ドストエフスキー「地下室の手記」編スタート!【文学ラジオ#11~ 情報まとめ】
こんにちは。人間のニンゲンです。
ずいぶんとnoteをサボってしまいました。しかしこの年末年始、私ただ遊んでいたわけではございません。「ワンとニンゲンの文学ラジオ」、こっそりメイン4本 + 雑談1本更新してます。
お正月の余韻と一緒にぜひお聴きください。
新シリーズ、ドストエフスキー著「地下室の手記」編がスタートです。
本作も現代社会にそぐわぬじっくりさで読み進めております。
今回はラジオを聴いていただくに当たって「地下室の手記」がどんな小説なのかを書いていきます。まだ読んだことないという方の参考になれば幸いです。
■ フョードル・ドストエフスキー(1821-1881)
言わずとしれたロシアの大作家、ドストエフスキー。「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」といった、後期の重厚な作品群で有名です。読まれた方も多いのではないでしょうか。
■ 「地下室の手記」
文学ラジオで取り上げる「地下室の手記」はドストエフスキー作家人生の中期に書かれた作品で、後期の傑作群に繋がる重要作品であるというのが現在の一般的な評価です。
アンドレ・ジッド曰く「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」であるとのこと。
翻訳によって読み味がけっこう異なる。
これは一個発見でしたね。
僕が読んでいる江川卓訳(新潮文庫)の語り手の一人称は「ぼく」で、より内向さを感じる印象、
ワンさんが読んでいる安岡治子訳(光文社古典新訳文庫)は一人称が「俺」で、より激しい語気で自己や世間への憤懣を書いている印象です。
読まれる際は好みのトーンの翻訳を選ぶとよさそうです。
どんな小説なのか。
本作は、遺産相続をして地下室に引きこもった四十歳男性の「書き手」による手記、という体裁を採っています。
この「書き手」、非常に ”拗らせてる” 人物で、この世に拗らせ人多しといえど、この人レベルの者は中々いないのではないでしょうか。
なにせ書き出しがこうです。
どことなく人間失格の『恥の多い生涯を送って来ました。』を思い起こします。太宰が意識していたのかもしれませんが。
話は大きく前半と後半に分かれています。
前半は、”書き手” が、自分がいかに病的な自意識の持ち主で、賢いが故に何も成すことができず、そして世間のキラキラした人々は馬鹿故に成功しており、いかに自分が惨めであるか、そしていかに近代社会が誤っているかということを、拗れに拗れた文章で書き連ねていきます。
こんな感じ。
同じ実存的な問題を扱った小説でも「異邦人」のムルソーはあまり自分の行動を省みないタイプでしたが、「地下室の手記」の書き手はもうゴリゴリに内省をします。
書き手自身が自分が書いていることを信用できない。だから何度も自分の主張を自分で打ち消し、さらにそれすらも打ち消す……というのを繰り返すんですね。
この果てない自己言及の繰り返しが、ロシアの批評家ミハイル・バフチンのいう「ポリフォニー」という概念に繋がってゆくのですが、詳しくはラジオ本編やワンさんの以下の記事をご参照ください。
後半は、「書き手」が20代の頃に経験した屈辱に満ちた記憶を回想します。
知人が企画したパーティーへ、呼ばれてないのに押しかける。そこで主賓に喧嘩を吹っかける。パーティーは最悪な空気になり皆から除け者にされる。「書き手」以外は二次会で娼館へ向かう。無視された屈辱感から「書き手」も追いかけようとするが、娼館代を持っていない。パーティーの幹事に娼館代を貸してくれと頼む。パーティーの邪魔をされた挙げ句、借金してまで付いてこようとする「書き手」に幹事はブチギレながら金を貸す。
その金で雇った娼婦に説教を垂れ始める……。
あらすじだけでも目も当てられないキツさです。実際に本文を読むと「書き手」が実在の人物のように思えてきて、かつ「自分にもこういうところあるかも」という気分にもなり、よりキツさが増します。共感性羞恥を感じやすい人は要注意かもしれない。
一方で「書き手」の語り口や行動が滑稽であるため、けっこう笑えます。ぜんぜんコメディとして読めます。ただし、哀れなコメディです。この絶妙なバランス! 流石大作家ドストエフスキーです。
読んでると哀れになるが、けっこう笑える。そしてドストエフスキーの凄さもわかる。
それが「地下室の手記」です。文学ラジオではドストエフスキーの凄さを「地下室の手記」のテキストを読みながら段々と解き明かして行きますので、興味を持っていただいた方はぜひご一聴ください。
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