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【4コママンガ】昭和のサバイバル生活、薪の風呂たき。

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50年前 昭和の北海道。子どものお手伝い、薪でお風呂をたく。

6,7才から風呂焚きは私の役割
 
私は、かなり小さい時から風呂焚きをやっていました。幼稚園か、小学校の一年生から毎日。

屋敷林 
家には 屋敷林があって家の周りがうっそうとしていました。両親はその林を整理しながら、薪を作っていたようです。

私がもの心ついてから小学校6年生くらいまで その林からの薪は 風呂焚き用には十分でした。

その間に屋敷林はすっかりなくなるほど整理されて、父の興味は庭を作ることに変わっていきました。

倹約家の父 
このような状況だったので、薪を処理するためにも薪の風呂釜が必要でした。
使えるものはなんでも使うという、昭和の人らしい、または倹約家の父らしい考えです。

父の子育て方針 
それに加えて、父は子どもは家の手伝いをするのが当たり前、勉強ばかりしていても頭に入るわけがないという考えでしたから、
私と姉は 小さい時から家事はもちろん、農作業の手伝いもしました。

その頃はすでに農家の子供でも、家の手伝いをする人はあまり多くなかったように思います。子どもには勉強をさせるという意識が広まっていました。

薪の風呂焚きは大変か?
小さな子供が薪を運び、風呂を沸かすことは 大変に思われるかもしれませんが、実は そうでもなかったんです。

私は 風呂をたくのが好きでしたし、
幼稚園の頃から毎日欠かさず、薪で風呂を焚いていたというのは自慢でもありました。
”すごいでしょ”って。

実際、私にとっては風呂焚きは遊び感覚でした。
薪にうまく火が付いた時はうれしい。

焚き付けの時には、読み終えたマンガ雑誌を使うことが多かったのですが、一枚ずつ読み返しながら破って、薪に巻いて使っていました。
当時読んでいたのは、小学〇年生、りぼん、なかよし。

両親は農家でしたから、外で仕事をしています。
私は誰にせかされることもなく、マンガを読み返しながら、のん気に風呂焚きをしていたのです。

焼きぐるみ 
秋には屋敷林からクルミをとってきて、風呂釜に入れて、焼けたものを姉と二人でつついて食べたり。
大人に干渉されない 子供だけの世界でのひそかな楽しみでした。

子供ができることもたくさんある
子供には個人差があり、それぞれに得意なこと不得意なことがありますが、
私たちのように、子どもでもなんとかやり切ってしまう場合もあります。

もちろん、そこには危険が伴うことも多くあります。
幸い 私たち姉妹は 大きなけがをせずに過ぎました😅

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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