見出し画像

日記 2024.9.26(木) 新たな視点で捉え直す。

肌寒い朝に慣れてきた。ネルのパジャマを出して着るようになった。毛布も出した。変わっていく季節の空気に少しずつ対応しようとしている。

近ごろ早起きできていない。一日に活力がなくて全体的にだらりとしている。疲れる前に休もうとできているのはいいことだけれど、一日の中に楽しみがあまりないと感じてしまう。季節の変わり目、9月と10月は毎年調子が上がらないのだが今年ももれなくそんな感じになっている。6月から8月まで張り切り過ぎた疲れが出てきているようでもある。冬眠状態というか、完全にモードが切り替わっている状態。

それでも毎日やれることをやる。頭で考え過ぎないで思いつくまま、気が向くところへ行きながら手を動かしたりしてみたい。

今日は二駅隣の八百屋さんまで歩いて行くことにした。にんじんが大好きだから、美味しいにんじんが買いたい、それだけのために歩いて行ってみる。外に出て歩き始めるとなんだか今日はやけに暑いということに気づいた。日差しも強くて湿度が高い。長袖にセーターを腰に巻いて来たけれど半袖でよかったな。

八百屋さんの近くまで来た。開店時間まであと20分くらいあったので大きな百円ショップに寄ってゴミ袋などを買う。百円ショップ店内の照明と匂いが苦手なのでこまめに行くのは避けている。いくつか必要なものがまとまってきたところで行く。必要なものだけ手に取り買う。そうすると無駄なものも買わずに済む。

八百屋さんの開店時間に合わせてお店へ。まだ商品を陳列している途中だった。お目当てのにんじんはちゃんとあった。金時にんじんみたいにやや赤みがかったリコピンにんじんというのがありそれを手に取る。みかん3個入り、ゴーヤ、シークワーサーがたくさん入って100円だったので一緒に買う。

ちょうどお昼時でちょっと懐かしさもあって近くのチェーンの喫茶店?カフェ?へ入る。YouTubeで見かけて食べたいと思っていたナポリタンがメニューにあってそれとルイボスミントティーをフロートにして注文。昔タバコを吸う友だちに付き合ったりして行っていたお店。薄めのルイボスミントティーにフロートの組み合わせは微妙なお味でなんともいえない気分になった。
お口直しにビル街の中にある芝生の公園でお菓子とみかんを食べる。芝生にシートを広げて寝転がる人がいた。わたしも寝そべってみたいけれど直接芝生に座る勇気が出なかった。

家の方へ向かって歩いて帰る。日用品のお店に寄って竹のカゴやアケビのカゴバッグ、頒布のバッグ、エプロンなどを手に取り縫製などをよく見てみる。極細のアケビの蔓やくるみの樹皮で、軽いカゴバッグを作ってみたい。どんなふうに作れば軽いものができるだろう、頭の中で考えてみたりする。今はお店に行っても、商品を買うというよりもどうやって作るのだろうかと考える方が楽しい。

そういえば完成した消しゴムハンコを持ってきたのだったと思い出す。元住人の家の方を通るのでタイミングが合えば帰りに渡そうと思っていたのだった。電話してみると彼は寝ていたようでちょっと寝ぼけていた。眠れなくてまだ一時間くらいしか寝ていなかったらしい。申し訳なく思いながらもハンコを渡しに彼の家へ寄った。

完成したハンコを試しに押してみる。結構待たせてしまったけれど喜んでくれたようでよかった。消しゴムハンコのお礼にキーホルダーを作ってくれるというのでお願いする。弟夫婦の赤ちゃんの名前を書いてもらうことにした。

彼の独特な字はやっぱり彼にしか書けない、唯一のものだなと思う。うまいとか下手とかじゃなく彼自身を表しているのがいいなと思う。文字も、絵も、文章も、すべて作った人を表すものの一部なのだと思う。その人の生活や生き方、考え方全部ひっくるめて作品に染み出ているものが好き。研ぎ澄まされ洗練されたかっこよさよりも、その人の生活から生き方、考え方のすべてを使いながら表現されたものに惹かれる。どれだけ自分を説明できるか、どれだけ自分に素直になれているかが重要なのではないかなと感じる。

