日記 2024.11.29(金) 好きだ、好きだ、大好きだ。
今朝もいつものように目が覚めて布団の中で携帯を見ながらだんだん起きた。ニュースをチェックしてみたり、XやYouTube、そんなに興味もないような動画を観たりした。つまらないなぁなどと思っていたら携帯が元気よく振動したのでびっくりする。お母さんからの電話だった。
昨日はなかなかうまく繋がらなかったお母さんとの通信。今日また掛け直そうと思っていたら先にお母さんが電話してくれたのだった。いつも通りおちゃらけながらおつかれさまでっすーっと電話に出る。お母さんもわたしの真似をして同じように返事をする。二人だけの変な世界観でやり取りをするのがお決まり。
お互いの元気を確認したところで本題に。次回実家に帰っている間にある寺尾紗穂さんのコンサートへまいちゃんと行きたいと思っている。コンサートのある市内までは電車で行くのがいいのだが、最寄りの駅までは車で行く必要があって、帰りが夜遅くなるので車を借りて自分で運転して行こうと思っている。二つ選択肢のある駅の駐車場はどちらが安いか聞きたかったのだ。
実際そんなこと携帯で調べればすぐに分かるのだが、わたしが軽トラックをひとりで運転して出かけることをお母さんが過剰に心配すると思ったので先に相談したかった。お母さんの反応はやっぱりわたしがお父さんと一緒に送って行く、だった。帰りが夜遅くなってしまうこと、シミュレーションしたら自分で運転していけるようになるよと伝えてお母さんをなだめる。この感じだと夜わたしが帰るまでお母さんは寝ないで待っているだろうな。
昨日お母さんと電話が繋がらない間に、まいちゃんにどうしようかなと考えていることを素直に相談してみた。まいちゃんは気をつかうかもしれないけどうちに泊まったらいいよと言ってくれた。時期的に雪の心配もあるので雪の予報があれば泊まらせてもらって、そうじゃなければ日帰りしようかと思っていたが、やっぱり泊まらせてもらうことにしようと思った。
わたしの話題は済んでお母さんの話へ。いつもそばにいる時はわたしが一人で出掛けることを過剰に心配してくれるんだけれど、切り替えは早い母が面白い。最近の出来事、お母さんの聞きたかったことをぶわーっとしゃべってくれた。今度行ってみたいねと話していた鉱泉の温泉へ湧水汲みに行った?と聞いてみると、お母さんはピンときたようでそうだったそれはいいねと言った。お父さんも今日は予定がなさそうにしているから早めに伝えて行けそうなら今日一緒に行ってみるとのこと。いい提案ありがとうと言って元気よく電話を切った。
ということで寺尾紗穂さんのコンサートへ行くことに決めた。わたしは何かを決める時に本当によくよく悩む。自分ひとりの場合でも決めるまでに時間がかかるが人が絡んだり、選択肢がたくさんあると本当にどうしようかと立ち尽くしてしまうところがある。小さい頃からわたしはよくフリーズしていたとお母さんが言っていたけれど、多分情報の多さについていくことができていなかったのだと思う。
でもそんな時は周りの人に素直に相談すればいいんだということが今回よく分かった気がする。いろんな選択肢があってわたしはいまパニックになっています、素直にそう言えばいいんだと気づくことができた気がする。
迷惑かけないようにと過剰になるわたしに気づいて任せると言っていたまいちゃんも、最後は雪が降ったり夜の運転は大変だから泊まった方がいいよと言ってくれた。お母さんもお父さんも、多分その方が安心してくれるような気がした。素直に言えば、みんなどうするのがいいか一緒に考えてくれるんだな、素直になるって人との関係でもすごく大事だということ、なんだかはじめて実感を伴って分かった気がした。
お母さんとまいちゃんとやり取りしている間にお昼前になっていた。干しかけの洗濯物を外に干し、干している大根の様子を確認。葉っぱと茎はもうからりと音がなるくらい乾いてきている。大根本体はどっしりとしてまだ水分が詰まってますと言っている。今日は洗濯物がすぐに乾きますと天気予報に書いてあった。たしかに日差しはあたたかくて気持ちがいい。でも大根のために気温よ下がれと思っているわたしもいてらなんだか複雑な気持ち。
お昼ご飯の支度。玄米とさつまいもを蒸して酒かす入りのお味噌汁を温める。里芋のお味噌汁がとろりとして本当に大好きだ。酒かすとの相性もバッチリ。お母さんが今日の電話で里芋のクリーム煮を作ったらすっごく美味しくなったよと教えてくれた。お母さんとわたしときめくものがいつも一緒。季節を感じながら料理をしているとたくさんの人とつながることができるような気がした。いま大根を干してわたしとおんなじ気持ちの人もいるかもしれない。
お昼ご飯を食べて出かける。昨日閉まっていた絵本屋さんへ。クレヨンハウスとはまた違ったラインナップの絵本が並んでいてゆっくりひと通り眺めたがなにも買わなかった。ここのところ真剣に絵本を見ているのだがわたしは絵本の表紙やデザインに惹かれないとなかなか買いたいというところまで辿りつかないのだということに気づいてきた。飾りたくなるような絵の本、中身を開いてみたくなるような表紙、というのがやっぱりわたしは好きみたいだ。ずっとそばに置いておきたくなるような絵本を探してみよう。
本屋さんで探していた本の在庫を聞いてみる。調べていただくとお店には在庫がなく取り寄せもできないとかなんとか。ただ、隣の駅の店舗に在庫がありそうですが問い合わせてみましょうかとのことでお願いすると一冊だけ在庫があった。駅ビルの中の本屋さんで場所もわかっているので取り置きしていただいて行ってみることにした。
