誰かがいなくなるということ
私の祖父が亡くなった。
病気(癌)の発見が遅れ、既にかなり悪い状態で入院。
入院して二週間ほどでこの世を去った。
私は学校が昼で終わり、帰っている途中で母の電話で亡くなったことを知り、思ったより早く驚いた。
喪服を買う予定ではあったのだが、まさかその日に亡くなるとは思わず慌ただしく準備したのを覚えている。
亡くなる3日ほど前に一度訪ねたが、ひどく痩せ細り必死に呼吸する姿が痛々しく、同時にまだ生きるために懸命に息をしているのだとドラマなどのフィクションでは感じられない緊迫感を味わった。
声をかけるとわずかに反応があり、話そうとしているのがわかった。しかし、声を出す余裕もなく荒い呼吸音だけが聞こえる。テレパシーでもあればと思った。
私には妹が数人いるが誰も葬式に参加したことがなく、何をするのか全くわからない状態でいた。
まずは火葬での別れだ。新しくできたらしい火葬場は清潔感があり女性でも棺桶を運べるよう最新の技術が施されていることに驚いた。
スタッフによる「本当に最期のお別れ」の言葉に自然と涙が出た。お坊さんがお経を唱え、スタッフが火葬のために棺桶を個室に収納する。お坊さんのお経が心に沁み、ポロポロと涙が流れていく。何を言っているかわからないけれど重みのあるお声で唱えられ、洗われるような感覚になった。
私はこの時祖父の存在の大きさを実感した。
常に一緒に暮らしているわけではないけれど、幼い頃はたくさん遊んでもらったし、定期的に会う機会はあった。目頭が熱くなり、あたたかい涙が私の頬を伝う。情熱的でパワフルで町のために尽力した人だった。
同時にずっと共に過ごしてきた祖母は何倍も辛いんだろうと思う。葬儀のある数日間は気を抜くと泣いてしまう状態で、私では測りきれない辛さがあるだろうと思うと自分も悲しくなった。私の知らない二人の思い出もたくさんあるだろう。
人がいなくなることで、さまざまな悲しみを味わった。
加えて、葬儀の大変さも知った。喪主である私の父は朝から晩まで手続きや手配などで大変そうにしていた。精神的に消耗している祖母もおそらくやるべきことがたくさんあっただろう。
大切な人がいなくなった後の穴を埋めるような感覚だろうか。このような死後の行事によって「死」の重さを味わった。
葬儀当日は、多くの参列者が訪れた。さすが色々なことをしてきた祖父だ。面倒見が良く優しかったこともあり、大勢の人に愛されていたのだと実感して胸が熱くなった。
祖父にはいくらか孫がいるが(私から見た従兄弟)、まだこれから中学生と高校生になる子もおり、急いで地元に駆けつけていた。「死ぬこと」を既に理解している年齢のため葬儀中はかなり動揺し、ボロボロと泣いていた。
比べて私の小学三年生の末っ子はまだよくわかっておらず、「怖い」という感情が先走っている様子だった。
年齢による「死ぬこと」への感じ方のギャップも知ったのだ。
妹の感じた怖さは黒い服を見に纏って暗い顔をした人々の光景だったり、いないはずの祖父の笑顔の写真が飾ってあったり何やら煌びやかな装飾や花だったり、線香の匂いだったり幼い故に言語化することができないけれどもう帰ってこないという底のわからない怖さだろうか。人の悲しみを感じ取った怖さだろうか。
いずれも、実際に近しい人がいなくならなければわからないことだ。
そして、私が葬儀に参加したことで最も印象に残ったことはお経を詠んで下さった後のお坊さんの言葉だ。父が地元にいた頃の同級生がお坊さんをやっているというつながりで父が依頼したそうだ。祖父とも交流があったようで全ての別れの儀式を終えた後のお話は説得力があり非常に胸を打たれた。自然と温かい涙が溢れ、晴れやかな気持ちになった。
私は、祖父を失うことで祖父の存在のありがたさや偉大さ、人の死の重み、普段感じ得ないもの。たくさんのものをもらった。
ありがとう、天国では痛み知らずの元気なあなたでいてください。
令和6年2月3日
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