色々と最近考えていること、こんなことがあったということを二人で話した。わたしが想像していない答えが返ってくることが多いのでいつもどう思う?と聞くのが面白い。彼も今やっていることに対してどう思うかと聞いてくるのでわたしなりに素直な気持ちを言ってみる。なるほど、と彼も別な視点に気づいたようだった。

キーホルダーに施したコーティングを乾かしているうちに夕飯を食べようということになった。彼の家にじゃがいもと玉ねぎがあって、ちょうど今日買ったリコピンにんじんを一本あげたのでカレーを作ろう。

ルウとお肉を買いにスーパーへ。一緒に住んでいる時も、時々遊ぶ時も彼とはよく料理を作った。スーパーにもいつも一緒に来ていた。まいちゃんともスーパーで待ち合わせて買い物をし合うのが楽しかったな。人とスーパーへ行って買い物をすることがどうしてこんなにわくわくするのだろう。

久しぶりに彼とスーパーへ来た。近ごろ野菜を食べていないという彼に小松菜を買うよう進めてみる。基本的に野菜があんまり好きじゃない彼も、野菜ジュースならば飲める。小松菜、バナナ、彼の好きなゴールドキウイ、お肉と納豆、お豆腐、牛乳、カレーのルウなどをカゴに入れていく。キーホルダーをふたつ作ってもらうことにしたので今日はわたしがお支払いをする。

家に戻りまずはちょっと荒れた台所まわりの掃除をする。調理台の上に散らばるお米、油まみれのコンロを拭いてから料理に取り掛かる。わたしよりもさらに面倒くさがり屋の彼もわたしが片付け始めると流しの周りを掃除し始めた。ひとりじゃやる気にならなかったのかもしれないな。

彼はここ数ヶ月の間、ほとんど家にこもっていたらしい。その間に新しく始めたこともあるけれど、貯金を崩して生活する日々にもそろそろ限界がきていたようだ。料理をし始めるとほっとしたのか、最近の生活のことを打ち明けてくれた。向き合わずお互い作業しながらだんだんと、素直な気持ちが出てくる。

彼の好みはよく分かっているけれど、わざと言葉にしながら料理をする。いちいちことばにする。確認しながらやる。
彼は野菜がごろごろしたカレーが嫌いだった。野菜はこのくらいの大きさでいい?小松菜も入れたいけど細かく切って入れてもいい?いちいち聞いてみる。辛すぎるカレーが好きな彼と、そんなに辛すぎない方がいいわたしと。どのくらいの辛さに仕上げるか、言葉にしながら決めていく。なんでも勝手にやらないで細かく確認し合う、分かっていてもその都度声に出す。思い込まずに察したりせずにちゃんとことばにして話をする。微妙な変化にいつも気づけるようにすること、これはすごく大事なことだと思っている。

久しぶりの普通のカレーはとっても美味しかった。小さく切った具材に彼も満足そうだった。辛さはわたしにはちょうどよかった。お互いの意見を擦り合わせながらできたカレーはやさしさのかたまり。美味しかったね、ごちそうさま。
料理は人を素直にするのかもしれない。一緒にご飯を作って食べているうちに、なんだかお互いの気持ちも晴れてほっとできたような気がする。

自分を信頼してくれている人に会い、やさしさを渡し合う時間が必要だったんだなと思う。毎日、自分自身と向き合っているだけだと見えなくなる部分がどうしてもでてくる。考えが小さく狭くなりすぎてしまうことがある。まったく別の人の意見を聞くことはやっぱり楽しくて面白いことだと思う。自分の中にはなかった新しい考えや視点、感覚が生まれるのを楽しむことができた時間だった。いい時間だったね、ありがとう。

素直な手作りの気持ちを渡し合い、それぞれまたひとりの時間で実践をしていこう。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?