性を理解する上で欠かせない存在なのである。