
障がい児のための「日々の生活」の場を考える|第3回 スタッフとの信頼関係を築く上で欠かせない“泊まり込み体験”
中島 究(きわむ)
日建設計 設計監理部門 設計グループ
ダイレクター
日建設計は、1999 年から 2023 年の 25 年に渡り、障がい児者の生活空間のあり方を 10 のプロジェクトにおいて思索、実践してきました。
今回、この note という媒体を用いて、これまでの私たちのとりくみの軌跡を全8回で振り返るとともに、将来へ向けて、障がい児に寄り添い、私たちができることを考える機会としたいと思います。
「視察」ではなく「体感」する
第1回で私たちは障がい児が暮らす環境についての知識が非常に乏しい状態であったことをお話ししました。ですから、まずは障がい児とスタッフの日々の生活の状況をつぶさに知るために、「24時間の泊まり込み体験」を行うことにしました。この「泊まり込み体験」は、その後のプロジェクトでも行ってきました。利用者が眠っている真夜中もスタッフは働いています。一般的な設計プロセスでは、ある時間だけ既存の建物の状況を「視察」して設計検討を行いますが、これでは利用者・スタッフの皆さんの日常生活を把握することにはならないと考えたのです。
また、びわこ学園以降、泊まり込み調査の際には可能な限りスタッフのお手伝いをさせていただきたいとお願いしてきました。実際に活動のサポートを体験することによって、スタッフの日々の業務の一端を「体感」でき、スタッフや利用者の気持ちや日々の困りごとへの理解をより深めることができないかと考えたのです。
例えば入浴介助の際、利用者を抱き抱えてお風呂に入れたり、車椅子やベッドに移乗したりすることがありますが、その動作の繰り返しによってスタッフの多くは腰痛に悩まされています。いかに人が重いかを体感して、スタッフの気持ちを理解するかが大切です。またオムツ替えも体験しました。当時私はまだ自分の子供がおらず、おむつ替えというものをしたことがありませんでした。
この入浴介助の体験は、浴室周りのプランニングや利用者を移乗させるためのリフトの計画に活かされましたし、オムツ替え時の汚物の匂いのこもり具合を実感できたことで、換気のための部屋の窓の配置や風の抜け方などの提案やオゾン脱臭装置採用などの設備システムの検討につながり、さらにオムツ替えの際のプライバシーの確保のためのプランニングや設え、そしてオムツではなく利用者が自力で排泄ができるようになるための意欲を引き出すプランニングなどに役立てることができました。
これらの入浴や排せつに関しての取り組みは、後の回でご紹介します。


泊まり込み体験の具体的な流れ
この24時間の泊まり込み体験は、想像をはるかに超えたハードなものでした。24時間、つまり早朝から深夜までの間に建物で起こっていることを体験するため、前日から現地近くのホテルに宿泊し、日が昇る前に建物に訪問して、深夜までスタッフの仕事ぶりを見届けた後、またホテルに帰るという2泊3日の行程となりました。
さらに、一日中スタッフの皆さんと行動を共にしたため、ずっと立ちっぱなしの状況となり、腰痛とふくらはぎがパンパンになることもありました。
また建物の運用はいくつかの部門(居室、診察、リハビリ、厨房、事務等)に分かれており、それら全てを理解するため、時間割を立てたり、数人の設計者が手分けをしたりして、とにかく建物の隅々まで、かつあらゆる時間帯の利用状況を把握することに努めました。このようにしたとしても、日常生活の100%の状況を把握できるわけではありませんが、少なくとも24時間の動きや流れはある程度把握できます。
数人の設計者が訪問したと書きましたが、通常の設計前の既存建物視察では、意匠担当の設計者のみが参加するケースも多く、その場合、設備設計担当者はもっと設計が進んだ段階で機械室周りや外部の設備スペースなどを見せていただくこととなります。しかし、障がい児が生活する空間づくりにおいては、照明やエアコン、換気、水回り、医療用ガスなどの設備は生活する上でとても大切な要素ですから、泊まり込み体験には設備設計の担当者も参加しました。このことは設計者側のチームの結束を図る上でも、とても有効でした。
私たち日建設計では、新しいプロジェクトが立ち上がると、そのプロジェクトに最適なメンバーを選定します。意匠設計、構造設計、電気設備設計、空調衛生設備設計担当、そしてその他にも外構設計担当、コスト担当や工事監理担当など、多くの部門のメンバーが担当することとなります。プロジェクトごとに新たなチーム編成がなされるので、同じ会社内とはいえ、チーム内の役割分担やメンバー間のチームワークを向上させることがプロジェクトの初期段階では重要なポイントです。
あるプロジェクトでは、発注者である行政の営繕担当の方からもこの泊まり込み体験へ参加されたいとのご要望をいただき、一緒に体験にたこともありました。そのとき日中、他の業務で現場を一時離れられ、戻ってこられた際に設計メンバーへ栄養ドリンクの差し入れていただき、感激したことが忘れられません。


