【読書記録】存在しない女たち
おすすめ度 ★★★☆☆
ボリューム系フェミニズム本。量も質もすごいので、少しずつ読んで2週間以上かかった。ふぅ。
原題はinvisible women、副題は「Exposing data bias in a world designed for men=男性向けにデザインされた世界のデータバイアス」とあるように、この本はデータ、データ、データに次ぐデータである。
社会のあらゆるところに潜むジェンダーバイアス、目に見えないもの、意識すらしていないものを徹底的に、重箱の隅を突きすぎて重箱こわれるくらいにほじくりだしている。
私は自分をフェミニストだと思っているが、この本には共感する部分もあれば、できない部分もあった。頭を整理するためにも、両方残しておきたい。
男性向けにデザインされた世界とは?
著者のスタンスは、「世界は男性を基準にデザインされている」というものだ。しょっぱなからゴリゴリにフェミニズムである。
例えば「man」という単語は、「男性」だが「人間」という意味もある。一方で「woman」は女性という意味しかない。
「actor」または俳優は男女どちらも指すが、「actress」または女優は女性である。
スポーツも「サッカー」「バスケ」といったら、まず「男子サッカー」「男子バスケ」を指す。女子は、頭にわざわざ「女子」をつけて報道される。
つまり、標準は男性であり、女性は亜種、付け足しという扱いになっている(というのが筆者の主張だ)。
女性が少ないというデータ
言葉尻だけ捉えられても、、、という人向けに、実際のデータを見てみよう。
国際研究において、一般向け映画に登場するセリフのある役柄のうち女性の登場人物は28%しかおらず、スクリーンに映る時間も男性の方が平均2倍多い。さらに群衆のシーンに占める女性の割合は17%しかいない。
ニュースでの発言、記事の割合も、女性は24%。
アメリカの歴史の教科書に登場する男女の割合は、100:18
などなど、とても全部は書ききれない。
巻末の参考文献は、50ページにも及んでいる。
女性のデータが少ない
というか、そもそも女性のデータが圧倒的に少ない。標準的な人間=manつまり男性とされているからだ。
例を挙げていく。
車の安全テストに用いられるダミー人形は「標準的な人間」として設計されて、「身長177センチ、体重76キロ」だった。
明らかに男性の(しかも白人男性)の標準だ。
最近、このダミー人形の男女差によって、事故時の女性が怪我をするリスクが優位に高いということが明らかになったため、女性を基準にしたダミー人形も作られるようになった。が、2018年時点で安全テストに義務付けられてはいない。唯一EUのあるテストで要件とされているダミー人形は、標準的な女性としては小さすぎて、平均の下から5%の身長だという。(これが白人女性なのかは言及なし)
そもそもヘッドレストの位置やアクセル・ブレーキの位置が女性を考慮しているか、というデータや研究自体がない。
また、ピアノの鍵盤の1オクターブは、標準的な女性の手幅には大きすぎる。それによって手を痛めるピアニストの割合も女性が圧倒的に多い。
カーナビの音声認識ソフトは、女性が話すよりも男性が話す方が70%も正確に認識できる。(それに対してカーナビの会社は「女性に必要なのは、音声認識ソフトを使いこなすトレーニングとそれに取り組む覚悟だ」と発言した。覚悟?)
怖いのは、医療だ。薬理学論文の90%は男性のみを対象としている、動物実験で動物の性別が明記されたもののうち80%はオスだった、女性に多い疾患の動物実験でも、オスを使っているケースが圧倒的に多い。
それにより女性の病気が見つかりにくい事例も紹介されている(エピソードベースなのでデータとしては微妙)
なぜなのか
ふぅ。厳選して省略してもこれだけの分量になってしまった。
ここからは所感。
始めのほうは、あまりにフェミニズムに有利なデータばかりなので、「これはフェミニストが選んだデータだから恣意的なのではないか?」という疑問が浮かんだ。
しかし、あらゆる面(文化生活・教育・産業・労働・医療・災害)での定量定性データを見せつけられると、「存在しない女たち」が存在することを認めざるを得ない。
大半は、悪意はない。(本には、悪意のある男性や男尊女卑思想もバリバリ載っているが、話がややこしくなるので割愛)
悪意も作為もなく「自分」を標準にして意思決定した結果、男性中心になっている。つまり、意思決定層に男性が多いことが、一つの根本的な原因なのではないかと思う。
自動車開発、医療研究、ピアノの設計、あらゆる意思決定層にもっと女性が増えれば自然と「これ、女性(私)のこと考慮してないですよ」と疑問が出るんじゃないか。だって、自分のことだから。
自分以外は、見えにくい
この話は、男女の問題だけじゃない。
少し意地悪な見方をすると、この本のデータには明らかに「アジア」の視点が足りない。データや研究、参考文献は9割がた西洋のデータだ。
日本・韓国・中国はジェンダーギャップ指数が悪いはずなのだけど。
つまりInvisible Asianがある。
だけど、これはおそらくアジア人である私だから気づくことで、この本を書いた著者は気づかないだろう。むしろ2,3例を挙げただけで書いたつもりでいるんじゃないか。
自分以外の視点を入れるのは、誰にとっても難しい。
逆に男性からみたら、世界はどう見えるだろう?
夫は、痴漢と間違われないように細心の注意を払っているというし、レディースデーや洋服屋の女性服のバリエーションを羨ましいという。
(我が家のジェンダーギャップは限りなくゼロに近いのもあり、夫に同情する部分は多い)
男女だけではない。
お金持ちの視点、貧しい人の視点、障害者の視点、グレーゾーンの視点、
政治家の視点、ニートの視点、会社員の視点、自営業の視点、高齢者の視点、子供の視点、教師の視点、、、、無数に思いつく。
究極を言えば、一人一人視点は違うし、誰もが「自分が尊重されていない!インビジブルな存在だ」と不満に思う部分があるだろう。
みんなをビジブルにできるのか
じゃあ、みんながみんな「自分を尊重すべきだ!」というべきだろうか?
それは不毛な気がする。
みんなちょっとずつ我慢してるんだから、みんなを尊重することは無理なんだから。
だけど、少なくとも男女の数は半々なのに、これほどまでにデータが男性に寄っているのはおかしい。
こうした本で可視化され、主張の裏付けがされることは、大きな一歩になるはずだ。そうなるとやっぱりどんどん主張することも大事なのよね。
このように私の中にも葛藤が生まれた。
人間一人でもこれだけ多面的なのに、何十億人もいる人間がみんな納得するなんて無理だな、と思えてくる。
これが多様性なのか、むずすぎる。
でも結局、無理だからと言って思考停止せず、考え、行動するのがよいんだろう。
選挙で自分の属性に近い人を選ぶとか、ジェンダーバイアスを感じるものについて子どもと話すとか、女性経営層を増やした会社にいいねするとか。
ちっちゃいなぁ、と思いつつ、できることをやってくしかないのだと思う。
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