イラスト名建築ぶらり旅 with 宮沢洋&ヘリテージビジネスラボ⑳
世界遺産級? 村野藤吾の三毛猫工場
今回の行き先
日本製鉄九州製鉄所
なんという広大な敷地。今回訪れたのは、日本製鉄九州製鉄所だ。案内してくれた同社の松石長之さん(日本製鉄九州製鉄所八幡地区設備部土建技術課長)も、「いまだに敷地内で迷うことがある」と笑う。
異世界にも思える巨大な生産施設群に囲まれ、最初はなんだかアウェイに来た感じだったが、帰るときには「来てよかった!」と大満足で工場を後にした。ヘリテージ建築を考えるうえで、本当に得難い体験だった。
日本製鉄九州製鉄所八幡地区は官営八幡製鐵所以来の精神を引き継いでいる。1901年に操業を開始した官営八幡製鐵所は、日本の産業の近代化に大きく貢献し、北九州市の発展の礎を築いた。今でも当時の建物が残っており、2015年7月、長崎県の軍艦島(端島炭鉱)などとともに、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界文化遺産に登録された。
まずは戸畑エリアの“猫耳工場”へ
世界文化遺産の対象となったのは明治政府が創業期に建てた「官営八幡製鐵所旧本事務所」「同修繕工場」「同旧鍛冶工場」「同遠賀川水源地ポンプ室」の4施設だ。ポンプ室(福岡県中間市)以外の3施設は、発祥の地である北九州市の八幡エリアにある。
今回の取材で最初に訪れたのは、その八幡エリアではなく、車で10分ほど北東に行った戸畑エリアだ。そこには、筆者がどうしても見たかった「ロール加工工場」と「ロール鋳造工場」があるのだ。
設計したのは、前者が村野藤吾、後者は長谷部・竹腰建築事務所。いずれも戦時下の1941年に完成した施設で、80年以上たった今も現役だ。現在は両施設とも日本製鉄のグループ会社である日鉄ロ―ルズが所有している。
日鉄ロ―ルズの敷地に入ると、「ロール加工工場」の“猫耳”の形がチラリと見え、心拍数が急激に上がった。この工場は、建築好きの間では“猫耳工場”と呼ばれている。
製鉄所OBと建築史家が“発見”
筆者は、「米子市公会堂」の回で書いたように、建築家・村野藤吾の大ファンである。けれども、この“猫耳工場”が現存することは数年前まで知らなかった。いや、私だけでなく誰も知らなかった。これは近年になって“発見”された建築なのである。
どういうことか。村野は1891年、佐賀県満島村(現・唐津市)で生まれ、12歳ごろから福岡県八幡村(北九州市八幡東区)で育った。1910年に小倉工業学校(現小倉工業高校)機械科を卒業後、一時、八幡製鐵所に勤めた。1913年、早稲田大学理工学部電気工学科に入学するも、自分に向かないと考え、1915年、同大建築学科へ転学した。
1918年に渡辺節建築事務所に入所し、1929年に退所して村野建築事務所を開設。
太平洋戦争前の1937年に「渡辺翁記念会館」(現・重要文化財)を実現したが、戦中に実作を設計する機会はほとんどなかった。
そんな希少な村野の戦中建築を発見する手掛かりをつくったのは、『八幡製鉄所土木誌』をまとめた製鉄所OBの菅和彦さんだ。大正時代から終戦までの建物配置図を調べる中で、ロール加工工場(図面中に記載はロール切削工場)の設計者が「村野・東郷」と記されていることに気づいた。これが「村野藤吾」の誤記ではないかと考え、会社のOB会報で発表。朝日新聞の記者が、村野に詳しい建築史家の笠原一人さん(京都工芸繊維大学助教)にそのことを連絡した。笠原さんは、大学に寄贈されていた村野の図面を調べ、ロール加工工場の図面と一致することを確認。「新発見」として2017年1月9日の朝日新聞で発表された。