「設計事務所の担当者」ではなく、「〇〇さん」と呼んでもらえる関係づくり
このように泊まり込み体験を行うことで、利用者・スタッフの皆さんの日々の生活の全体像をある程度把握することができるのですが、このプロセスはそれ以上のメリットが大きく3つありました。
まず一つ目ですが、一般的な設計プロセスの場合、クライアントとの初回顔合わせで、まずは名刺で挨拶を行い、そして具体的な設計検討を行い、打ち合わせの回数を重ねていく中でクライアントの担当者と徐々に打ち解けていきます。最初は「設計事務所の担当者」であったクライアントの意識が、徐々に肩書き抜きの「〇〇さん」と認識してもらえる関係に変わっていきます。つまり最初はクライアントも設計者も「この人はどんな人だろう?」と双方探り合いの状況から設計がスタートします。
一方、泊まり込み体験後に最初の設計打ち合わせを行う場合、そこでの最初の会話は、「〇〇さん、この前はお疲れ様でした。かなり疲れたんじゃないですか?」といった話題から始まること。そのため、「日建設計の設計担当の氏名+肩書」ではなく、いきなり「〇〇さん」という間柄でプロジェクトをスタートできるのです。施主と設計者ではなく、個人対個人でのやりとりから始められ、名前や人柄も覚えていただけることは非常に大きく、私たちもスタッフの皆さんの人となりを把握した上で設計をスタートできることが以後の検討のやり取りをする上でとても助かりました。
もう一つのメリットは、信頼感を持って設計検討をスタートできるということです。これは後からスタッフの皆さんにお聞きした話ですが、泊まり込み体験を通じて、「この設計者たちは私たちスタッフの仕事の大変さや利用者の生活を全部見て、体験してくれて、わかってくれている」と感じられていたとのことでした。通常は2、3ヶ月のやり取りの中で築いていく信頼関係を、2泊3日で得られるのですから、この違いは歴然です。
3つ目のメリットは、設計がある程度進んで空間を形作る過程にあります。「ここは○○くんが一人で籠って落ち着けるスペースにしよう」「△△くんがごろごろできて、摺り這いで移動できるような小上がりスペースを設けよう」「□□さんがみんながくつろいでいるところからちょっと離れて、学校の勉強に集中できるスペースを作ろう」「スタッフの◇◇さんの作業スペースをここに設けると、見守りながら作業ができるのではないか?」というように、利用者・スタッフの皆さん一人ひとりの顔を思い浮かべながら設計することができたのです。

(京都府立舞鶴こども療育センター)

(京都府立舞鶴こども療育センター)
常に素人であるという状況からスタートする
泊まり込み体験は非常にハードなものでしたから、これまでのプロジェクトで何度か体験していくと、新たなプロジェクトを手掛けることになった際に、「既に体験しているので今回はやらなくても大丈夫か。。。」と思うことも何度もありました。若い頃は何とかなったものが、歳を取るにつれて、だんだん体がついていかないと感じることも多々ありました。
しかし気力と体力を振り絞って泊まり込み体験を続けていくことで、前に手掛けたプロジェクトとは異なる生活状況や運営のやり方、その建物ならではのスタッフの考え方や思い、こだわりなどを発見することができ、それを空間へ反映することができたのです。
同じ用途の建物を何度も設計していると、経験を積むにつれて計画上のポイントや欠くことのできない視点などが蓄積され、だんだん効率的にプロジェクトを進めることができるようになっていきます。その分の空いた分の時間を、より深い検討に充てることができるというメリットがある一方で、前例にとらわれて新たな視点での提案が出にくくなるリスクもあります。
したがって、新たなプロジェクトを手掛ける際には、私たちは常に素人であるという白紙の状況にリセットして、前例にとらわれない姿勢で取り組むべしというように考えるようになりました。このような思いにさせてくれたのは、利用者・スタッフの皆さん、一人ひとりの存在であり、それは唯一無二、一期一会であるという実感からでした。
人とのつながりを感じながら設計する
前回でご紹介した「参加型設計」や今回の「泊まり込み体験」をこれまでのプロジェクトで実践してきて思うのは、障がい児やスタッフ、事務局、設計者など、多くの関係する人たちとの濃密なつながりを感じながら設計プロセスを共有でき、初期段階から強い信頼関係を構築できて進めていけたという手ごたえでした。
障がい児の日常生活のための空間をみんなで考えるという、同じ目標に向かって心を一つにするというプロセスが、そのプロジェクトでしか実現できない唯一無二の空間づくりにつながりました。
利用者・スタッフの皆さん個人の顔を思い浮かべながら設計することの喜びは、何物にも代えがたいものです。そのことがプロジェクトをより強固なものにできると信じています。

(熊本県立熊本かがやきの森支援学校)

(熊本県立熊本かがやきの森支援学校)
次の第4回は、障がい児の生活運営のプロであるスタッフの皆さんから「参加型設計」や「泊まり込み体験」を通して私たちが学んでいくプロセスから、逆に設計のプロである私たちが考えた建築空間をスタッフの皆さんと共有するための手法についてご紹介したいと思います。

中島 究(きわむ)
日建設計 設計監理部門 設計グループ
ダイレクター
30年超の設計活動を通じて、「熊本県立熊本かがやきの森支援学校」「こんごう福祉センター かつらぎ・にじょう」「北九州市立総合療育センター」などの障がい児者福祉施設や医療施設を手掛けるとともに、「京セラドーム大阪」「滋賀県立琵琶湖博物館」「中之島フェスティバルタワー(フェスティバルホール)」「ミクシィ本社」「須磨区役所・保育所」など、スポーツ施設、文化施設、オフィス、庁舎など、幅広い分野の設計実績を持ち、日本建築家協会優秀建築賞、BCS賞をはじめとする数多くの賞を受賞している。
2016年にはFCバルセロナのホームスタジアムである、カンプ・ノウ スタジアム国際コンペで優勝したチームを率い、スポーツエンターテイメント施設のエキスパートとして数々のプロジェクトに携わってきた。
一級建築士、日本建築家協会登録建築家、日本建築学会会員、認定ファシリティマネジャー、インテリアプランナー。
#私の仕事 #企業のnote #生活 #提案 #社会 #日建設計 #日建グループ #障がい #障害 #ケア #重症心身障害児 #インクルーシブデザイン #共生 #SDGs #京都府立舞鶴こども療育センター #びわこ学園 #熊本県立熊本かがやきの森支援学校
<クレジット>
写真1~4 ZOOM 淺川敏