リベンジ夜更かし歴5年。無駄な夜ふかしをやめるのに必要なのは自分の声を聴くことだった。
早く寝なくてはいけないことはわかっているのに、ストレスで余計に夜更かしてしまう現象に真剣に困っている人はいませんか?
この記事では、やめたくてもやめられない夜更かしに5年間苦しみ、価値観を変化させて改善した体験に基づいて、発見したいくつかのことをシェアします。
専門家ではないですが、この体験談を読んだ方が少しでも心軽くなれば幸いです。
夜ふかしの種類
まず最初に声を大にして言いたいのは、私は別に夜更かししたくてしていたわけではないということです。できれば早寝早起きの生活がいいし、睡眠時間は8時間はないときついタイプ。それでもなかなか寝ることはできませんでした。
この記事では私のように、睡眠の重要性は重々承知しており、それでも寝れない、寝たくなさが勝ってしまう、明日が来るのが怖い、早起きしなきゃと思うとなおさら寝れない。といった方へ私の些細な気付きをシェアしたいと思って書いています。
ちなみに、こういった症状のことをリベンジ夜更かしというらしいです。
意識しだして寝れなくなった
私の睡眠について記憶をさかのぼると、中学生くらいまでは努力せずとも吸い込まれるように寝られていたと思います。思えば成長期だったのでいつでも眠かったのでしょう。
高校生になった頃、Newtonという科学雑誌の睡眠特集を偶然見かけて読んでみました。中にはレム睡眠やノンレム睡眠。適切な睡眠時間や目覚めやすい時間帯等の情報が載っていました。
様々睡眠の質の改善のための情報が載っており、私も嬉々として試していました。ですが、当時の私はいろいろな睡眠情報を気にしすぎて神経質になっり、どんどん寝れなくなっていきました。
何をしてたのか(迷走)
寝れなくなった私が何をしたかというと、より多様な睡眠関連本を調べました。高校図書館の睡眠に関する本はすべて読みましたし、本屋さんでも狂ったように睡眠関連本を買っていました。
早起きすると寝つきが良くなると言われれば五時に置き、睡眠に時間前のお風呂がいいと言われればしっかり湯船につかりました。リンパマッサージ、パジャマを変える、布団を干す、様々やりましたが効果は最初の数日だけで慣れるとまた寝れなくなってしまいました。
鬱についての漫画がヒント
そんな時、「パラダイムシフト」という鬱の漫画に出会ったことが膠着状況の打破につながります。(母親が鬱っぽいので読んだのですが、大発見でした)
この漫画の結論を暴力的なほど簡潔に説明すると、作家のEMIさんが鬱を発症してから「アドラー心理学」に出会い、「過去は存在しないこと」、鬱には理由があることなどを知り、それを克服していくといった内容です。(とても素晴らしい漫画で、私などでは説明しきれないのでとりあえず読んでください)
その中で人間の問題行動が五段階で解説されています。
第一段階:称賛の欲求
第二段階:注意喚起(目立ちたい)
第三段階:権力争い
第四段階:復習
第五段階:無能の証明
作中の大きな動きとして、EMIさんがあるとき鬱の症状は第五段階:無能の証明とよく似ていることに気づきます。
鬱には何か意図があって、作用を起こしているというのです。その後も「うつ病に目的がある?」という問いを立て、問題行動は何か意図をもって自分が起こしているという前提から、問題を探っています。
そしてこれは夜更かしにも通じると感じました。「夜更かしに目的がある?」自分が夜更かしを無意識に、けれど意図的に起こしているかもしれないというだけで目から鱗が落ちるような衝撃でした。
うつ病の目的、夜ふかしの目的
鬱については作中に「鬱には言いたいことがあって存在している」「原因は不安であり、不安の理由は自己虐待である」などと書かれていました。
ここで私は「夜更かしも不安から来るのではないか」「自分が何かを訴えたくて起こしているのではないか」と考え始めたわけです。
では「夜更かし君」は何を言いたいのだろうと考えてみると「夜更かし君」を騒がせる「不安」が「明日が来る恐怖」から来ていることに思い当たります。
明日が怖いのは今日に満足していないから
明日が怖い。自分でも、一見何を言っているんだろうと思いました。
周りの人はいい人ばかりだし、美味しいご飯と安全なお家もある。
べつにDVやネグレクトもされてないよね、?
