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令和の天岩戸開き ―3回目の天岩戸神社注連縄張神事を斎行して 天岩戸神社・佐藤永周宮司に聞く(「日本の息吹」令和5年2月号より)
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注連縄(しめなわ)発祥の地に注連縄が掛かっていなかった―令和2年12月、宮崎県高千穂町に鎮座する天岩戸神社の注連縄張神事が斎行され、神社創建以来初めて御神体「天岩戸」(あまのいわと)に注連縄が張られた。そして、毎年新しい注連縄に張り替える神事が引き続き行われ、令和4年12月で3回目を迎えた。
宮司の悲願に、登山家が応え、各界より一流の人々が芸事を奉納した。天岩戸神話の再現「令和の天岩戸開き」はどのようにして為されたのか、第24代の佐藤永周(さとう・えいしゅう)宮司に聞く―
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注連縄を掛けたい
― 3回目の注連縄張神事を迎えられての御感慨は?
佐藤 注連縄張を担当された登山家の竹内さん(*1)は「3年で形を作ります」とおっしゃいましたが、その言葉通り、立派な注連縄張神事となり、感謝に堪えません。また、その竹内さんたち登山家の皆さんをはじめ、すばらしい顔ぶれが集まってくださいました。茶道家、書道家、庭師、音楽家、そしてバレエダンサー。普通では一堂に会する機会がないであろう各界随一の方々が、こうして、天照大御神様に奉仕、奉納されるためだけに集まってくださる。御神徳の賜物と感謝しております。
― そもそもの経緯について。
佐藤 社家に生まれて、幼い頃から神話に親しみ、この神域で育ちましたが、ずっと疑問に思っていたことがありました。それは、御神体「天岩戸」に注連縄が掛かっていないということです。天照大御神が天岩戸からお出ましになったとき、フトダマノミコトが注連縄を張って二度とお戻りになることがないようにした―これが注連縄の起源と言われています。なのに、その神話の舞台に注連縄がない。何か欠けた感じがずっと拭えなかったのです。
― 古事記以外のその後の文献には残っていないのですか。
佐藤 ないんですね。唯一、戦前の絵葉書に拝殿側の遥拝所の木に注連縄が掛かっている写真が載っているのがあるのですが、御神体の御前に掛かっている記録はありません。そもそも御神体の天岩戸の洞窟をずっと拝んできていて、後から神社ができた。自然崇拝なんですね。けれども、神話には注連縄を「引き渡して」と書いてあるわけで、神話は神道の心そのものですから、何としてもお掛け申し上げたいと思っていたのです。
ここに神話の風景そのものがあると感じてほしい
佐藤 それともう一つは分かりやすさということです。これまで参拝者に「あちらが天岩戸です」と説明できないもどかしさがありました。御神体は絶壁の中腹の藪の中ですから、位置がよくわからない。それで御神体を拝もうと参拝された方が、どこかすっきりしないまま遥拝所から退出されることが多かったのです。注連縄が張ってあれば、御神体の場所は一目瞭然ですからそういうことはなくなるのではないか。
ただ、悩みました。というのは、佐藤家は私で24代ですが、それまでの23代の歴代宮司は、受け継いだものをそのまま次の代に渡すということを心がけてきたからです。私の代で変えてしまっていいのかと。しかし、神話の原風景により近づけたい、参拝された方に、ここに神話の風景がそのまま残っていると感じていただきたい、若者たちに神話や歴史に、より関心を持つようになってほしいと考え、決断しました。
御代替わりと同時に父から宮司職を受け継いだ頃から、会う人ごとに注連縄を掛けたいと語りかけておりました。
ところが、御神体のある場所は、崖の中腹ですから、実際にどうやって注連縄をかけるか、それが可能かどうか、という心配があり、地元の工務店に相談して調べていただきました。その結果、技術的に難しいということだったのです。そういう壁にぶち当たっていたところ、たまたま話を伝え聞いたある実業家の方が広田さん(*2)を連れて来てくださって、現地を見た広田さんが登山家の出番でしょうと提案してくださったのです。
