2020年3月福島取材⑫/震災遺構
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歩道のない道をダンプに幅寄せされながら、請戸のマリンパークなみえ到着。昨年11月に、近くまで来ながら人目を気にして入れなかった場所。工事現場や解体現場等で働く作業員が意外とこちらを無視するということに気付いた僕は、今回はなんとなーく入ろうと決めていた。
減容化施設を間近でみる。
ついに来た。9年前のままだ。
僕は廃墟が好きだが、実際に入った経験はほとんどなく、ただそういったサイトを見るか、現地に行っても外から眺めるだけだった。4年前に水上駅前の廃墟に入ったことがあるが、今回はそれ以来となる。
近くの請戸小学校は「震災遺構」としての保存が決まった。ここも遺構として保存すべきだと僕は考えているが、どうなのだろう。震災から9年が経ち、岩手や宮城ではかなり取り壊し、もしくは保存が進んできた。住民と行政の対話も行われている。しかし福島は、今もどうするか決まらないまま、放置された場所が多数残っている。
直接話は聞いていないが、NHKのドキュメンタリー等では、「地震と津波と原発事故」の象徴として遺構の保存をしたい大人たちと、「地震と津波」の遺構として保存したい若い世代とで意識のズレが出ているという。
僕はこれは、原発事故以降、福島県内で続いてきた「放射能安全」な教育が影響していると思う。原子力政策を進めてきた過去世代の罪の意識と責任逃れ、そして望郷の念が、放射能に関するこれまでの様々な基準を歪め、解釈を歪め、そのツケを若い世代に押し付けているのだと思う。
息を呑む。
何の装備もないので、まさに足下に気をつけながらだ。
これは食事等を運ぶ業務用エレベーターか。かつて働いていたグループホームでも使っていた。
こういう場所に入って撮影しそれを公開する行為は、不謹慎だという人がいるかもしれない。しかしここは別に個人の邸宅ではないし、津波の恐ろしさ、そして9年経ってもこのままということで、原発事故の恐ろしさを伝える場所でもあると思う。震災遺構として保存すべきだし、公開すべきだ。
心臓はバクバクしっぱなし、いい写真を撮ろうとか絵にする際の構図とか、そんなことは考えられなかった。ただ夢中で写真を撮り続けた。
自然光が多く入る空間はホッとする。
これぞダークツーリズムというのだろう。
二階に上がるのは勇気が要った。
二階から上は津波の跡はない。
見下ろす。
3階へ。
15年3月、初めて福島に足を運んだ時も「物見雄山」と言われた。今でもそういう人はいるだろう。そうやって自らの眼で何も確認することなく、ただ報道だけを追って一喜一憂し、あまつさえその土地を追われた人たちの気持ちを勝手におもんばかることは、当事者に対して失礼極まりない行為だと思う。
1階へ戻った。帰りの代行バスの時間を考えたら、もう行かなくては。
ゆっくり見る余裕はなかったが、来られてよかった。
またいつか、ここを訪れたいと思う。人の手が入る前に、もう一度、次は心と時間に余裕を持ってここに来たいと思う。
禍々しい減容化施設。あそこには様々な怨念が詰まっている。僕はそう思っている。
新しく整備された道を歩いて、浪江駅へ向かう。泉田川観光食堂や、鮭の孵化場はどうなっただろうか。
<続く>
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