どう言っていいかわからない、新しい「いい」のこと。
最近「いいなあ」と思っても、どう伝えていいのか分からず、言葉に窮することがある。
それは、人の話を聞いているときに起こる。
明るい話のときに「いいなあ」と思うなら普通だ。
けれど、僕がいいと思うのは、大抵、身の上に起きたトラブルだったり、考えすぎてこじらせていることだったり、時には人が亡くなったりする話の最中だったりする。
いわゆる ”重たい” 話を聞いているのに、話しているその人を「素敵だなあ」と感じてしまう。話の中身と自分が感じていることが著しくずれているように思えて、伝えていいものか躊躇する。
「人の不幸は蜜の味」とは違う。意地悪な気持ちからそう感じているわけでもない。でも「大変なんだ」という話をしているのに、嬉々としているのはなんだか悪趣味なようにも思える。
それでも、話の中のその人の懸命さや必死さに、あるいは、うまく立ち回れないもどかしさに、なんとも言えず惹かれてしまう。
それは「いいなあ」としか言いようがない。
歌詞はめちゃくちゃ暗いのだけれど「いい曲だなあ」というときの感覚によく似ている。
「いい」の反対は「わるい」だけれど、この時の「いい」には反対語がない。酸いも甘いも、うれしいも苦しいもひっくるめて、空に大きな筆でマルを描くみたいに「いいなあ」と思うのだ。
僕の「いい」は、渦中にいるその人にとっては、何の解決にも慰めにもならない。でも、僕はその人のことをますます好きになる。「聞かせてくれてありがとう」と満たされた気持ちになる。
もしかして、どこかのネジが外れて、人間としてますますポンコツになってしまったのだろうか。
自分自身に置き換えれば、困っていることはなんとかしたい。
問題と格闘している最中のことを「いいなあ」と言われても、なんの助けにもならない。解決していないのだから。
それでも、この新しい「いいなあ」は、なんだかいい感じがしている。
なんか、そんなふうにどこかの配線が切れているみたいな感覚に陥ることがこの頃多くて、一体なんなんだろ、って思っている。