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にしん/電泥
2022年12月10日 08:33
夜市 映画を見ていた。くたびれた男が黄色っぽい背景の中でぎくしゃくと歩く。動く。「タクシードライバー」。字幕はついていない。フィリピンの田舎町の片隅に、隠れるようにしてある映画館。英語なんてほとんどわからなかった19歳の僕は(信じがたいことに!)ロバート・デ・ニーロも知らなかったのだった。 「どうだった?」 隣に座っていた男が言った。フィリピンなまりのきつい英語だった。 「トレー
2019年4月7日 20:05
「耳かき?」俺は明るい色の木の匙を持つマドカを怪訝な顔で見やった。「そう、君は私の大事なものを見つけておいてくれたんだから、それに関連する恩返しをするのが道理にかなってるでしょう?」マドカは取り出した耳かき棒を左右に揺らしている。「そうはいっても、俺はそんなに耳は汚れていないぞ、毎日風呂上りに綿棒で拭ってるからな」「じゃあ、ちょっと見せてみてよ」マドカは、大して親しくもない
2019年4月3日 21:23
じめじめとした、梅雨の季節がやってきた。連日の雨による湿気と、夏に向かって高まる気温とが絡み合い、人間にじとりとした汗を掻かせる。俺は、教室隅の窓際の席から、分厚い雨雲から降り落ちる雨を、頬杖をついて、ぼーっと眺めていた。ぺたりと、汗と室内の湿気で湿った掌が、頬に吸い付く。その感覚で俺はもう不快感が限界に達しそうになる。おんぼろの公立高校の校舎には、クーラーなどといった上等なものはない。