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【2024年2月、双葉、大熊、富岡取材その11 六国から富岡へ そしてホットスポット】

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〜〜〜〜〜

<続き>

 熊町地区を過ぎ、大熊から富岡町へ。周囲にはかつて店舗などがあったと思われる更地があり、どこも砂利が敷かれ除染済み。道沿いの線量は概ね1.0μSv/h前後だった。この数値は普通に考えれば震災前の25倍でとんでもないものなのだが、3.6μSv/hなんて場所を歩いてきてしまうと感覚は完全に麻痺してしまう。

このバリケードの先は富岡の小良ヶ浜海岸。
しかしそこは今も帰還困難区域で行くことは出来ない。
富岡町に入る。
更地。
バリケード。この左側の道は今も帰還困難区域だ。
かつてのガソリンスタンドが重機のリース会社の事務所に再利用されている。
ここを右折して県道36号線、小野富岡線を夜ノ森駅方面へ。
老人ホームも養護学校も東洋学園も今はもうない。
「暴排で築こう明るい富岡町」。暴力団より酷いのは東電だった。

 六国から県道36号、小野富岡線に入り夜ノ森駅へ向かう。震災前にあった施設の名前が書かれた標識や広告がそのまま残っていたり、かつての面影を連想させるものはまだいくつも残っている。しかしそれらも、いずれは「なかったこと」にされてしまうのだろう。

夜ノ森駅方面へ、何もない道が続く。

 ここに来るまでの6.5時間で既に積算で5.7μSvに達しており、やはり大熊町は線量が高すぎると痛感した。前日に歩いた双葉町の前田地区と比較すればその差は明白だ。その前田地区でさえ、埼玉ではおおよそ目にしない数値だというのに、それが小さく見えてしまう恐ろしさ。「科学」がどうだのこうだのいう人たちこそ、こういう場所を歩いてほしいと思う。

あれは…?
『SHIGERU MATSUZAKI』。
耕作放棄地に囲まれポツンとした墓地。

 36号線に入ってからは、特に建物もなく、かつては農地だったと思われる場所が続く。川田地区を抜けるこの道は線量が高いと聞いていたが、概ね0.6〜1.0μSv/hほど。どこにも家はなく、放棄された車と少しの重機。インフラの復旧工事が行われているようだが、果たしてどれだけの人がここに帰還するのか。それとも放射能には一切触れず、若者を補助金で釣って将来に禍根を残すのか。

阿武隈の山々が見える。

 動画などを撮りながら水路沿いを歩いていると、大平地区に入ったあたりから、急に胸元の線量計がけたたましく鳴り出した。何事かと手に取って見てみると、2.0μSv/hを超えていた。これはホットスポット?と思いながら歩くと、徐々に数値は上がっていき、「おおだいら橋」のところで6.5μSv/hを超え、ついに6.83μSv/hまで達してしまった。避難指示解除されているというのに、ここはまだ除染されてないのだろうか? この周辺の道数十メートルに渡って、1.5〜7.0μSv/hと非常に高く汚染されている。あまりに酷い数値を前に、一気に心拍数が上がってしまった。

※5月に再訪した際は、ここで8.0μSv/hを超えた。

この辺りに差し掛かったところで
線量計のアラームがけたたましく鳴り響く。
6.52μSv/h。このあと、6.83まで上がった。
おおだいら橋…
気を取り直して山の上へ。この先が夜ノ森だ。

 以前、夜ノ森側から来たときはあまりに鬱蒼としていて歩くことを躊躇った坂道を、あの時とは逆に上り行く。高線量を目の当たりにして心拍数が上がったところに、さらにその急な上り坂はとどめを刺されるかのようだった。山中であるにもかかわらず線量は0.7〜1.2μSv/hほど。しかしどうにもメンタルがやられてしまい、上り坂を上がった先に開店したバームクーヘン屋さんに寄っていく気力は完全に失せた。

坂を登りきって森から出ると、まずは更地が現れる。
廃屋。
この先の右に見える弧を描いた広い建物が、新しく開店したバームクーヘン屋さん。
元は歯医者さんだった。この日は既に心が折れてしまい、そこに寄ってく気力はなかった。

<続く>


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