筆者はそんなドラマを知っていたので、外から“猫耳”を見ただけで心拍数が上がってしまったのだ。だが、本当にすごいのは工場の内部だった。
カテドラルのような荘厳さ
建物内に足を踏み入れて見上げると、心臓が口から飛び出しそうになる。なんという光の入り方……。まるでヨーロッパのカテドラル。
そうか、3匹の猫耳は、ハイサイドライトの列を繰り返すためのものだったのか。一部にはトップライトもある。両側の2匹の耳の高さを中央の1匹よりも低くすることで、斜め横方向からも光が入る。照明器具はあるが、自然光だけでもかなり明るい。「構造設計」が専門である本連載ガイド役の西澤崇雄さんも、「こんな大空間は初めて見ました」も目をキラキラさせている。
この独特の彩光方法が村野の自己満足でないことは、隣に立つロール鋳造工場と比較するとよく分かる。こちらは先に触れたように、同じ1941年に長谷部・竹腰建築事務所の設計で完成した。長谷部・竹腰建築事務所(1933~1944年)は現在の日建設計の前身となった会社である。
ロール鋳造工場は、村野のロール加工工場よりさらに大きいが、外から入る光の量は少ない。しかし、これは村野が設計で頑張ったという単純な話ではない。そこで行われる作業の目的が違うのだ。
製鉄所における「ロール」とは、鋼板の材料(スラブ)を薄く延ばすための金属の円柱のこと。ロール鋳造工場は、このロール自体を鋳造する工場なので、建物内が熱い。熱を逃がすための屋根のつくりが最優先される。対してロール加工工場は、ロールの表面を精緻に仕上げるために、建物内が明るくなければならない。目視での確認が重要だからだ。
中の機械設備は交換されているものの、いずれも80年以上前につくられた建屋が、今も使われ続けている。これは、当初の設計の読みが的確だったということ。村野にも、西澤さんの大先輩である長谷部・竹腰建築事務所にも、大拍手を送りたい。
転炉建屋や世界遺産の現役工場も
鉄鋼工場を見る機会は滅多にないので、いろいろお願いして工場内を案内してもらった。この日、見学した他の施設を足早に紹介する。
日鉄ロールズ内の2つの工場を見た後、戸畑エリア内を車で5分ほど北西に移動し、日本製鉄の製鋼工場と呼ばれる一角へ。ここでは、1959年に完成した転炉建屋を外から見た。
転炉建屋は日建設計が「日建設計工務」という社名だった時代に設計した施設で、工場の建屋は高さ72.7m。まだ日本に超高層のオフィスビル(高さ60m超)がない時代に、それに取り組む基本技術を養う格好の場となった。戦後の日建設計の礎になった建築の1つだ。
続いて、戸畑エリアから車で八幡エリアに移動。「官営八幡製鐵所旧本事務所」と「同修繕工場」、「同旧鍛冶工場」を見学した。旧本事務所は中央にドームを有する、優雅なレンガ造建築。2014年に耐震補強されて資料館となっている。
修繕工場と旧鍛冶工場は、それぞれ修繕の作業場、資料庫として、今も現役で使われている。築120年超で現役って、アンビリーバブル……。
我々はこれらを特別に見学させてもらったが、工場敷地内のため一般公開はされていない。旧本事務所の外観のみ、敷地に隣接する「官営八幡製鐵所旧本事務所眺望スペース」から眺めることができる。
「錆が目立ちやすい色に」
ところで、工場内の建物はなぜ建て替えることなく長く使われるのか。日本製鉄の松石課長とともに、工場内を案内してくれた奥村組日本製鉄総合事務所の蓑星裕治建築技術部長が、ヒントになりそうなことを教えてくれた。蓑星部長は日本製鉄の社員だった時代も含め、約30年にわたり、戸畑エリアの建屋のメンテナンスに関わっている。
