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【2024年2月、双葉、大熊、富岡取材その3 熊野神社】

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<続き>

 熊野神社へ向かう。

熊野神社へ向かう道すがら。門扉は残されたままだが家は解体され跡形もない。
門扉の解体は自腹だ。
あそこにもかつては家があった。
帰還困難区域と特定復興再生拠点区域。安倍政権の頃に小難しい名前の区域が生まれ、看板も2つ並ぶようになった。細野豪志は政治生命をかけて採算度外視で双葉を除染すると言ったが、その約束は反故にされた。
右に見える穴は防空壕。1Fが建つ場所はかつては空港であり、特攻隊の訓練が行われた。そのため空襲を警戒して、双葉町にはあちこちに防空壕がある。
熊野神社入り口。鳥居は倒壊したまま。

 双葉町水沢の帰還困難区域スレスレにある熊野神社は、とても小さな神社だ。特にインフォメーションもなく、一体どれだけの歴史があるのかもわからない。至って平凡な神社だ。ただ帰還困難区域スレスレにあるというだけで初めて訪れたのが2021年2月。その時は双葉南小からGoogleマップを頼りに歩いてきた。熊野神社というより、帰還困難区域との境を見たいという好奇心できたことを覚えている。

 3年前も鳥居は壊れていたものの、あの時は一応2本、柱が立っていた。しかし今回は、1本だけしか立っていなかった。もう1本は倒れている。2022年3月に震度6弱の地震があったから、その時に倒れたのかもしれない。双葉郡は2021年、2022年と大きな地震に見舞われているが、人口も非常に限られており人的被害がほとんどなかったため、ほぼ報道されることはなかった。

境内は除染され、地面はフカフカしている。雨の後は長靴でなければ歩けないだろう。
境内に登る階段の中腹で最も線量が上がる。3年前は1.8μSv/h。

 やはり帰還困難区域とスレスレということもあり、熊野神社は線量が高い。境内は除染され0.8〜1.0μSv/h程度だが、そこに登る階段の途中でググッと線量が上がる。3年前は1.8μSv/hほど。今回も1.6μSv/hまで上がり、ほとんど下がっていなかった。原発事故から10年も過ぎると、半減期の長い放射性物質が中心となり、ほぼ線量は下がらなくなる。双葉でも北側は高線量の場所が多いが、そういった場所は人為的に除染をしなければほとんど下がることはない。しかし行政の腰は重くフォローアップ除染を行なうことは少ない。双葉町の除染の責任者は、原子力災害伝承館館長高村昇氏だが、彼の持論は「子供でも10μSv/hの公園で遊んで大丈夫」というものだ。

 3年前と変わらず、境内が除染のためにフカフカしたままの熊野神社を後にし、双葉中学へ向かうことにした。双葉中学の手前には数軒家が並んでいる場所がある。そこも見てみたいと思っていた。

道路から丸見えの室内。これは原発事故による被害そのものだ。
解体前の家屋と解体された家屋の「墓標」。
こうした庭木の伐採も自腹である。

 3年前と比べて圧倒的に更地ばかりになった前田地区を歩く。ところどころ目に付く更地に立つ解体番号を記した「墓標」を見るたびに、ため息が漏れた。

<続く>


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