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【2023年12月、小良ヶ浜取材その5 原発事故を記録に残す】

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〜〜〜〜〜

<続き>

 柴犬を連れた男性が走り去ったあと、遠くの海を少し眺めてから、とりあえず来た道を戻り始めた。さっき歩いたよりは少し冷静に周囲を眺める。あちこちに更地と、卒塔婆のような解体番号の書かれた札が立つ。23年11月30日に一部避難指示解除になったが、それに合わせてかなり急ピッチで除染解体を進めたようだ。

解体、除染中。
更地。
帰還困難区域ゲート。
帰還困難区域ゲート脇。震災前の44.5倍。
避難指示解除された道路から20mは除染される。
小良ヶ浜赤坂地区を抜け、阿武隈の山々を見つめる。

 放射線量は海から離れるにつれ徐々に下がり、1.0〜2.0μSv/hだったのが、赤坂地区から県道391号を南下すると0.5〜1.5μSv/h程度まで下がった。といってもこれは、震災前の12〜36倍であることは忘れてはいけない。

 無数の新しいフレコンバッグもあるが、これはおそらく速やかに中間貯蔵施設へと運ばれていくだろう。富岡町は「(1Fと2Fの)廃炉で食っていく」と町長が明らかにしており、そのおかげか東電関係のハコモノは結構充実している。見栄えの悪いフレコンバッグもおそらくあっという間に中間貯蔵施設か長者原の仮置場へと移動され、復興ムードに水を刺さないように配慮されるだろう。

解体番号の書かれた札が卒塔婆のように更地に立つ。
仮置場だった場所の周囲の線量は低い。作業員が被曝しないように徹底的に除染をする。
青空の下、遮蔽用の土嚢から土を取り出し、そのまま盛り土する。
避難指示解除された道路の周囲20mは除染解体、しかしその先は帰還困難区域のため放置。
工場の廃墟。
新夜ノ森へ向けて右折する。

 しばらく進んだのちに右折し、新夜ノ森スクリーニング場方面へ向かう。更地と廃墟を交互に見つつ六国へ向かって歩いていくとパチンコ屋が見えてきた。「niraku」…そういえばこのパチ屋の看板は、2015年5月に初めて六国を縦断したときに見たなあ…

入り口が開いていた。

 併設のラーメン屋を窓越しにカメラにおさめ、出入り口へ向かうと、開いていた。誰かが開けたのだろう。このところ行われている「スタディツアー」では、こうした廃墟の中に入ることもあるようだ。確かに、その方が臨場感は伝わる。これはある意味貴重な原発事故の記録であり、窃盗や荒らすようなことがなければ、中を公開すべきだとも思う。僕もそうした信念の下、廃墟を写真におさめてもいる。

 nirakuをはなれ、六国へ。お好み焼き屋さんとかっぱ寿司の廃墟。ここもいずれは解体されるのだろうと思いつつ撮影。これは原発事故被害の貴重な記録である。「不謹慎厨」なるものが一時期話題になったが、知るものか。僕は信念を持って撮影している。ジャーナリズムがやらないなら、僕が原発事故の被害を記録していくまで。事故からこの時点で12年9ヶ月。ここまで放置されたのは放射能で汚染されたからだ。その事実、実害を、「なかったこと」になど出来るはずがない。

 その後、夜ノ森の町なかをウロウロ歩きながら駅へ向かう。もはや地図はなくても歩けるようになってきた。疲れも出てくるなか、線量を測りながら撮影しながらゆっくり歩く。電車の時間に間に合うように…本当に更地ばかりになってしまった。ただただ虚しい。一体、これが「復興」なのだろうか。疑問ばかりが頭に浮かぶ。

かつての直売所。
結婚式場。
震災前の25倍以上。
野菜作りが始まっている。
解体中。
不動産利用者募集。
桜並木。かつてはバリケードで封鎖されていた。
富岡第二中跡地。
いよいよここも解体だ。
夜ノ森駅。

 このあと、いわきまで普通列車で戻り、コインロッカーから荷物を引き取り、LATOVのおのざきさんでお土産を購入して、特急ひたちにて帰途に就いた。

<終わり>

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