敷地内を車で走っているとき、筆者は「新築の建物は水色の壁が多いですね」と蓑星部長に尋ねた。すると、蓑星部長がこう答えた。「我々の大先輩たちがある時期に、建物の外壁は水色にしようと決めたんです。水色は錆(さび)が目立ちやすくていいということで」。
なんと! 「錆が目立ちにくくていい」ではなく、「錆が目立ちやすくていい」なのである。
水色塗装は錆が発生すると目につきやすい。色が変わってくると、そろそろ手を入れる時期だということが工場内の人々に共有される。つまり、築80年、築100年と言っても、建物が元のまま残っているわけではなく、外壁をこまめに塗り直したり貼り替えたりしているから建物が長く持つのである。
外壁だけではなかった。イラストを描くために、グーグルアースで工場内を見ていて、ロール加工工場とロール鋳造工場の屋根に感動した。
まるでパッチワークの布を張ったよう。ロール加工工場は耳が猫なので“三毛猫”に例えるべきか。この模様は80年間の修繕の記録であり、こうした地道な努力によって建物が生き続けているのだ。設計者だけでなく、施設管理を受け継いできた工場の方々にも大拍手を送りたい。
■建築概要
官営八幡製鐵所旧本事務所(世界文化遺産)
所在地:北九州市八幡東区東田 日本製鉄九州製鉄所内
完成:1899年
設計者:不詳
官営八幡製鐵所修繕工場(世界文化遺産)
所在地:北九州市八幡東区東田 日本製鉄九州製鉄所内
完成:1900年
設計者:GHH.社
官営八幡製鐵所旧鍛冶工場(世界文化遺産)
所在地:北九州市八幡東区東田 日本製鉄九州製鉄所内
完成:1900年(1917年に現在地に移設)
設計者:不詳
日鉄ロールズ ロール加工工場(ロール旋削工場)
所在地:福岡県北九州市戸畑区大字中原46-59
完成:1941年
設計者:村野藤吾
日鉄ロールズ ロール鋳造工場
所在地:福岡県北九州市戸畑区大字中原46-59
完成:1941年
設計者:長谷部竹腰事務所
日本製鉄九州製鉄所 転炉建屋
所在地:福岡県北九州市戸畑区飛幡町 日本製鉄九州製鉄所内
完成:1959年
設計者:日建設計工務
■利用案内
工場内の見学は不可。
「官営八幡製鐵所旧本事務所眺望スペース」は下記。
所在地:北九州市八幡東区東田5丁目
アクセス:鹿児島本線「スペースワールド駅」から徒歩10分
取材・イラスト・文:宮沢洋(みやざわひろし)
画文家、編集者、BUNGA NET編集長
1967年東京生まれ。1990年早稲田大学政治経済学部卒業、日経BP社入社。建築専門誌「日経アーキテクチュア」編集部に配属。2016~19年、日経アーキテクチュア編集長。2020年4月から磯達雄とOffice Bungaを共同主宰。著書に「隈研吾建築図鑑」、「誰も知らない日建設計」、「昭和モダン建築巡礼」※、「プレモダン建築巡礼」※、「絶品・日本の歴史建築」※(※は磯達雄との共著)など
西澤 崇雄
日建設計エンジニアリング部門 サスティナブルデザイングループ ヘリテージビジネスラボ
ダイレクター ファシリティコンサルタント/博士(工学)
1992年、名古屋大学修士課程を経て、日建設計入社。専門は構造設計、耐震工学。
担当した構造設計建物に、愛知県庁本庁舎の免震レトロフィット、愛知県警本部の免震レトロフィットなどがあり、現在工事中の京都市本庁舎整備では、新築と免震レトロフィットが一体的に整備される複雑な建物の設計を担当している。歴史的価値の高い建物の免震レトロフィットに多く携わった経験を活かし、構造設計の実務を担当しながら、2016年よりヘリテージビジネスのチームを率いて活動を行っている。