むなしくなりませんか。
「木村さんは全国に『みんなの学校』のことを伝えて回っているけど、それで日本社会は変わったと思いますか?
僕は全然変わっていないと思います。
木村先生は一生懸命伝えてくれていて、僕は今日の授業が大学に入っていちばん考えさせられた時間だったけど、でも社会は変わっていないと思う。
先生はここまで一生懸命にやっているのに、むなしくなりませんか?」
この対談を読んでいて一番印象に残ったのは、龍谷大学の学生が「ものすごく真剣な顔で」発したという上の質問だ。
むなしくなりませんか。
ちょっとヒヤッとする質問だけれど「なります」と答えたくなる自分がいる。
木村先生ほど立派な活動をしているわけではないけれど、「全然変わっていない」と感じてむなしくなることは自分にもある。一生懸命やっているのに、ちっとも変わらない現状にため息をつく日も少なくない。
この問いに対して、木村先生は「同じことを考えた」と返す。
校長を務めた大空小をやめて一年、いろんなところに行って、毎日のように誰かと会って、語って。それでも相変わらず日本のどこかで子どもは亡くなり、不登校も増えている。
「自分のやっていることは何の役にもたっていないんじゃないか」と思ったそうだ。
でも、「どれだけおごりを持っているんだろう」と感じて、木村先生は変わったそうだ。そして、質問した学生にこう応えている。
「あなたの言う通り、むなしいと思ったこともある。
でも、自分の力がなんぼのもんや思う?
いろいろなところでたくさんの人に会い、対話をさせてもらっている。
いろいろな子どもに出会い、耳に痛いことも聞かせてもらう。
そうやってまた新しい自分に変われている。
これが『学び』なんやと思う。
そう思えてから、また毎日がとても楽しいのよ。
だから今は全然むなしいとは思わへん」
そこに「学び」があるからむなしいとは思わない。毎日がとても楽しい。
「勝手に理想を描いて勝手に不幸になるな」と対談相手である麹町中学校の工藤校長は言う。
理想にたどり着かない至らなさではなく、理想に向かう道のりの楽しさに目を向ければ、先に進むことができる。
記事中、かかとをつぶして歩くことやピアスをあけたり髪を染めたりすることを「大人が問題だと言うから問題になる」というくだりがあるが、同じように、どこを見て歩むかで道のりの楽しさが違ってくるのだろう。
「かかとばかり見る」人が多い中、自分はなにを見るのか。見たいのか。
むなしいかどうかって自分で決められるんだな、と思った。
ところで、きっかけになった龍谷大学の学生さんの質問はあまりに率直なので、聞き方によっては「失礼な」と思われてしまうきらいもあると思う。自分だったら思いついても聞くのに躊躇する。
でも、彼は勇気をもって問いかけた。
その問いは、木村先生の光を明らかにした。
それはやはり、彼が「ものすごく真剣」だったからじゃないかな。
光はそこにある真剣さと勇気に応答するのだと僕は思う。