ん、、?自分の意見を無視するのはセルフネグレクトなのか?
もしかして自分で自分を虐待してる?
だから明日に希望が持ててないのかも?
大きな衝撃を受けました。だって、自分が自分をいじめて、そのせいで寝れなくなってたかもしれないのです。
私の中に「明日が怖いのは今日に満足していないから。」という仮説が生まれました。
「自分優先」だけじゃ無い
じゃあ自分をいじめないってなんでしょうか?
まず前提として私は、他人より自分を優先するのは当たり前と考えています。自分を満たしてから出ないと他人も幸せに出来ないとかんじているからです。
でもただ自分優先でいるだけでは十分ではありません。さらに自分の中で自分の衝動と心の声を見分ける必要があると考えます。
心の声とは、世間の価値観や他者の意見に関係なく、自分に無理のない範囲の行動を促すものだと考えています。例えば好きな服、見たい映画、好きな本、好きな食べ物などなどです。
世間の価値観とは、やっておいたほうがいい仕事、勉強、読書などです。
やりたくないのに、「〜するべき」と言った考え方に縛られていると、自分の心は言いたいことを無視されたように感じるのだと思います。
鬱も声を無視していたことで大きくなっていましたね。そして私は夜更かしも自分の声を無視すること(特に身体についての声)で起きると思っています。
世間の価値観より心の声!
自分の声を聞いていますか?
自分の嫌いな勉強を「やったほうがいいから」やってませんか?自分のキャパを超えた仕事をしていませんか?
ご飯食べたいのに我慢したり、トイレ行きたいのに行かなかったりしてませんか?
気づかないうちに「〜するべき」と言った考えに囚われて、身体に力が入ってませんか?
私はずっと自分の声を聴いていませんでした
中高時代は「学校に行ったほうがいい」という価値観に従って、「学校に行きたく無い」という声を無視していました。
大学に入っても「この勉強はやっておいたほうがいい」や、「この本は読んでおいたほうがいい」という価値観に従って、自分が本当に取りたい行動をとっていませんでした。
心の声=衝動 とは限らない
こんなふうに心の声を聴こうなどと言うと、心の声を衝動と混同してしまうことがあります。
例えば、とても疲れているときご飯を食べすぎてしまったりします。そうすると、その時は満足するかもしれません。ですが後々お腹が痛くなったり、太ったりして公開し、その時の自分を責めたり、自己嫌悪に陥ったりします。
これが「一時的な衝動」に動かされている状態です。
こういったときは深呼吸などをして、自分の心に「ほんとは何を食べたいの?」などと聞いてみます。そうすると、食べたいメニューなどが浮かんできます。それをゆっくり味わって食べるようにすればあまり量はいらないというのが私の実感です。
睡眠は日中の総合評価
睡眠に関してそれがどうかかわるかというと、「日中自分の声を聴いて満足させる」ことで、次の日への希望が持てるようになるのです。
当たり前ですが、誰しも訴えを無視され続けたら不貞腐れたり、諦めの気持ちが芽生えるものですよね。
これが自分に対しても起きているのではないかと思うのです。
すなわち、日中自分の心を無視していると、どうせ明日も無視されるんだろうな、、と心が諦めモードに入ってしまうので、明日が来てほしくない、寝たくない、リベンジ夜更かし、、とつながるのだと私は考えています。
あとがき
ここまでつらつらと書いてしまいましたが、一つ注意しておきたいのは私がこの分野における専門家ではないということです。あくまで参考程度に。。
皆様それぞれいろいろあると思いますが、この話が皆様の人生の道を切り開くヒントになればうれしいなと思います。