青虫と夏
今年の夏、玄関先のプランターに5匹の青虫が住みついた。
住み着いた葉っぱは、種から発芽して15cmほどに成長したカーブチー(沖縄原産のミカン)、タンカン、シークヮーサーで世界遺産にも登録された沖縄本島北部のやんばる産だ。
青虫が葉っぱをかじるとさわやかな柑橘系の香りが立つ。旨いはずである。
片っ端から食べ尽くしてしまうので、葉っぱが数十枚しかない痩せっぽっちの小枝は、あっという間に丸裸だ。
葉っぱを端から跡形もなく食べる姿はサンマの塩焼きをキレイに食べる人のように見える。
モゾモゾと動きだし、逆さになったり、クネッとくの字になる。
顔だけ真横に向けた時のクシャっとなった目玉模様は蝶野正洋さんにビンタされた直後の月亭方正さんに似ていて面白い。
細い枝にしがみついている吸盤はプニュっとしていて愛らしいし、いたずらで息を吹きかけた時の、嫌そうに目玉模様に横にシワを寄せる仕草はキュートだ。
さっきからキュートだの、愛らしいだの連呼しているが、絶対に触れない。
手に乗せたり、グワシっと捕まえたりなんか出来ない。
正直、目玉模様の先っぽから丸い頭を出ている姿はエイリアンのようで気持ち悪い。
でも、キラキラしたタレ目ぎみの目玉模様はやっぱりかわいい。
毎日、観察するようになって1週間後、突然1匹がいなくなった。青虫はサナギになる直前、ワンダリングと言ってサナギになる場所を探し、さまようらしい。
1匹いなくなったプランターはちょっと寂しくて、夫は「いなくなる時はどこに行くのか教えてほしい」と呟いた。
それからというもの、日を追うごとに1匹 、また1匹といなくなる。
無銭飲食にも程があるし、ごちそうさまの挨拶すらなしだ。我が家の玄関先で立派な青虫に成長したのだから、安心してここで蝶になればいい。
ちょっとやさぐれる。
そしてお盆が過ぎる頃、とうとう1匹になり、その1匹も徘徊し始めた。ちょっと目を離すと明後日の方向にニョキっといざる。
もうじきこの子もいなくなるんだと思ったら行動せずにはいられなかった。
プランターごと大きな紙袋に入れて、柔らかいネットでフタをし、所々をホチキスで留めた。
青虫にここにいてほしい、ここでサナギになって蝶になってほしい一心だった。
ところが予想外の出来事が起こる。
夜、大いびきをかく前に安否確認をしようと紙袋を覗くと、もぬけの殻だった。
大捜索の末、青虫は紙袋近くの壁に張り付いていた。
紙袋の中でなんかサナギになれるかっ!と訴えているようでもあった。
自分たちの都合で紙袋に閉じ込めたことを後悔しながらも明日の朝にはどこかに行ってしまっているであろう青虫を思い、ワンワン泣いた。
青虫がいる8月は毎日心が弾んで楽しかった、思い出すだけで次から次に涙が溢れる。
「達者でなっ!!」そう叫ばずにはいられなかった。
夫はゲラゲラ笑い、「でも触れないんでしょ?」とからかう。
そう、今でも絶対に触れない。
翌朝、まだまだ眠い体をようやく起こして、恐る恐る玄関の外に出る。
半分寝ている目をこすりながら見たもの、それは、サナギになろうと体を凝縮している青虫だった。
思いが伝わったのか、はたまたワンワン泣いてる私を不憫に思って、心ならずもこの場所でサナギになろうとしてくれたのか。
とにかく空気を読んだ青虫はどんどん縮んで翌日には立派なサナギになっていた。
10日から2週間で羽化するというが、ここのところの急な冷え込みで羽化するタイミングが読めないのだろうか、2週間が過ぎてもサナギは固いままである。
来る日も来る日も朝晩にはサナギの前でしゃがみ込みジッと見つめる続ける日々が続く。時々ピクンッと動くので、「生きているよ」のサインに思えて一安心していた。
サナギになって3週間、早すぎる秋の長雨の走りが過ぎた曇天の朝、サナギは立派なクロアゲハになって私の前に現れた。生まれたての羽の黒は、みずみずしく、深く色づき、多彩な色が混ざった故にたどり着くような黒である。所々にオレンジの勾玉のような形の模様がより一層黒を引き立たせている。
ふわりと不安定に飛ぶ黒い羽を、雨上がりに広がる雲が迎え入れた。
変化することの運命を静かに受け入れ、時にはジッと耐えてその時を待つ。慣れ親しんだ場所も振り返らず、変身することに適した場所をなんとしても探そうとする信念の強さを青虫は教えてくれた。
蝶には蝶道があるという。
今回、サナギから孵ったクロアゲハはメスの可能性が高い。2週間の短い蝶の生活の果てに素敵なパートナーを見つけて、黄色い卵を産みに来てもいいのよと思う。