― 御縁ですね。それにしても神事に登山家が奉仕されるというのはあまり聞いたことがありません。
佐藤 登山家の技術が嵌ったんですね。その技術と志がなければ、注連縄神事は実現できていません。私は日頃の心構えとして、物事が進めば神様がやっていいこととご判断されたと思い、できなかったことは神様が嫌がられたからだと思うようにしています。登山家の皆様に感謝すると共に神様のお導きと感じています。
(*1)竹内さん…プロ登山家。注連縄張のリーダーを務めた。
(*2)広田さん…登山家・ガイド・写真家の広田勇介氏。竹内氏らと注連縄張を担った。同氏には「天皇陛下と信仰の山」など本誌で何度か連載を頂いている。
令和の天岩戸開き
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― もう一つの困難は新型コロナ感染症の蔓延だったと伺いました。
佐藤 ええ、いよいよ準備の仕上げというときに、感染症が広まってしまいました。中止すべきだという意見も出ましたが、竹内さん、広田さんらが強く後押ししてくれたので決断できました。後で聞いたのですが、バレエの先生方は「芸術に自粛無し」として、演技をネットで発信されたりして活動を継続されていたそうです。祭祀も同じで、「神事に自粛無し」です。もちろん神社でも感染症対策はしっかりせねばなりませんが、例えば手水舎の柄杓の撤去などの対策はしましたが、世間の状況を見ながら早いうちに元に戻したいと考えておりましたので、手水舎は柄杓の使用を再開しました。対策の効果を考えながら、必要な部分は行い、元に戻せる部分は本来の形に戻していきたいと考えています。
偶然にも神事を始めるタイミングがこのような時期になりましたが、偶然だとしても、感染症の蔓延は、まるで天照大御神の岩戸隠れの際の「萬の妖悉に發りき」のようで、この国難の今だからこそ「令和の天岩戸開き」をせねばと思ったのです。竹内さんが最初の渡しに弓矢を使われたのも良かったと思います。破魔矢、守護矢というようにお祓いの意味もあるからです。
― 2回目からは地元の高校の弓道部の生徒が鏑矢(かぶらや)を放つようになったそうですね。
佐藤 地元に根付いてほしいですし、若い世代が神話に親しむきっかけになってほしいですね。
― 注連縄が無事に張られたときの御感慨は?
佐藤 天岩戸神話が再現されたと感無量でしたね。場所が遠目にもはっきり分かるようになり、また、御神体としての雰囲気や存在感に深みが増しました。やってよかった。登山家はじめ皆様のお蔭と改めて感謝の思いが沸き上がってまいりました。
注連縄が張られたことで、神話と同じ景色となり、参拝された方が、より神話を実感できるようになると期待感が高まりました。古事記、日本書紀を知らない人が多くなっているなかで、ここに来て初めて神話に触れることになる人もいるでしょうし、神代の物語に、より興味を持つ人が出てくるかもしれません。注連縄が張られたことで、神話の継承ということに寄与できるのではないかと期待しています。
そもそも注連縄は暗い世の中に戻らないように張られたものですから、世の中が明るく平和であるようにという願いを、神事という形に込めることができたのも良かったと思います。日本発祥の出来事に由来する神事ですから、地元だけでなく、全国からお越しいただきたいですね。
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さとうえいしゅう
昭和58年、高千穂の天岩戸神社の社家に生まれる。國學院大学卒業後、明治神宮に奉職。平成21年、天岩戸神社に奉職。令和元年第24代宮司に就任。令和2年、神話の再現、注連縄張神事を実現させる。
(参考)令和6年の注連縄張神事の様子を伝える地元ニュース
高千穂町・天岩戸神社でご神体の天岩戸のしめ縄を張り替え | MRT宮崎放送 2024年12月21日(土)
(参考)天岩戸-太陽のサクレ(明成社)
宮崎県高千穂町に鎮座する天岩戸神社の御神体「天岩戸」洞窟を、史上初めて踏査し、注連縄張り神事を執り行うまでのドキュメンタリー。