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【4コマ漫画】50年前のあこがれ、の24色クレヨン💗

50年前、私の子供の頃は 16色入りのクレヨンがよく使われていた。
中には ちょっと珍しいサクラクレパスとか 24色入りのクレヨンを使っている子も。

そういう ちょっといいものを持っている子は ”すごいでしょー”とみんなに見せて、”わーすごーい” とみんなは驚く。

私は そういう特別な物を親に買ってもらったことはなかった。

この授業参観日 なぜか私は 母がいつもと違う20色か24色入りのクレヨンを買ってきたのではないかと一瞬期待。

母が私の席まで来てカバンから出したのは、やっぱりいつもの16色入りのぺんてるのクレヨン。母は私が新しいクレヨンを当然喜ぶものと思っている。

六歳の子供の心
当時 私は六歳。
母の思いも理解し、私の不遜な期待とがっかりする気持ちは 母を傷つけるのではないかという 過剰な思いやりを すでに身につけていた。

それは 持って生まれた 他人の感情に対する過敏性か、
ひどいカンシャク持ちで 精神的に不安定だった父の影響、
または 六歳という年齢は そういった複雑な感情を持ち始めるとしごろだったからかもしれない。

参観日には必ず来ていた母
当時母は農業の仕事でいつも忙しそうにしていたし、それほど教育熱心ではなかった。
それなのに 参観日 担任との懇談会には必ず来ていた母だった。

その疑問を つい最近 電話で直接母に尋ねてみた。
”お父さんが 行けって言うからね。 仕方がないから行ってたよ。”
数十年後に知る事実。
母ではなく父が 授業参観、担任との懇談会に積極的だったということ。
なるほど。意外な父の側面だった。

思い出や記憶は 幼さなかった当時の自分が知ることに限られるので、偏った見方である場合が多い。自分が成長することによって、それぞれの立場を理解でき だんだん事実に近づけるのだろう。
母が年をとり、父が他界しても 私と彼らとの関係は変化する可能性があるのかもしれない。
私が 成長する限りにおいて。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます💗





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