2020年3月福島取材㉔/「復興してないわけじゃない。放射能が高くて入れなかっただけ」
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※タイトルは、立入規制緩和直後に、双葉駅を「車に乗って」訪れたカンニング竹山の“ご飯論法”です。
<続き>
まどか保育園を出て、少し周辺を散策する。
常磐線の踏切近くの場所では、新しく橋の建設が進んでいた。「復興シンボル軸」と書かれたのぼりがはためいている。双葉インターと、今回避難指示解除された海沿いのエリアとを繋ぐ橋だという。これは、全く除染が進んでいなかった双葉町内陸部と中間貯蔵施設とを結ぶ役割もあるだろう。悪くいえば「廃棄物処理用の橋」とも言える。
何が「復興」なのだろう。
「復興シンボル」というフレーズに思わず乾いた笑いとため息が出た。
ボロボロの廃墟と家屋が解体された更地との間を抜け、さっき見た長命山正福寺の門付近へ。ここには車が2台放置されている。17年11月に訪れた時から変わってない。いや、あの時より荒れただろうか…
門の前の道は、空間線量は毎時1.13μSv。しかし門の下に立ち、寺の方から吹く風にあたると、一気に毎時2.38μSvまで上がってしまった。
除染していない私有地から放射性物質が飛び、放射線が降り注いでいる。
傾いて今にも崩れそうな家の前を抜け、17年11月には目の前から写真を撮っただけだった100円ショップへ。
あの時は木の板で店の入り口は塞いであったのだが、この日はなぜか開いていた。空き巣が中に入ってそのまま去っていったのか、3/4の立入規制緩和後に何者かが勝手に開けていったのかわからない。この辺りはこれまで帰還困難区域で、破壊目的のバカなヤンキーも安易には訪れなかった。しかし、常磐線全通により立入規制が緩められ、正直不安ではある。尤も、3年前に避難指示解除された富岡も浪江も、震災直後のままの廃墟はたくさん残っているが、ヤンキーに荒らされた気配はほとんどない。ヤンキーさえ、この人のいない浜通りのかつての強制避難区域の雰囲気には、圧倒されると思う。
100円ショップの中は空き巣によるものか動物によるものかわからないがメチャメチャだった。凄まじい数の商品がまだ残っていて店内が埋め尽くされていたので、おそらくは動物によるものだろう。その雰囲気には鬼気迫るものがあり、戦慄した。中に入ろうにも床が見えない状態で、安全靴も履いてないのに入るのは危険なので断念した。
立入規制緩和直後に、電車ではなく「車で」カンニング竹山が双葉を訪れて、やはりこの店内の写真を撮影、SNSに載せていた。そこには「復興してないわけじゃない。放射能が高くて入れなかっただけ」と意味不明の言葉が添えてあった。そういうのを「復興してない」というんだよ。放射能が復興の妨げになってるんだよ。
100円ショップを出て、かつて双葉町の体育館があった場所へ向かう。今はもう、解体されてしまって跡形もないが。
17年11月に訪れた時も、右の家の2階には洗濯物が干しっぱなしだった。何も変わってない。
(崩れそうな二階)
かつて体育館があった場所の正面には、今にも崩れそうな「双葉ふれあいクラブ」のクラブハウスがあった。まだ駅前にこんな建物は多数残っている。
そのまま6国脇の、17年11月の双葉町入域の際にお世話になったOさんの所有するアパート前へ。Oさんが震災から3年に合わせて作った「新たな未来へ」と題した詩が書かれた看板が近くに掲げられている。自ら作った標語『原子力明るい未来のエネルギー』を否定し、その先の未来へ。Oさんの思いをしっかりと受け止めて考え、僕の場合、制作に生かしていかなければいけないと思う。
その後、一旦双葉駅に戻る途中、常磐線車内で出会った少年とまた出くわした。駅前の公道の空間線量が毎時0.4〜1.0μSvほどだったので少し拍子抜けしているように見えた。いや、それでも十分高いのだけど。さっきまどか保育園に行って毎時3.8μSvだったことを伝えると驚いていた。マスクをしていなかった僕を見て、「これ、あげるからしてください」と防塵マスクを渡された。15歳の少年に心配される40代のおっさん(笑)
3/13に浪江のマリンパークなみえの中に入ってきた話をすると、「危険なことはやめてください」と言われてしまったw
ホンダのカーシェアリング。使う人は果たしてどれだけいるのだろう。富岡駅で日産リーフを使って似たようなことをしていたが、赤字だったと聞いている。
ここを訪れる人はほとんどが車だ。電車でここに来るのは、春休みや夏休み時期に18切符で全国を旅する鉄ちゃんぐらいだろう。彼らがここで車を借りて出かけるとは到底思えない。
さらに南へ進む。
(ここで三脚を構えて撮影している外国人がいた)
(初發神社)
荒れ果てた薬局、玄関が開けっ放しの廃墟、建て替え中の神社、今にも倒壊しそうな家…どれもこれも、なんでこんな状態で立入規制を緩和したのかと、首を傾げるしかなかった。
「福島の光と影」を見せるために聖火リレーをどうしてもやりたかったのかもしれないが、実際、こんな廃墟をテレビで公開出来るわけがない。復興の足がかりだかなんだか知らないが、聖火リレーにそんな効果は絶対ないと思う。むしろ「復興」の邪魔だ。
双葉町図書館へ行くと、他にも何人か、夫婦とみられる人たちが来た。会話を聞いてみると、元双葉町民のようだ。男性が女性を案内するような形で…震災後に出会い、結婚したのだろうか。僕自身にも経験があるが、不幸な出来事があって、でもそれがあったからこそ今があると言えるような事柄は、どう折り合いをつけていいかわからなくなることがたまにある。
中はとても綺麗に整理されていた。
(傾いた家と塀)
(町工場)
廃墟へ目をやりつつ新山城本城跡へ着いた。
<続く>
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