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【2023年12月、小良ヶ浜取材その4 大熊の帰還困難区域との境で】

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〜〜〜〜〜

<続き>

 赤坂神社を抜け、さらに海の方へ向かう。地図を見る限り、大熊町との境までは行けるはずだ。

 県道251号、小良ヶ浜野上線の周囲には、解体途中の家や、バリケードで封鎖されたままの家屋、そして更地が並ぶ。どこも道路以外は「帰還困難区域」だ。解体作業員は、本来ならば個人線量計を身につけて被曝防護した上で作業しなければならなはずだが、その辺りの装備と賃金などはどうなっているのだろう。危険手当はちゃんと支払われているのだろうか。

小良ヶ浜にはまだまだ行くことの出来ない帰還困難区域が存在する。
あくまでも「一部避難指示解除」だ。
家屋が解体され、放射性廃棄物としてフレコンバッグに詰め込まれる。
更地には墓標のように解体番号の書かれた札が立つ。
ここに暮らしがあった。しかしそれは「陸の津波」によって消え去った。

 陸の津波が襲いかかっている最中の小良ヶ浜地区では、自然もまさに民家を呑み込もうとしている。名前はわからないが、鮮やか過ぎるほど鮮やかな色の実をつけた草木が、やや毒々しくも見えて、どうにも心がざわついた。

 その間、線量計は鳴り続けている。道路の真ん中では1.0μSv/hを下回るものの、端によればあっという間に1.0を超え、場所によってはさらに高い数値まで上がった。

道路の向こうはどこも帰還困難区域。当然、誰も住んでいないし、入るには許可が必要となる。

 波の音がうっすらと聞こえてきたあたりで、ふと脇道が見えてきた。避難指示解除された6つの拠点のうちの1つのようだ。舗装されてない坂道をぐっと上がると、先に石仏が見えてきた。解除されたのは集会所と墓地と聞いているが、これは墓地だろうか。

 進んでいくと、手元の線量計が激しく鳴り始めた。やはり道路はしっかり除染されてても、こういう場所はだめか…というか、除染されてるかも怪しい。数字は1.5〜3.5μSv/hほど。福島県内の避難指示解除の基準が3.8μSv/hなので、これだけ線量が高くても環境省に言わせれば「妥当」なのだ。

 墓地ということだが、墓標はそんなに立っていない。そして、結構荒れている。立っている墓標を見るとかなり古いものがほとんどで、中には男性の名前の両脇に「室」と書かれて、正室と側室が一緒に入っている墓もあった。

海は目の前。しかしここから直接海に行くことはできない。

 後日調べてみて分かったが、この場所は「旧墓地」で、かなり昔からあるらしい。海のすぐ近くのため潮風による腐食が激しく、もっと内陸の小良ヶ浜松の前地区の共同墓地へほとんどが移されたという。震災前は、地元の子どもたちの肝試しの場所にもなったという。

この先は海と繋がってるようだが、行くことはできない。

 旧墓地を出てさらに北へ進むと、「この先帰還困難区域のため通行止め」と書かれたおなじみの看板とバリケードが出てきた。ここが大熊町との境か…もっと遠いと思っていたけど、歩いてきてみるとさほどでもなかった。

 海はあまり見えない。ついこの前まで帰還困難区域だったこともあり、草木が伸び放題で海までは到底進めない。

薮が酷くてこれ以上は進めない。
真っ青な海は目と鼻の先なのだが。

 パジェロミニだったかジムニーだったかどちらか忘れたが、車が一台停まっていた。誰かいるのかな?と海側を見ると、草むらから柴犬を連れた男性が出てきた。柴犬は我が家のこまちよりも小さく、7、8kgしかなさそうな感じ。同じ柴犬の飼い主として、思わず近付いて声をかけた。

「可愛いですね。子犬ですか?」
「いや、もう11歳です」
「ええ、もう11歳ですか。若く見えますね。僕も柴犬を飼ってます。名前は何ていうんですか?」
「〇〇です」

 そこで、え?と思った。聞いたことがあるような…

 男性は、震災前、今は亡き先住犬とここ小良ヶ浜の海岸へ釣りに来ていたという。一部避難指示解除されたと報道で聞いて、思い出の場所へ行けるかと思い、楢葉町から来たという。

「ダメですね。薮が酷くて海までは行けなかった。これで「復興」なんて…」

 彼は吐き捨てるようにそう話した。
 自己紹介をした後、少し立ち話をした。彼は僕のカメラに興味津々で、何だか話が合いそうな気がした。

「避難指示解除されても、アパートばかり建って、住むのは原発やゼネコンの作業員ばかり…」

 そう話す男性の表情は穏やかだったが、静かな怒りを感じた。
 カメラを抱えて夜ノ森から歩いてきた僕を見て、

「駅から歩いてきたんですよね? …歩いた方がいろいろ見えますよね。どうか、この現状を発信して伝えて下さい」

 そう話した後、男性は車に乗って走り去った。「送りましょうか」と言いかけてやめた感じで、そりゃこんな怪しいおっさん、乗せないよなと苦笑い。

 その後、調べてみたところ、インスタグラムで相互フォローの人でした。すごい偶然。とても勇気をもらいました。本当に感謝してます。今回の富岡取材は、前日のことも含めて、何だかほっこりする。

<続く>


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