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2020年3月福島取材②/墓地さえも太陽光パネルに囲まれて


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おなじみ“歩いて行ける帰還困難区域”。

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左に見える駐車場は新しく出来たものだ。様々な工事等に携わるゼネコンが使うもの。平日なので、当然作業員がいる。しかし帰還困難区域ゲートを通り過ぎていく僕を止めることはしない。本来は歩行者は立入禁止なのに、黙認している。パトロールの車もそうだ。

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上の図のように、僕は浪江駅からここまで歩いてきた。この酒井地区は飛び地のような帰還困難区域で、その先の谷津田地区は避難指示が解除されている。約1.4kmほどの県道253号「帰還困難区域」は、最大毎時2.5μSv程度で、福島県内の避難指示解除基準毎時3.8μSvは下回っている。しかし解除はされない。そんな「グレーゾーン」は、他にもたくさんある。

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なんてこった

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ここは18年10月と12月に訪れていて、最初に訪れた時はセイタカアワダチソウに覆われていた。それがすっかり刈り取られたのは知っていたが…1年4ヶ月ぶりに訪れてみて、愕然とした。

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完全に太陽光パネルに覆われてしまった。そしてここで作られた電気は震災前同様、東京へ送られる。今も昔も、「血と涙をこのクダに乗せて」、都会に搾取されるのだ。

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「美しいふるさと」は太陽光パネルへと変わり。

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当然線量は高いが、この程度は慣れてしまった。

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メガソーラーを槍玉に挙げて、原発の方がマシという方向に話を持っていきたい奴がいるが、そもそもこれだけ広大な豊潤な土地を耕作地として使えなくしたのは誰で何が原因なのか、少し頭を使えと思う。

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この変電所?がずっと「キィーーーーーン」という音を出していて、キツかった。

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あまりに広く数の多いパネルに囲まれて、呑み込まれるかのようだった。

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あまりの多さに、だんだん苛立ってきた。

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悲しいことだが、画にはなる。悲劇の現場として。

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ところどころ家があるが、帰還困難区域なので、当然人は住まない。住めない。

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帰還困難区域終了。いつか見た景色。警告看板の先頭が英語。これには絶対裏があるし、そもそも、知ったかぶりしているどこかの大学教授など、英語看板のことさえ知らないのではないか。現場を知らない奴らばかりが大きな声で自己主張する。

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帰還困難区域を抜け、隣の谷津田地区に入っても、メガソーラーの森が減ることはなかった。

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この神社も荒れ放題だ。名もなき神社で、地図にも載っていない。

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鬱蒼とした雰囲気が素晴らしい。

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墓地さえも太陽光パネルに囲まれて、僕はただため息をつくだけだった。

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再訪。何を思うのだろうか。銃弾のモニュメントに囲まれて慰霊される軍曹殿は、放射能で汚染され太陽光パネルに囲まれて、今の日本政府に対して何かいうことはないか。

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なるほど、大和エネルギーさんですか。結局は大手のゼネコンなんですよね。自民党にいくら出してるんでしょうかね、この人たちは。

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空が青いからなお一層切ない。

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山は美しいのだけど。

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太陽光パネルに覆われてしまった場所を過ぎ、高瀬川脇のフレコン置き場へつながる交差点へ。そこには、フレコンの中間貯蔵施設移動に伴い、ダンプに向けて交通整理を行う警備員がいた。

<続く>


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