思いやりは心を温かくするが勇気もいる
みなさん、こんにちは。おかぴです。
無職マンの100日チャレンジ72日目の投稿です。
①毎日1つ心が喜ぶことをやる
⇒新しい日本語・表現を学ぶ
②毎日1つ新しい学びを発信していく
⇒思いやりは心を温かくするが勇気もいる
意識すると言葉って面白い
昨日で終了した東京パラリンピック。閉会式が感動的でとても印象に残っています。
特に「ハーモニアス・カコフォニー(調和のとれた不協和音)」という閉会式のパフォーマンステーマを聞いたときは、つい「あ、いい言葉だな」とつぶやいてしまいました。
調和のとれた不協和音のように、凸凹の言葉の組み合わせって印象に残りますね。
うーーん、自分も使ってみたいですがパッと浮かばない…
”無知の知”とか、”賢い馬鹿者”とか…ワタシニハマダムズカシイヨウデス…
人を思いやる行動を起こすのは勇気がいる
今日はどうしてもこの話題を書きたくてnoteを開きました。
というのも、タイムリーに”思いやりの行動”について学んだからです。
夕方にスーパーで買い物をしたときの話。
車いすに乗りながら、カートを押して買い物をしている中年女性を見かけました。その女性は右手でカート、左手で車いすを押して苦戦しています。
でもカートのかごは、ほぼいっぱい。手伝いなんかいらないかな、断られたらな…と思って一度は躊躇してしまいました。
一度立ち去って自分の買い物をしようかと迷ったのですが、チラ見するとやっぱり困っている様子。Uターンして「すみません、もし良かったらお手伝いしましょうか?」と勇気を出して声をかけました。
すると中年女性は「いいんですか?じゃあお願いしようかしら、押してもらえる?」と私の声掛けを受け入れてくれました。
もしかしたら女性は1人でも買い物はできたかもしれない、もしかしたらほかの人が声をかけたかもしれない。それでも今日あの時あの瞬間で小さい勇気を出して良かったなと思えました。
それと、一緒に買い物をしたのはたったの10分程度でしたが、とても私の心が温まりました。
「私が善いことをしたから」とか「ありがとうと言われたから」とか理屈っぽい理由ではなく、もっとシンプルな「心を配り、心が受け入れられた」という言葉にできない何かが自分の心をほっこりさせたのだと感じます。
私にとって今日のスーパーでの10分は「性別・年齢・地位・立場・状況・利害・価値観」の壁が見えなくなった瞬間でした。
パラリンピックでは多様性に焦点が当てられていましたが、パラリンピックだから、ではなく日常から個々人の”らしさ”を受け入れられる社会になってほしいと切に願います。
1人でも多くの人がオリンピック・パラリンピックをきっかけに多様性に目を向けるようになればいいですね。
それではこのあたりで失礼します。
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