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見えないものを見ようとして
写真を撮っていると、「見え方」だったり「捉え方」だったりに意識が向き始める。
僕らの視覚が捉えられる情報には限界があると思う。眩し過ぎるものを見たくはないし、黒く潰れたものを見るのは酷だ。
普段はSONYのミラーレス一眼で写真を撮るのだが、少し前まではスマホで写真を撮るのにハマっていた。
一眼カメラとスマホの大きな違いは、センサーサイズ・ダイナミックレンジ・画角の3点だと思っている。
わかりやすく言うと、一眼は画質が良くて表現に自由がきくということである。
だからやはり、一眼カメラの方が良い写真は撮れるのだが、少し前の自分は、あえてスマホで写真を撮るようにしていた。
スマホは、画質が悪い。
僕が使っているのはiPhone12miniで、最近のスマホにしてはかなり画質が悪い。
だけど、スマホの小さな画面で見る分には不自由はなくて、むしろその画質の悪さを楽しむことができるのだ。
僕はモバイル版のLightroomを使ってよく編集しているのだが、実はこのアプリにはカメラ機能も付いている。
なんとこのアプリ、シャッタースピードとISO感度を設定できるのだ。
だから、敢えてスローシャッターにしてブラしてみたり、感度を下げて画質を最大限に良くしたりすることもできてしまう。
そのままLightroom内で編集してしまえば、そこそこ良い色味が表現できる。
そんなふうにして遊んでいたら一つ気づいたことがある。
「なんか、ちょっと、フィルムっぽい。」
iPhoneのあの、白飛び黒潰れしやすくて、ノイズが乗っかる感じが、写ルンですで撮った時と似ているように感じたのだ。
だから自分なりにフィルムっぽい色味を再現してみることにした。
ざっくりと言うと、シャドウに緑を乗せて、ハイライトに紫を乗せる。そして、トーンカーブで真白と真黒を省略する。それだけである程度フィルム調になる。(まあ、実際はもっと複雑にいじっているけれども)
この、真白と真黒を省略すると言うのは、なんだか僕ら人間の視覚と似ているように感じた。
太陽光は白ではないし、夜は黒ではない。
きっと僕らの目は、そこまで高機能じゃない。
だから、一眼カメラで撮った写真も、そういった編集を施すようにしてみた。
これが意外と楽しいんだ。
やっぱり画質が良い分、表現に幅が出る。
スマホカメラから一転、最近はまた一眼カメラで遊ぶようになった。
そんなこんなで、「色と光」に意識を向けて生活をしていると、また何か一つ、見つけたような気がする。
それは、色と光の「階調」だ。
厳密にはこれまでも知覚していたが、より一層精緻なところまで意識が向くようになったのだ。
黒は黒でグラデーションを持っている。
当たり前のことだが、意外と意識を向けることはない。
昔の写真を見返していても、グラデーションを綺麗に表現している写真が多々あるが、その時はグラデーションに意識なんて向いていない。
なんとなく、綺麗だから、写真に収めたんだと思う。
これが、情報が教養に変わったということなのだろう。
ようやく話が戻るが、僕らの視覚が捉えられる情報には限界があると思う。
いや、厳密には、視覚は全ての情報を捉えているのだろう。
しかし、脳がそれら全てを処理するのには限界があると思う。
僕はよく物をなくすのだが、つまり物を探す事が多いのだが、
絶対に視界には入っているのに、見つけられていなかったという事が多々起きている。(そうして傘を何本購入してきたことか。。)
こういった事象は日常的に起きている。
道端に落ちているゴミには目が向かない事が多いだろうし、葉の上に乗っかるカタツムリに目を向けることはそうそう無いだろう。
普通にしていると、見えていないものは結構沢山あるんだ。
味噌汁茶碗に映る光のグラデーション。
太陽光を目一杯浴びる草葉の緑。
誰かが落としたキーホルダー。
夜のバスから見えるビル群の灯り。
祈りを捧げる人の手元や足元。
見ようとすれば、全部が見える。
そしてそれらは魅力を秘めている。
写真を撮っていても、映像を撮っていても、僕らが普段知覚しないけど感じ取っている部分を理解しておくことは重要な気がする。
バンプが好きで良かったと思う。
「見えないものを見ようとすること。」
意外にもこれが大事なんだ。