歩いて本屋さんへ向かう。好きなものを求めて歩くときはやっぱり足取りは軽い。欲しい本は村上春樹さんの「午後の最後の芝生」という本。わたしはそれが小説なのだかエッセイなのだかは知らないのだけれど、挿絵が安西水丸さんだったのでこれは買わなくてはという気持ちになっていた。
途中寄り道したブックオフの絵本コーナーで収穫があった。大好きな「さむがりやのサンタ」と「凧をつくる」という本。さむがりやのサンタはもうすでにシリーズで持っているのに状態が良くてつい手に取ってしまったが、甥っ子にあげればいいんだと思って買った。凧をつくるという本はお父さんとわたしのために。お父さんと凧を作ってみたいという幼い頃からの願いをかなえるため。
「午後の最後の芝生」は小説らしかった。
わたしは村上春樹さんのエッセイはほとんど読んできたものの小説にはほとんど手を出したことがない。いつか読んでみようと思いつつ、エッセイが楽しくていつもつい後回しになっている。それでもなぜか今日は、また二人の合作に出会えた喜びを感じ買ってみることにした。表紙も、背表紙も、すごく素敵だったのだ。
わたしは安西水丸さんという方の存在を亡くなられたタイミングではじめて認識した。その頃毎週のように楽しみにしていたNHKの日曜美術館という番組で特集番組があり、水丸さんのやさしい佇まいとしゃべり方に惹かれて急激に好きになった。何にも知らなかったわたしは本屋さんで水丸さんを特集した雑誌を買い、彼のことを調べるようになった。彼の絵でわたしが特に惹かれたのはラフに描かれた自画像と村上春樹さんの似顔絵。全部みてみたいと思いそれから村上春樹さんのエッセイを集めるようになり、いつの間にか村上春樹さんの文章にもどんどんと惹かれていった。
わたしは安西水丸さんの挿絵の入った村上春樹さんのエッセイが大好きになった。二人の作品は多分ほとんど集めて読んできたと思う。前回無職になった時にわたしを助けてくれたのは村上春樹さんの文章であり、安西水丸さんの絵だった。春樹さんの文章は隣で彼がしゃべっているのを聞いているのかと思うくらいになめらかだ。ほんとちょっと奇妙なくらい滑らかで完璧なまとまりのある文章だと思う。ついつい文章自体を額に入れて飾っておきたくなってしまうのだがここに水丸さんの挿絵が入るとちょっと雰囲気が変わってこれまたいいのだ。春樹さんの完璧さに水丸さんがすきを与えるということなのだろうか。この具合がとっても絶妙でグッとくる。二人の合作からは本人たちの楽しさがあふれだしている。それがわたしに伝わってきてわくわくしながらなんだか涙が出てしまうのだ。ソウルブラザー、親友同士こんなすてきな仕事ができるんだ、わたしもこんなふうに仕事がしてみたい、これこそが仕事だ、そう思った。
しかし無計画なまま仕事を辞めたわたしは貯金がすぐに底をつき、無職を失い労働に戻ることとなった。
100円のノンカフェインコーヒーで休憩できる無印でひと息。今日手に入れた本たちをながめてうれしい。年配の女性のグループがコーヒーマシーンと格闘していたので声をかける。店員さんが一度来て対応してくれたものの、やっぱりボタンを押してもなかなかコーヒーが出てこないのだとか。カップをセットし直すとうまくいくかもしれないと思ったので伝えてみる。わたしも女性たちに混じってコーヒーが出てくるかどうか見守った。ピッと音がなりコーヒーがで始めてみんなで喜ぶ。やっぱりみんなで考えるといいわねぇ、とグループのひとりがおっしゃった。ほんとうにそうだと思った。
わたしは暇だ。わたしはいま毎日楽しいと大好きを集めまくる時間があるほど暇なんだなと思った。
最近また毎日絵を描いている。最近は竹の繊維でできた紙にパステルで絵を描いている。好きなものを描きたくて、大好きな鳥を描いている。ここ二日は鳥のシルエットをなぞるような絵を描いている。ぼんやりとした絵だが好きな色に仕上げることができて気に入っている。絵を描くことは自分を知ることでもあるから、わたしが好きな色、好きなふわふわを視覚的にとらえられるとすっごく嬉しい気持ちになる。下手とか上手だとか一瞬考えそうになるけれど、そんなことはどうでもいいこと。ただ好きを外に出す作業なのだからと切り替える。それにわたしは気づいている、わたしの描く絵の色のトーンが前よりも明るくなってきていること。
実家に帰ると家事やほかのことが楽しいので机に向かって絵を描く気持ちになるのに時間がかかる。実家に絵を描くための小屋があればもしかすると集中できるかも、と思った。もっともっと、毎日絵を描く時間を増やしてみたい。
夕飯を作ろうとしていたらお母さんから電話。今日は結局お母さんから三回も電話がかかってきた。湧水を汲むための容器は忘れていったのだが鉱泉のお風呂の視察へは無事に行くことができてその報告だった。先にお父さんから燃えるほどに赤く染まった紅葉の写真が送られてきていたからそうだろうなとは思っていた。お母さんも同じように紅葉の写真を撮ったからあとで送ると言っていた。どっちが芸術的か見比べてみてとのこと。笑った。こうやって嬉しかったこと、楽しかったことを細かく共有できるって本当にいいなと改めて思った。
好きだ好きだ、大好きだ。ものや言葉や形や色、人、出来事、いろんな大好きを集めてみたら、わたし自身がくっきりはっきり見えてくる。それは絶対に見逃さないでいられるようにしたい。素直に自分に従い動くことでしか見えてこないこの作業を繰り返し、大事に丁寧に育てていきたい。