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【2024年2月、双葉、大熊、富岡取材その9 帰還困難区域の荒野】

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〜〜〜〜〜

<続き>

 三角屋交差点より六国へと入る。今では六国を歩くこともだいぶ慣れてきたが、最初は随分と勇気が要った。今もここを歩くときは必ずマスクをする。帰還困難区域でありながら徒歩でも通れるというのは、それだけ除染をしましたということなのだろうが、そんな簡単に下がるものではないことはこれまでの経験でよくわかっている。それに、福島県内は3.8μSv/h(年間20mSv)以下で避難指示解除だ。世界的に見てもあり得ないほどの高線量でも、子どもでも出入りが自由。そんな国は間違っている。

 六国でマスクをするのは、ダンプなど大きな車が土や埃とともに放射性物質を舞い上げるからだ。それを吸い込んで呼気被曝するのを防ぐため。空を飛ぶ飛行機の中で線量が上がるのとは訳が違う。宇宙から飛んでくる放射線で外部被曝するのと、自分の周りに存在する放射性物質を吸い込んで内部被曝するのとでは根本的に話が違う。国や経産省、復興庁などのいう「正しい知識」とは、外部被曝と内部被曝を混同しており、極めて非科学的だ。しかし悲しいことに、そうした誤った知識を身につけて大人になった若者は多い。そして、そんな若者が今は大熊町に数多く帰還してきている。

中間貯蔵工事情報センター。
「どなたでも見学できます!」
しません。

 「中間貯蔵工事情報センター」なるプロパガンダ施設を横目に、新町の住宅街を六国から写真に納める。今も帰還困難区域で、解体されることもなく佇んでいる。何とかあの住宅街を歩いてみたいが、今はまだだめだ。見れば見るほど当時のままの風景が辛い。これを見て「大熊町は復興してます」と言える人は頭がおかしいのだろう。

誰も住まない住宅街。
遠く離れた大川原地区に数十億かけて役場や宿泊施設などを建て「復興しました!」といったところで、かつてここに住んでいた人たちは何を思うだろう。
六国から目につく場所なので、行政は早く除染、解体して「なかったこと」にしたいはずだ。

 住宅街を抜け周囲を山に囲まれたところに来ると、いきなりグググッと線量が上がる。2.5〜4.0μSv/h。しかも点ではなく面的に高い。冷や汗が出てくる。六国だと中央台交差点が最も高線量だが、ここもこんなに高かったとは。かつて六国を代行バスで走り抜けていた頃を思い出してみると、確かに中央台付近以外にも高線量の場所はあった。あの頃は車内で4〜5μSv/h、風の強い日はそれよりも1.0は上がった。そこから考えると、除染によって半分くらいには下がったのだろう。しかしそれでも、この数値は高すぎる。

3.6μSv/h。中央台ほどではないが、ここは面的に2.0〜4.0μSv/hと高濃度に汚染されている。

 山間の超高線量区間を抜け熊川を渡る熊川橋へ来ると、今度は別の恐怖がやってくる。歩道が細すぎる。大きなダンプが来ようものなら吹き飛ばされかねない。橋を渡る前に前後をよく見て、車が来ないタイミングで足早に橋を渡った。

熊川橋は歩道がほぼなくて、平日は歩けないと思った方がいいかもしれない。
熊川。

 橋を渡り終えると、阿武隈の山が見渡せる開けた場所に出た。季節が季節なので色は完全に黄土色だが、それも美しい。山の稜線も素晴らしい。ただ、胸元にぶら下げた線量計はずっとけたたましく鳴り続けていた。

荒野。しかしここは、代行バスで走っていた頃から、好きな風景だった。

 熊川橋を渡り、阿武隈の山間が見渡せる場所へ。そこから数百メートル、山へ向けてズームレンズで写真を撮影しまくった。計画的に北から南へ撮影すれば、後で合成して大パノラマ写真が作れただろうが、この時は無我夢中でとにかく撮影しまくったので、順番がめちゃくちゃ。まだ整理しきれてない。

暴力団ではなくて、住民全員が原発事故で町から締め出されてしまった。
海側。

 ここは代行バスが走っていた時から何度も見ている場所だった。荒野が広がり遠くに阿武隈の山々が見渡せるこの場所は、僕の中では象徴的な風景だった。初めてここを見た2015年5月より整備されてはいるものの、今も帰還困難区域であることには変わりはない。まさかそこに歩いて来れるなんて、思いもしなかった。

山側。
この送電線は首都圏へとつながっている。
はるか先の山の上にも鉄塔が並ぶ。

 周囲を山に囲まれてるでもなく、海から山まで開けていて、山の風と海の風がぶつかるようなこの場所は、そんな場所であるにもかかわらずとても線量が高い。常時2.0〜3.0μSv/hある。特に超高線量の場所は少ないものの、平均的に高い。人が歩いていい場所ではない。

 2022年10月に六国が歩いてもいい場所になって、ある読売新聞記者が自転車で走り抜け記事にした。どこにも空間線量など書いていなかったし、その記者はマスクもしなかった。道路だけ避難指示解除、道の向こうは帰還困難区域です。誰がどう考えても異常な状況を、線量計も持たずにチャリンコで走り抜け実態を調査するでもなく、何の問題意識も持たずに能天気に記事にしたその男性記者は、記者を辞めた方がいいと思う。

常時2.0〜3.0μSv/hあった。

 時折海側に移動し東の風景も撮影しながら歩いた。歩道は狭い。いつかここで動画も撮りたいが、撮れる場所は限られるだろう。走り抜ける車に注意しながら六国を南下し、飛び地のような特定復興再生拠点区域である熊町地区へ着いた。かつてのバリケード通り。

特定復興再生拠点区域である熊町地区へ。初発神社。

 ここも一応避難指示解除されている。がしかし、ここに来るには六国を抜けて来るしかない。つまり、22年6月30日の避難指示解除後も、六国が自由に歩けるようになる22年10月までは車以外で誰も来ることが出来なかった。

 何のためにここを避難指示解除? ここで誰が暮らすというのか? 毎度毎度、この地域を訪れるたびに疑問と怒りが湧き出てくる。この嘘みたいな現実は、しかしここ福島で本当に起きていることなのだ。

<続く>


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