上場企業15.最後に事件勃発
2014年2月、次の株主総会で私が退任し相談役になる事が決まった。67歳だから社長の(暗黙の)定年であり、予定通りだ。次の社長には例によって大株主のJ社の元役員が来る。4月から当社に顧問で勤務して社長の練習をして、6月の株主総会で交代する。2月末には新聞に発表されて、業界に知られることになった。
社長退任後は2年間非常勤の相談役として処遇される。次の社長から何らかの相談があった場合に出社するのが建前だが、よほどのことがない限り相談事などあるはずがない。実質的には無職、カッコよく言えば悠々自適。2年前に退任後を考えて人形町にマンションを購入済みで、無職になったら晴ゴルフ、雨読書&人形町食べ歩きと夢のような生活を考えていた。
ところが、私の社長退任が公表されると、直ぐに、以前から親交のあった姫路の会社の社長(まだ40代)が私に会いたいと東京に来て、T社の社長を退任したら姫路に来て経営を教えて欲しい、代表取締役副社長になっていただけないかとのこと。2年前に別の数社からそれらしい誘いがあったが、既に67歳になっており、この歳での2年の差は大きい。しかしながらサラリーマン生活の最後に関西生活も面白そうだし、毎週京都にも行ける。帰宅して監視人殿に話すと、同じく関西生活も面白そうだと衆議一決、1週間後に先方に連絡して7月から姫路に行くことになった。
個人のことはさておき、時を同じくして事件が起きた。ある日、「Y商事が当社を裏切り、東京地区の販売を、当社製からK社製に変える」との第一報が飛び込んできた。当社水道管の年間売り上げは約3万トン、うちY商事向けの5千トンを失うと大打撃をこうむり、そのままでは会社の利益がなくなってしまう。当社存続にかかわる大事件だ。
5年前、社長に就任した年に、九州の販売店が破産して大きな損失を被ったが、今回は下手をすると延々と尾を引くからたちが悪い。私の任期は6月迄、このままで次の社長に引き継ぐわけにはいかず、ただちに5千トンの取り戻し作戦を練って、動き出した。
作戦の骨子は、当社の販売子会社N社が東京営業所を新設し、Y社東京営業所の所長以下、主要な営業マンを当社に引き抜きいてN社で営業してもらうとのストーリーだ。水道管は建前上、業界3社のどこから購入しても同じものだから、販売にあたっては、営業マンの丁寧で素早い対応の積み重ねが大切。主要な営業マンを引き抜けば、受注もついてくるであろう、との目算だ。
Y商事とK社が、気が付く前に引き抜きの大勢が決まっていなければならず、しかも私の任期は6月迄、最後の最後に厄介な事だが、役割なのだから仕方がない。