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【コラム】『古畑任三郎』の世界観の変化|古畑任三郎大事典

1.3rd seasonにおける銃殺事件

『古畑任三郎』も3rd seasonになると、一般人による銃殺が増える。

3rd seasonにおける銃を使った事件は、

  1. 第2話「その男、多忙につき」(真田広之の回)

  2. 第4話「古畑、齒医者へ行く」(大地真央の回)

  3. 第5話「再会」(津川雅彦の回)

  4. 第10話・第11話「最も危険なゲーム」(江口洋介の回)

と、全10事件のうち、実に4つの事件が銃を使ったものとなっている。

『古畑任三郎』のモデルとなった『刑事コロンボ』を観ているとやたら銃殺が多いが、1960年代から70年代にかけての銃社会アメリカが舞台だからこそ、違和感は特に感じることはない。

翻って我が国においては、2021年に至っても、一般人による銃殺などほとんど耳にしない。それは3rd seasonが放送されていた1999年当時でも同じこと。

※本筋からはずれますので、「日本の銃犯罪事情」などといった統計資料は示しませんが、ご容赦ください。興味のある方は・・・自分で調べてみてください。

『古畑任三郎』では2nd seasonまでももちろん銃殺はあった。すべて挙げると、

  • 1st season 第12話「最後のあいさつ」(菅原文太の回)

  • 2nd seoson 第3話「ゲームの達人」(草刈正雄の回)

  • 2nd season 第7話「動機の鑑定」(澤村藤十郎の回)

  • 2nd season 第9話「間違われた男」(風間杜夫の回)

以上の4つの事件。

そしていずれについても、銃を所持していてもさほど違和感のない人たちによる犯罪である(「間違われた男」については猟銃だし、そもそも犯人所持のものか否かも不明)。

しかし、3rd seasonで銃を所持していたのは、「最も危険なゲーム」のテロリスト一味はともかくとして、メディアプランナー、歯科医、小説家、と、銃を持っている蓋然性が特に高いというわけでもない人たちである。そして、「古畑、歯医者へ行く」においては、大地真央演じる犯人は大胆にも白昼のオフィスビルの男性用トイレで拳銃をぶっ放し、「ビジネスマンを狙った新手の強盗」と見せかけているが、こんな強盗事件、1999年当時も2021年現在も、聞いたことがない。

2.『古畑任三郎』の世界観の変化

前置きが長くなったが、ではなぜ3rd seasonからはこのような「違和感を伴う」銃殺が現れたのか。ここには、『古畑任三郎』の世界は、現代日本社会のリアリティとは一線を画したものにしようというある種の開き直りがあるのだと思っている。

おそらくその開き直りの要因は、2nd seasonと3rd seasonの間に、三谷幸喜が『総理と呼ばないで』を執筆したことにあるのではないかと思う。

『総理と呼ばないで』は田村正和主演で、1997年にフジテレビで放送されたドラマ。概要は以下のとおり。

「ある架空の国」の総理官邸を舞台に総理とその側近たちの混乱ぶりを描くコメディ。1.8%という内閣支持率に総理(田村正和)は苦悩していた。史上最低の支持率に組閣して1か月というのに官房長官のなり手も見つからない。
マスコミからは叩かれ、野党からは不信任案が出るなど八方ふさがり。なんとかあと1か月内閣を維持し在職最短記録更新だけは避けたいと願っている。
妻(鈴木保奈美)は派手好きで仲も悪く、前妻の娘(佐藤藍子)の女優を目指す「お嬢さま」ぶりにも頭を悩ましている。
そんなある日、総理は「お嬢さま」のもとにやってきた家庭教師候補の青年(筒井道隆)を官房長官に抜擢するという破れかぶれの策に出る。

amazon『総理と呼ばないで』DVD-BOX の商品説明より

このドラマは現代日本の政治制度をベースとしているが、あくまで架空の国家の総理官邸。 架空の国だから、それこそもう「なんでもあり」な物語となっている。総理の娘の家庭教師として雇おうとしていたいち大学院生が突然官房長官に抜擢されたり、総理と不仲の総理夫人の代役として官邸のメイドを総理夫人と偽って他国の要人との会合に出席させたり、総理夫人の間男を追いつめるために、総理が警察庁長官に電話して警官を総動員させたり。

このような架空の世界なのだから、と「なんでもあり」なのは、三谷幸喜作品においてはむしろお馴染みの展開であり、1995年に放送された『王様のレストラン』でもやはりそうであった。しかし、『王様のレストラン』が小さなフレンチレストランという、極めて閉鎖的な世界を舞台とした密室劇なのに対し、『総理と呼ばないで』は、総理官邸というこれまた密室劇ではあるものの、国そのものの在り方までをも描くものであり、「三谷幸喜ワールド」が、一気に国レベルで(あるいは地球レベルで)構築されたのである。

『王様のレストラン』で作られた「なんでもあり」のいち市民たちの世界の素地、そしてそれが拡充して一国レベルで形成された「なんでもあり」な『総理と呼ばないで』の世界。これにて、現代日本社会の皮を被った架空の「三谷幸喜ワールド」が、三谷自身の創作活動の土台として据えられることとなったわけである。だから、『古畑任三郎』の3rd seasonで一般人による銃殺が目立つようになったからといって、「リアリティがない」などと言ってみたところで、「そういう世界観なのです」と言われて終い、ということになるのである。

3.まとめ

3rd seasonにおける銃殺への違和感を端緒として、『古畑任三郎』の世界観の変化とその要因について、仮説的ではあるが考察してみた。キーワードは「『三谷幸喜ワールド』の構築」。まだ「三谷幸喜ワールド」という土台が出来ていなかった時に創られた1st season〜2nd season(正確には「消えた古畑任三郎」まで) と、出来上がった後に創られた3rd season以降(正確には「古畑任三郎vsSMAP」以降)とでは、世界観が大きく異なることになったと推察される。

ちなみに、3rd seasonは1997年4月クールでオンエアされる予定が、田村正和主演で別物を、ということで『総理と呼ばないで』が制作されたという説があるが、初期の『古畑任三郎』こそが好きな私としては、3rd seasonは『総理と呼ばないで』より前に制作してほしかったと思うのである。

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