沖縄の話ではないこと。私のバーバー・その③受け継ぐもの
母と妹の私の3人は、ばーばーの洋裁店を久しぶりに訪れ、ばーばーの仕事道具を眺めた。
妹は次から次と道具を手に取り、持ち帰り用の段ボールに入れ、仕舞いには壁にかけてあった柱時計に目を付けた。母によると昭和初期の代物らしい。
今までは気にも止めなかった柱時計が妹の目線で輝き出し、お宝感を主張し始めたので驚いた。
肝心の足踏みミシンの行方については結論が早かった。既に動かない事が分かっているが、作業台も含めて保存状態が良い足踏みミシンはレトロな置物として楽しみたいと妹が手を上げた。私はやはりばーばーが一番良く使っていた足踏みミシンを実用的に使いたかった事と、ミシン台の上に置いてあった糸切りバサミとこのミシンはセットのような気がする直感で、晴れてモーター改造済みの足踏みミシンは私の物になった。もちろん糸切りバサミもこっそりポケットに忍ばせる。
洋裁店の中をゆっくり眺め、私はどっぷり押し寄せて来た現実に息が詰まった。
私は気づく。
この古めかしい洋裁店は、ばーばーの右腕でも、相棒でもなく、2人で1つの世界だったということだ。どちらか片方がこの世に残るという選択肢や運命は存在しない。どちらかが無くなれば、もう片方もこの世には留まらない決まりごとが両者の間にはあって、令和でのルール変更は残念ながらなかった。
私は洋裁店の賃貸更新が出来なかった事が、ばーばーにとって、「仕方ない」とか「寂しくなる」とか、そんな生易しい感情の振るえ方なんかではなく、自らの世界が閉じていく音を強制的に聞いた出来事だったのではないかと受け止めていた。
そして、私達家族にとって、洋裁店は沖縄でいう「御嶽」のような存在だったのかもしれない。
「御嶽」とは、沖縄における神が存在し、祖先神を祀る場所。地域を守る聖域。聖域を守る者は女性で王国時代は男子禁制。ばーばーは紳士服は一切作らず、婦人服だけを作っていた。
御嶽の中でも琉球王国時代の沖縄本島最高の聖地、「斎場御嶽」は久高島に巡礼する国王が立ち寄る御嶽だった。琉球の創世神、アマミキヨが国づくりをしたその久高島で行われる秘祭「イザイホー」は12年に一度の午年に行われる。
偶然、ばーばーは午年生まれだ。
こじつけが過ぎると自覚している。しかし、こんな偶然と思い込みが今の私には必要性なのかも知れない。
私達家族にとっての洋裁店は生活に根付き、時に頼りにしたり、集まったり、立ち寄ったりする場所。また、ばーばーの仲間達が集まったり、立ち寄ったり、それ以外の地域住民も集った。洋裁店に立ち寄ったおばぁちゃんの体調の異変をばーばーが察知し、救急車を呼んで一命を取り留めたと言うエピソードもある。そーゆー意味では洋裁店は地域も守っていた。
私の御嶽が無くなっても、帰省するたびにネチネチと元洋裁店の前を通っては、ばーばーの才能を幾ばくか受け継いでいるであろう私の洋裁の血はいつ騒ぎ出すのか、と言う問いを投げかけ続けるつもりだ。
おわり。