上場企業7.本社移転
社長に就任して1年、人形町の本社を埼玉の工場事務所に移転した。
この件は、経営者の方針、考え方であり、経営会議等で議論するようなことではない。2人の常務に相談し、基本的に大きな問題は生じないことを確認して、全員にオープンした。埼玉の工場に行く部署は社長以下の常務・取締役・監査役と経理・総務などの管理部門の全員とし、営業は都心から離れると仕事にならないから、東京に残るとして新しい(こじんまりとした)事務所を借りることにした。
工場は埼玉県久喜市にあり、久喜駅から会社が通勤バスを用意するが、都心から1時間余りかかり、大半の人は通勤時間が増える。通勤時間が凡そ2時間を超える人には希望により、会社が工場近辺に住居を用意するが、大部分の人は転居せずにそのまま自宅から通勤する。
常勤監査役の1人が本社移転に反対だとのことで、私に意見を言いに来た。色々言うのを我慢して丁寧に聞いたが、要旨がよく分からない。結局明確な障害があるわけではなく、自分を含めて通勤時間が増えるのが気に入らないらしい。喋り方も、社長は何もわかっていないと上から目線で、気に入らない。無視した。
次に経理部長が経理は東京に残してくれと言う。主要な経理部員が辞めるかもしれず、そうなる経理業務が出来なくなる。場合によっては自分だけ工場にいってもいい、と言う。経理部門や総務部門が本社と工場の両方にあるので、一緒にするつもりだし、一部の例外を認めれば収拾がつかない。強引に工場に移した。結局経理部員は全員辞めることなく、通勤時間が増えた分だけ、残業時間が減った。勿論仕事は今まで通りきちんとこなしてくれた。
営業の事務所は人形町近辺を捜し、最終的に築地駅直ぐ近くに三井系の不動産会社が運営するオフィスビルの2階に決まった。広さは、人形町の3割程度、勿論賃料も3割程度だ。会社登記上の本店もそこに移した。
私個人は人形町の賃貸マンションを引き払って、工場と、東京事務所の中間の大宮駅近くに新たにマンションを借りた。今度は会社都合だから、社宅としてもらい、自己負担は半額、人形町よりは少し広くまあまあまともだ。大宮駅から5分程度と、交通の便がいいし、氷川神社の参道に近く、休日の散策も気持ちがいい。新潟、人形町に続いて間違いなく、住めば都だ。