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「見えぬもの」が生きている人。

今日は12月に入ってから死んだようになっていた自分が、息を吹き返したような日だった。

原因は「『見えぬもの』が生きている人」に会って、話を聞けたことだ。仕事や作品に「思い」を込めることを重視するその人の話を聞いていた時、自分が「話せる」と感じた。ここ一週間ぐらい重く閉ざされていた口の筋肉がふたたび動き出して、全身とつながる。

そういうときは「我ながらいいこと言うな」というようなことを口走っている。しゃべりながら、その語りを聞いているもう一人の自分が感心していたりする。いったい誰がしゃべっているのだろうとも思うのだけれど、とにかく自分の体が赤く燃えていて、言葉を口にしていることが嬉しくて仕方がない。

たぶん、そういうとき、僕は歌を唄っているんだと思う。

「見えぬもの」がいないことになっている人とでは、こうはいかない。
精霊、天使、自然、なんと呼んでもいいけれど、目には見えない、けれど大事なものを生かしている人でないと、こうはいかないのだ。

「見えぬもの」は『ピクミン』のように弱く、すぐに死んでしまうものなのかもしれない。でも、それを大事に大事に育てていると、夢のような花を咲かせてくれる。

今日は自分が不器用ながらも「見えぬもの」を生かしてきてよかったなあと感じた日だった。普通の人が平気なことが平気じゃなかったりするので、迷惑もかけるし、苦労もするのだけれど、だからこそ聞けること、見えるものがある。

それを花が咲くまで守れること。それが僕の仕事なのかもしれない、とふと思った。

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