抱擁4

自分で自分をいじめているあの人を、バカヤロウと抱きしめて

写真とタイトルが出オチになっている感があるけれど、いま、というか、何年も前から「自分で自分をいじめている人」のことが気になっている。

他人と同じ行動がとれないから、お金がないから、生きていくのがヘタだから、夢を叶えられないから。

さまざまな理由をつけて、ぼくたちは自分で自分をいじめる。

他人と違って、自分へのいじめは内側で起きていることなので、ぱっと見、わからない。

でも、その人の言動や雰囲気から、その気配を感じ取れることがある。

どことなく、しんどそうな感じとして。

はんたいに、自分のことを「いいじゃん」と思えたりするのは、うれしい。

うぬ惚れ、なんて言われることもあるけれど、自分のことを認めたり、見直せたりすると誇らしい気持ちになる。

「いろいろと困ったところもあるけれど、基本的にいいやつだな」

そんなふうに自分のことを思えていると生きやすい。そして、そういう人のまわりには人が集まってきやすいように思う。

自分と自分との関係が、他者との関係にも反映されてくる。
悲しいことだけれど、大人がこどもをいじめたりするのは、その前に自分自身をいじめ抜いているからじゃないかと思う。

ぼくが㐧二音楽室でしている活動のねらいは、条件やらなんやらで縛りすぎて、身動きが取れなくなった自分からの解放だ。

縛りに縛って「どうせこんなもん」と卑下してきた自分が、もっとでかくて、すごくて、素晴らしい存在だと気づけたら、そしてお互いに称え合えたら、すこしは「自分いじめ」が減るかもしれないと思っているのだ。

(ややこしい説明をすると、ここで称え合う「自分」は、エゴが自分だと定義している人のことではない。もっと大きな、なんというか摩訶不思議な現象としての「自分」を指している。)

とはいえ、そんなことを言ってるぼくだって、囚われの身だ。

条件だらけの檻から抜け出せずに、イラついて自分をいじめてしまうことだってあるよ、そりゃ。

でも、だからこそ「自分いじめ」、いっしょにやめませんか。

愛せとか、むずかしいことは言わない。
せめて、いじめるのはもう、やめにしましょうよ。

同じように囚われているからこそ、同じように自分と仲良くしたいと願うからこそ、そう思う。

ザ・ブルーハーツの『TRAIN TRAIN』の中に、こんな歌詞がある。

世界中にさだめられた
どんな記念日なんかより
あなたが生きている今日は
どんなにすばらしいだろう

世界中に建てられてる
どんな記念碑なんかより
あなたが生きている今日は
どんなに意味があるだろう

この詞のように、人を敬いながら生きる人が増えたら、どんなにかいいだろう。

ときどき、そんな夢想をする。

それって、やっぱ厳しいすかね?

厄介なのは、身をもって知っているつもり。

でも、どうしても諦めきれないんですよね。

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澤 祐典
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