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人生の中には、「脱皮」と呼ぶしかないような劇的な変化を迎えることが何度かあるが、それとは違い、最近の私は珍しく少しずつ何かが変わってゆくような感覚を感じている。 「何か」ってなにかというと、例えば以前に好きだったものにあまり興味が持てなくなっていたり、昔のことを考えなくなってきたり、人との付き合い方が変わってきたり、食べたいものが変わってきたり…そうだな、一言でいうと「好みが変わった」または「変化が緩やかになった」と言っていいのかも。 それは双極性障害の薬の影響かもしれな
「ケーキの切れない非行少年たち」(新潮新書)を読んでみた。同じ内容をあまりにも繰り返しすぎだよという感想はちょっと置いといて…(既視感がハンパない) 私は丸いケーキを3人に等分に分けることも、5人に等分に分けることも全くできない。それが普通だと思ってたけど、どうやら「できる」方が普通らしい。 それを知って、純粋に、えー!ビックリだ! この本の中では、犯罪や非行に走る少年の(ここでは少女も含めて少年)一定数は、発達障害や境界知能などの障害が影響していることが述べられていた
「仮病の見抜きかた」という本を図書館で借りて読んだ。著書は内科医の國松先生。 以前にも國松先生の本は読んでいて、すっかり好きになってしまった人だ。 この本の中ではいくつかの架空の(と言っても、実際にあったような)エピソードと、「賢明な読者へ」という、やや専門的な内容の叙述と、その後のエピソードという感じでまとめられていて、そうした形のお話が10編入っている。 タイトルが「仮病の見抜きかた」なので、当然その10編のエピソードに出てくる人物や症例は簡単に見抜ける病気ではない。
例えば発達障害を例にとってみると、今現在いくつかの心理検査が存在していて、それを受けて発達障害と診断された人たけが「障害」と認定されるという考え方があるよね? その他にも脳の検査などをいくつも受けさせる病院もあるらしい。 そういう現状を踏まえてなのか、「検査を受けてはいないけど、専門医に発達障害と診断された人」は発達障害ではないという意見があるようですね。 でも、専門医であれば、ある程度の回数面談すれば、発達障害の有無は概ねわかると思うし、逆にわからないなら専門医とは言え
日常的に使われる言葉で、「病院で薬をもらう」という言い方をするけれど、それに対してずっと違和感を持っていた。 だって、薬ってタダで「くれるもの」ではなくて、「お金を払って買うもの」だから。保険を使って3割程度の費用で購入していたとしても、その保険料を支払っているのは自分だし、もちろん残りの3割を支払うのも自分だ。 「くれる」という言葉を使うくらいだから、当然薬の値段を事前に聞いたりしちゃいけないと思ってる人がほとんどだろう。よっぽど高額の医療費以外は、話題にすることさえな
私はすでに精神科で自閉スペクトラム症の診断を受けていたんだけど、Twitterとかでみんなが検査の話してるのに興味を引かれて、主治医に頼んで受けてみた。 合計2日間のテスト+宿題(生育歴とかをいっぱい書く)で、テストは結構時間かかったので疲れた。 内容はあんまり覚えてないんだけど、図の通りに立体のキューブみたいのを並べるのが致命的にできなくて、改めて自分には空間認識能力がないなぁと思った。 だからいつも迷子になっちゃうのね💦 それと算数問題も…あはは 結果はこの前の診察で
最初に耳が聞こえにくくなったのを自覚したのは、中学3年から高校1年生くらいの時だったと思う。 と言っても、自分の耳が聞こえにくいんじゃなくて、TVで何言ってるのかわからなくなった。なので、TVを全く見なくなったんだけど、幸いというか何というか、私は「友達と話を合わせるために一生懸命TVを見るような子」ではなかったので、「私、TV見ないんだ」で済ませていたの。 ところが大学生になって、回転式の目眩がものすごく酷くなった。それはまるで、遊園地にあるコーヒーカップの乗り物を高速で
何かのニュースかドキュメンタリーで見たんだけど、「ハグ(性的な関係を一切含まない)することを目的としたグループや集まり」が最近多くなってるんだって。 男女問わず、そこに来ている人とハグすることが出来て、もちろん嫌な人からのオファーは断れるし、一人の人とだけハグをし続けることも、多数の人とハグを交わすことも本人の自由。 びっくりしたしたのは、それがアメリカでの話ってことなのです。 アメリカでは挨拶とか相手を慰める時に、普通にハグやキスをする文化のハズなのに、それでもやっぱり