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「自分はない」が当たり前になるまで
8/9 こころセラピスト講座 宇宙の法則編 第5部 『諸法無我』
「自分はないんですよねぇ」
9年前、初めて故松井先生(おうち整体®創始者)の心の勉強会(通称ここ勉)に参加した時に先生が言った言葉だ。
そのあとに
「何を言っているのか意味がわからないでしょう?」
と、笑いながらおっしゃっていた。
もちろん何を言われているのか全くわからなかった。
霊的な話をしているのかな?
私たちは今幻覚を見ているってこと?
そんな風に思った記憶がある。
その後何度も勉強会に参加したけれど、なるほど!と膝を打つような納得感はいつまで経ってもやってこず、先生がおっしゃる「こうしていけばいいんですよ」ということを、今はとりあえずただひたすらやっていくしかないなという感じで聴き続けていた。
時は経ち…。
松井先生が亡くなって、今の代表理事まーくさんがここ勉を引き継がれ、お話の中身も体系化されて分かりやすく順序立てて聴くことができるようになった。
でも正直それでも「自分はない」はあまりよくわからない。
何度も何度も聴いた頃、やっとその意味が何となく分かってきたような気がした。
「自分がない」とは、最初私が思い描いていた物理的に存在していないということではなく、私が自分だと思っているものは果たして自分ではなくて、自分だと思っていた境界線こそが私を苦しめていたのだ、と。
(こんな時私の語彙力の無さと、言葉というもののナンセンスさを痛感するのだが、それも致し方ないのだなということも学びの途中で同時に分かってきた。)
だがそれからも私は聴き続けた。
もっともっと納得したかったのだ。
そうしていくうちに前よりも更に自他の境界線は薄くなり、徐々に「なるほど自分はないのだな」と思えるようにもなってきていた。
そして先日。
また久しぶりに聴いた。
そして気がついた。
あぁ。
私まだちゃんと「自分がない」を分かっていないんだ、、、と。
確かに頭では整理出来つつある気がする。
言葉の意味も追える。
ただ、自然とそう思えるほどの実感がまだまだ足りない。
それくらい「自分はない」を実感するのは容易ではないんだなと改めて思う。
でもそりゃあそうだ。
今まで当たり前のように「自分」を意識して生きてきたのだ。
「自分」を確立できないが故に悩み苦しんでもきた。
何となく無言の圧力として「それを探しなさい」と言われてきたのにも関わらず、ここに来て「そんなものはない!」と言われたら脳内がバグを起こしても無理はないと思う。
「自分なんてないんだよ」と言われた時、「そんな訳ないじゃないか!」と思えばそれはそれで終了なのだろうが、「意味が分からない!」と毒づきつつも深層心理ではどこかで「そうなのかもしれない」もしくは「そうであって欲しい」と思っていたのかもしれないと今となって思う。そうでなければ、分からないと言いながらここまで9年も食らいついてはこれなかったはずだから。
9年という年月を思う時、
何事においても「長ければ良い」というものでは無いと強く思う。
人間としての年齢もそう。
ただただ歳を重ねれば素晴らしくなるということでは無い。
重ねる年月の中で、何を思い、話し、どんな行動をするのかがその先を左右する。
私は協会の中では、故松井先生に会ったことがあるいわゆる古参と呼ばれている。
松井先生に会ったことがあるなんて羨ましい、そんなに長く学んでいるなんて別格な人だと度々言われてきた。
確かに、おうち整体®を創られた松井先生に直接会って話し、施術を受けたことは、私にとっては人生におけるラッキーの一つではある。けれども、正直松井先生から学んだことよりもその後継者であるまーくさんやあっちゃんから学んだことの方が遥かに多い。それくらい松井先生のことを知らない。
ましてや別格な人だなんてとんでもない。
おうち整体®ってすごいなと思って学び続けやり続けてきた、ただそれだけであって、やっている今もわからないものはわからないし、できてないこともたくさんある。
ただ一つだけ誇れるとしたら、何事も三日坊主である私が9年間という長きにわたっておうち整体®を続けてこられたということだけ。それだって、おうち整体®というものが実際続けたいと思うほどいいものだったということと、私には続けられる環境が揃っていたというだけのことなのだ。
話が大きく逸れるのは私にとって常なことだがここで話を戻す。
もともと私はカタカナ語や人名や難しい言葉がすごく苦手だ。だから今回の「諸法無我」についても内容がすっと頭に入ってこない。(本当は単に難しい言葉だからというわけではないのだけれども。)それでも何度も何度も聴いていくことによって、やっと枠組みのような部分を手に入れることくらいはできてきた。だけど、そんな難しい言葉を追うことは実はそんなに重要ではないと思う。なぜなら、まだまだ全然わからないと言っている今の私でも充分生きる苦悩からは解放されてきているから。
仏教は今を生きる我々が幸せに生きるための方法を教えてくれるもの。
我々が幸せに生きられるようになれば万々歳なのだ。
真理はひとつだが、それを手を替え品を替え伝えてくれるお釈迦様。
「自分がない」ことを知る「諸法無我」の他にも学ぶところはたくさんある。いろんな角度から学び、日常でそれを実感実践していくことで「自分はない」を知るためのパーツも少しずつ集まっていく。
だから学び実践し続けていけば自ずと腑に落ちてくるのだろう。
期間の長短は関係ない。
学んだら実践、学んだら実践。
その繰り返しこそが自分の中に真理を染み込ませていけるんだと改めて思う。
私が心を学び始めてもうすぐ丸9年。
まだまだ先は長い。