ディベート教育を今すぐやめろ③


ディベートで勝つ技術は現実ではほとんど意味ないどころか害が多いです(選挙活動とかは例外だが本質的には一緒)
医療現場を例に、ディベート能力を育てるのがいかに不毛かについて説明します。

現実世界で学校で行われるようなディベートをそのまましてしまうと、とんでもない損害が出たりします。
医療現場では、患者の命、多くの人の健康、膨大な額の金、時間などが無駄になります。
ディベートで片方が勝ったとして、結果患者が不幸になったら、何しているこっちゃわかりません。

目的のために共に前進するディスカッションが消えて、ディベートになってしまう事態に特に注意せねばなりません。

医療を例に、ディベートやめた方がいい根拠をいくつかあげて説明していきます。

三つ目は、ポジショントークが入る、です。

ディベートでは、自分に関係のないテーマで話すことが多いと思います。
フラットに相手と自分の意見の違いを分析することができるかもしれません。

でも、実生活でディベートをすると、自分が主張する話題の多くは、希望、願望、妄想、自分の役職、役割、今までやってきたこと、信念、信条などに関係のある、もっというとそれらに矛盾しない、偏ったものになりがちです。

しかも、主張するからには、言いたい、聞いてもらいたいんですよね、その時点で、意見の違いや根拠をもとにしたものとはずれているかもしれません。

つまりディベートに見えて、実際にはポジショントークの要素があるってことです。

加えて、僕の意見ですが、年齢の影響もあるのではと思います。

10代、20代であれば、収入や守るべきものが乏しいですが、
30代以降になると、社会的な名声、地位、収入、家族など失えないものが増えてきます。
変化もどんどん怖くなってきます。

そうなると、自分にとって大切なものを失わないための意見を主張しがちです。

例えば、クリニックを開業されている医者(大体ベテラン)にとって、スタッフが新型コロナウイルスにかかって休むことで営業ができなくなってしまうと困るため、「発熱している患者さんはお断り」の貼り紙を貼っておいて、医療機関なのに患者を拒否するとかですね。(実話)

こういうことが自然に行われるようになります。

なので、自分が何十年も捧げてきた肝細胞癌の治療法は、あんまり効果がなかったとわかると、「でも、効果はあると思う」みたいな意見を主張し出したりします。このようなディベートは、現実と乖離しがちで、意味があんまりなくなってしまいます。

相手の主張を論破して、ディベート能力があるように見えても、実際にはみんなにとって良いというわけではなく、本人にとって都合のいい内容かもしれません。

現実世界では、公平なディベートなどほとんど行われません。ディベートになっている時点で、何かのインセンティブがかかっていると見た方がいいと思います。

続く