見出し画像

【2024年10月、双葉大熊富岡取材その4】水沢共同墓地

「有料」とありますが、基本的に全て無料で読めます。今後の取材、制作活動のために、カンパできる方はよろしくお願いします。
〜〜〜〜〜

<続き>


今回歩いたコース。

 前回の「その3」で目迫地区に来るのは初めてと書いたが、よく考えてみたら、双葉駅前で貸し出されているレンタサイクルで来たことが一度あった。ただ、この工場の前はさらっと通り過ぎていて、徒歩でじっくりと見たのは今回が初めてだった。

目迫観音堂

 この工場からR288に向かう途中に「目迫観音堂」がある。2021年にレンタサイクルを使ってそこを訪れたことがあった。目迫長迫地区にあるため、当時は僕は「長迫観音堂」だと思っていたが、正確には「目迫観音堂」というらしい。十一面観世音菩薩を祀った御堂だ。

目迫観音堂。奥に見えるのは、長迫共同墓地を訪れた双葉の人たち。

 久しぶりに見てみようと思ったが、ふと顔を上げると、その先の長迫共同墓地には墓参りに訪れた家族がいた。こんなところを徒歩で歩いているのは僕ぐらいしかおらず、正直、かなりびっくりされ怪しまれると思ったので、僕は逃げるようにその場をそそくさと去った。

2021年10月24日撮影/目迫観音堂。

 …今考えると、あそこで勇気を出して声をかけていれば、もっといろいろ貴重な話が聞けたかもしれないと少し後悔している。その辺の度胸は、ジャーナリストや記者さんと違って、僕にはまだない。

奥に見えるのは長迫共同墓地。

イボ取り地蔵・甘酒地蔵

 目迫観音堂を少し南に行くと、「イボ取り地蔵・甘酒地蔵」と書かれた木柱が立っているのに気付いた。この道を通るのは初めてではないが、ここは完全に見逃していた。早速足を運んでみる。除染した形跡はあるが…0.5〜1.0μSv/hといったところ。この地域の他の場所よりは高めだ。しかしここは氏子の人がしっかり管理しているようで、お地蔵さんはきれいな状態で残っていた。

イボ取り地蔵のある高台から、前田団地跡地(白い壁のあるところ)を眺める。

 貴重な文化財も等しく汚染される。原発事故とはそういうもの。歴史を大事にする保守であるならば、国土や文化財を失う危険性のある原発など反対するのが普通なのだ。

稲作の実証実験

試験栽培中の米。電気柵で囲まれていた。
奥に見える石垣は、かつてその上に家があったことを示す。原発事故により解体され、消えた。
右が前田地区、左が水沢地区(熊野神社)、手前がR288方面(水沢共同墓地)。
水沢地区は一部だけ避難指示解除で、多くは帰還困難区域のまま。

 今年2月に双葉に来た時は、この先の水沢の熊野神社に行ったが、今回はそちらには行かず、水沢の共同墓地へ向かった。そもそも僕は墓地で肝試しとかするタイプではないし、墓地で撮影しても墓標に書かれた姓名にぼかしをかけるのがめんどくさいので行かないのだが、共同墓地は小山の上にあり、そのあたりの線量がどうなっているかに興味があった。

ほ場(農地)整備記念碑。

水沢共同墓地

 墓地へ続く道には「ここまで特定復興再生拠点区域」の看板はあるが、「この先帰還困難区域」の看板はない。墓地については、やはり「墓参りまで許可を取らねば出来ないのか」という反発もあり、自由に出入り出来る場所は増えてきている。

砂利道を少しずつ高台へ登っていく。
線量が上がり始めた。
セイタカアワダチソウ。
高台から前田方面を見渡す。
墓地が見えてきた。

 墓地へ向かって砂利道を進むと、案の定、線量は上がってきた。0.6から0.7、そして1.0…くまなく調べたわけではないが、上に行くほど空間線量は上がり、最も高いところは1.5μSv/hほどはあった。やはりここは帰還困難区域との境目。線量はまだまだ高く、正直、ここに小さな子どもは連れてきてはいけないと思う。

帰還困難区域である水沢方面。
前田団地方面。
小山の斜面に墓が並ぶ。
かつて農地だった場所は帰還困難区域となり原野となった。

 巷では、避難指示解除された場所の汚染は取り除かれているといった「安全デマ」が出回っているが、除染はそんなに簡単なことではないし、真剣にやってるとも思えない。まだまだ双葉郡の汚染は深刻なのだ。

水沢共同墓地を後にする。遠くに見える墓地は自性院前田霊園。

<続く>

ここから先は

0字

¥ 300

サポートしていただけると大変ありがたいです。いただいたサポートは今後の取材活動や制作活動等に使わせていただきます。よろしくお願いします!