異界と交わす言葉。
昨日、高野山にはじめて行った。
素晴らしかった。
弘法大師、空海さんに土地を貸したとされる丹生都比売(にうつひめ)神社はとても美しかったし、比売の子孫とされる神主さんがこの神社にまつわるお話を聞かせてくださった。
宿坊、恵光院でいただいた精進料理は「舌鼓を打つ」と紹介されるとおり、とんでもなく美味だった。(中でもすいかの左隣にあるゼラチンのようなもので固められたおそうめんが絶品。今年はそうめんヌーボーは実に贅沢な幕開けとなった。)
空海さんが開いたとされる壇上伽藍は、まるで ”仏教ワンダーランド” といった感じの絢爛さ。
中心となるこの根本大塔をはじめ、数々の物珍しい建物が並んでいて、本当に面白かった。(建物についた棒をぐるっと一周まわすとお経を読んだことになる六角経蔵は『キン肉マン』に出てくる超人墓場に似ていた。)
空海さんはここでは「お大師様」と呼ばれ、ファンクラブができていた。
奥の院は、そのお大師様がいまだに修行されていると言い伝えられた場所。
霊を祀る「御廟」と呼ばれ、お大師様の廟の他にも豊臣秀吉、黒田官兵衛、法然聖人、親鸞聖人のお墓も、さらに多くの有名、無名の人たちのお墓も並んでいた。
個人的には、この奥の院が一番いいなと感じた。
そこには凛とした静けさとやさしい重さがあった。人が本当に大事な話をするとき、沈黙の中に現れる質感と似ているような気がした。華やかな壇上伽藍よりも霊園がいいと思うのは、歳をとったからかもしれない。
この後、南院、波切不動尊をお参り。先達(案内)してくださった阿闍梨様によると、このルートが正式参拝のルートなのだそうだ。
この阿闍梨様の先達が、本当にありがたかった。
行くところ、行くところで、その場所にまつわる由緒を教えてくださった。また、お参りする前にお経や祝詞を唱えてくださった。そのことで僕たちの祈りはより真剣なものになっていった。
源義経の霊の鎮魂のために歌を詠んで旅した松尾芭蕉の奥の細道も、こんな感じだったかもしれないな、と思った。実際、高野山には芭蕉の句碑もあった。
「場所ごとにお経だったり、祝詞だったり、和歌だったりするのは、そこにいる神様や仏様によって言葉が違うのですか」
と途中で阿闍梨様に尋ねてみた。そうですと返事がかえってきた。
「阿闍梨」は徳の高いお坊さんの呼び名だけれど、この日先達してくださった阿闍梨様は、修験道という仏教と神道の両方の修行をされた山伏だった。
実際、阿闍梨様に先達されていると、そこに見えない存在が「いる」のが感じられた。「お大師様がニコニコとお迎えになっておられますよ」という言葉も疑いなく受け入れられた。
「今日はご先祖様といっしょに来られているのです」と阿闍梨様は教えてくれた。そのことも余計にうれしく感じられた。晴天に恵まれて、空には日輪(太陽の光で空に丸い円が描かれる)や龍まで現れた。
僧侶は、目には見えない異界とこの世をつなぐ役割。そう聞いたことはあったけれど、実際に目の当たりにしたのははじめてだった。親族のお葬式でもこんなふうに感じることはなかった。
(仏教と神道の両方を修めたってドラクエの賢者みたいだな)と内心興奮していた不信心者でも、こんな心境にさせてもらえる。この見えない世界があると思っているのと、ないと思っているのとでは、人生の生き心地がまるで違うなと思えた。
そして、その晩はご先祖様に「ありがとう」と言って寝た。
なんだかあったかい気持ちになった。