誰かが言った。 いいことを聞いても、いいことを教えられても行動に移せる人は10%程度だと。 そして行動に移したことを継続できる人はそのうち10%程度だと。 さらに継続できた人で常に工夫改善に取り組む人は10%程度だと。 10%×10×10=1,000。 1,000分の1の人になれれば相当なことができるはず。それができる私になりたい。
イソップ物語のウサギとカメの物語で、なぜ鈍足のカメは俊足のウサギに勝てたのか? ウサギは競争相手のカメのことばかり気にして明確な目標、ゴールを持っていなかった。 対するカメは、ウサギのことなど気にせず、山の頂上の旗、ゴールのみ目指してコツコツ一歩一歩目標、ゴールに向け前進していった。 我が人生で何を目標、ゴールにするのか?生きていくうえでとても大切なことと思う。
コップの水がほぼ満杯の状況にあれば、それ以上に水を足すことはできない。足せば溢れてしまう。 満杯のコップの水と自分のキャパシティーも同じではないか。 新たな水を足したいのであればキャパシティーを大きくする、すなわち自分の器(コップ)を大きくするか、コップの水の一部を捨てなければならない。 人は人生においても何もかもできるわけではない。 何か新しいことを得たいと思うならば今、持っている立場や役を捨てなければならない。 私は県庁職員という安定した立場を捨てたことで市長に
平成28年、熊本は大きな地震に見舞われた。 令和6年元旦、能登地方で震度7の大きな地震が発生した。 多くの死傷者、日常を突然、いきなり奪われた多くの人々を見るにつけ、平穏無事な日常生活がいかに有難いことなのかと改めて思う。 有難いという字は難が有ると書く。 難有るを有難いことに変えていくため、本当に辛いけど現実を受け容れ、以前に増してよい地域を創っていくための一歩を踏み出さなければならない。
私はどこにもいるような普通の子どもだった。 私が市長になった時、小学校の恩師が腰を抜かすほど驚かれた。 それくらい目立たない児童であった。テストで〇点を取ったこともある(笑)。 そんな子でもいろんな人や周囲の影響を受けて変化していく。 私はダメな子、どうせ無理と言った瞬間、自分の可能性に自分で枠をはめることに気が付いた。 自分で自分の可能性に蓋をしないなら、自分の可能性は青天井。自ら枠をはめないことで可能性は無限大になる。今はそう信じている。
今を大切に。 還暦を過ぎると若い時に比べて時が過ぎ去るのを早く感じる。 また、周囲に亡くなる方も出て来て、当たり前のことですが命には期限があることを実感する。 命は時の積み重ね。今という一瞬の集積。それが一日になり、一年になり一生になる。 今の積み重ねを大切にし、今できることに全力を尽くす。日々新たな気持ちで生き抜いていきたい。
中国の古典「易経」の言葉。我が家の家訓です。 善を積む家には必ず余りあるほどの慶びがあると。 その逆の言葉もあり、それは「積悪の家には必ず余殃有り」と。 悪を積むことなく日々より善きものを与えられるよう努めて生きていきます。 子や孫、次世代のためにも。
私の人生の大目標は花咲か爺さんになること(笑)。 とにかく子どもの頃から植物が好き、花が好きだった。 小学校3年生の時の担任の先生が山下君は植物博士と呼んでくれた。 懐かしい思い出。好きが高じて今でも植物や花に目が行く。 我が家にはコチョウランの鉢が30鉢以上、毎年ほとんどの鉢に花が咲く。 満開の時は部屋が花園になる。 自宅近くの公園、花壇は誰も世話をしないため雑草が覆いかぶさる。 それをせっせと取って見事な花園に蘇らせた。 そんな行動を、周囲を巻き込み、枯れ
両親に授けられた名前。私は自分の名前が好きです。 五男に生まれたのに慶一郎。よく長男に間違えられる。 ある時出会った霊能者が私に言った。あなたの名前の「慶」の真ん中には「心」という字がある。心を持って人々を慶ばせていけば、「一」は一つにまとめるという意味、「郎」は市民とか県民とか国民をいう。だから人々を心を持って慶ばせていけば市民や県民を一つにまとめるという意味ですよと。 加えて霊能者は言われた。名前の意味に沿って生きれば幸せになると。名前は一生背負っていくもの。その名
標題のこの言葉…自分の人生のモットーであり、好きな言葉です。 自分が生まれて来た時よりも、少しでもよりよい世の中にしてこの世を後にしたい。 日々そういう思いで生きていきたい。 人との出会いにおいても、目の前にきた人と出会った時よりは、別れる際にはお互いがより美しく、より豊かに、より元気になったと感じでお別れをしたい。 そういう時間、関係を紡いでいきたいと思う。
還暦を過ぎ、いろんな方に支えられて今日があることを実感する。 これまで多くの出会いと別れがあったのを思うにつけ、目に見えない力が働き、生かされているのではないか。 この時代に生まれ、生きている自分。自分にしかない役目があるはずである。 これまでの御恩に報いていくためにも、また自分の人生を輝かせていくためにも、次世代に少しでもよりよきものを残せるよう日々新たに生きていきたい。
名前は山下慶一郎。昭和34年(1959年)12月10日、熊本県熊本市中央区本山に11人家族9人兄弟の7番目として誕生。男では5番目。本来ならば慶五郎((笑)) 熊本市内の小学校、中学校、高校で学び、1978年4月明治大学法学部に入学、1982年3月に卒業。同年4月熊本県庁に入庁。5人の知事と県行政(企画、人事、財政、環境、健康福祉、商工、農林水産、土木業務等)に携わる。 2013年荒尾市長選挙に挑戦し、当選。荒尾市長を務める。その後2019年㈱日本創生慶を起業。現在に至る