僕とあいつの奇妙な教員生活 第一話「居眠り」
「 あいつ 」のせいで、僕の教員人生はひっくり返ってしまった。
第一話「居眠り」
昨日の放課後、僕はよくわからないおっさんに出会った。
放課後の教室に音もなく現れたあいつは、「 自分は学校の精霊だ 」と名乗った。
何が精霊だ。今考えればおかしな話である。
「聞こえているぞ。全て」
あの時は、僕の好みの女性のタイプを当てられ、「お前は選ばれた」と告げられ、不覚にもこの平凡な僕の人生に「特別な何か」が起ころうとしていると、わくわくしてしまった。
でも、何が特別だ。
自分にしか見えない茶色のスーツのおっさんが、常に近くにいるだけじゃないか。何の得もない。
「だから聞こえている。 お前の心の声は。 ずいぶん特別だろう。 精霊が見守ってやってるんだぞ」
もう限界だ。この精霊とやらは、自分がどんな影響を僕に与えているのか全く分かっていないらしい。
「いやあなた。 常につかず離れずで近くにおっさんがいるのを考えてみて? そりゃあもう落ち着かないから。 教育委員会のお偉い方々が教室に入って来て品定めする時ぐらい落ち着かないよ。 どうしてもあんたの方を見ちゃって、子どもに『 きたろう先生、何見てんの? 』って言われて、さっき飛び上がったばっかりだわ」
「それならそう言え。 まぁ、お前の様子を見ているのは事実だ。 T2だと思えばいいだろう。 適当に机間巡視しといてやろうか?」
どうやらこの精霊は、かなり色濃く「教師」の人格が反映されているらしい。
話の節々に教師感がにじみ出てくる。
「きたろう先生! おはようございまーす!」
廊下ですれ違った低学年の子どもたちが、元気にあいさつをしてくれる。
とても気持ちがいい。あいさつとはこうあるべきだよなぁ。
「おはよ~」とにこやかに挨拶を返した。
後ろを見ると、通り過ぎていく子ども達を微笑みながら見送るおっさんがいる。
おそらく、悪いやつではないのだろう。
「はぁ……」
「なんだ。 もう疲れているのか。 今日は始まったばかりだというのに」
「うるさいなあ…… いろいろあんの!」
「ん? 新橋先生なんか言った?」
少し先を歩いていた同僚の田辺先生が振り返る。
「い……いやぁ! なんでもないです! 独り言ですよ、ヒトリゴト……」
すぐさま職員トイレに駆け込む。
遅れてドアをすり抜けて腕を組んだおっさんが入ってくる。
「トイレの個室までは入ってくるなよ! あと、人がいるところでは姿を出さないでくれる? 話しかけないでくれる? もうただの変人だと思われる!」
「お前が答えなければいいだけだろ」と平然と返してくるおっさん。
「無理だから! 反射で動いているから! 心の声で話す訓練受けてないから! 頼むからマジで見えなくなって?」
「ちっ……しょうもないやつだな」
すると、おっさんの姿は煙のようにトイレに溶けていった。
「……よし。 これで一安心……」
朝の放送が聞こえる。放送委員会の子たちがテンションの上がらない声で、朝の準備を呼びかけている。
「はやく済まさないと、朝の会遅れるぞ」
おっさんの声がトイレに響く。
「まだいるの!? 精霊なんだから学校のパトロールでもしてたら?」
「姿は消したが、近くにはいる。トイレの個室に入るつもりはないが。心の声は聞こえるだろう」
「はぁ……まぁ……いいよ、それで」
飼い主とどうしても一緒にいたいプードルのような性格のおっさんに、僕はもうあきらめがついた。
二時間目の算数の時だった。
始まったばかりなのに、あきらかに居眠りをしている男の子がいる。
彼の名前は、本田さん。
周りの友達がクスクス笑ったり、後ろからつついたりするのもかまわず、ヘッドバンギングをかまして眠気をエンジョイしている。
しまいにはかけている眼鏡をとり、姿勢を正して瞑想をする修行僧のように本格的に寝始めた。
さすがに僕もイライラしてきた。頭にぐわっと血が上ってくるのがわかる。
「おーい。 おい。 本田さん。 本田さん! 起きてる!?」
「……っ……起きてます……」
彼は、何事もなかったかのように目をうすぼんやり開けて教科書を開き始めた。
僕は「問題読んで」と、きっと分かるはずもないと思いながら指示を出す。
「……すいません……どこを読めばいいですか……?」と予想通りの言葉が返ってきた。
「なんで分からないの? 話聞いてた?」と間髪入れずに詰め寄る。
「……聞いてませんでした……」
周りは静まり返っている。
「きちんと、話を、聞きなさい。学校来たんなら、もう起きる! いい!?」と周りにも聞こえる声でしっかりと叱った。
「はい……すいません…… どこの問題ですか……?」と聞く彼に、僕は「もういい。近くの人に聞きな」と突っぱねた。
その後も彼は、何度もヘッドバンギングを繰り返し、僕をイライラさせたが、それ以上は僕も突っ込まなかった。
教室後ろの黒板から、妙な視線を感じたけれど、僕は何も悪いことはしていないと心の中でアピールしておいた。
放課後、同僚の田辺先生と「居眠り本田」について話していた。
「いや授業中に寝るとか、マジあり得ないですよね。めっちゃイライラしましたもん! カーッとなりました! みんなの前でしっかりと言ってやりましたよ」
「あるある。図太いよねぇー」
田辺先生は、5年生の担任している50そこそこのベテランの先生だ。
僕が言うことには何でも共感してくれる。
話していてとても心地いい。
ストレス発散という具合に気持ちよく話していると、朝と同じ妙な視線を感じた。
その原因は分かっている。
「上で仕事してきまーす」
その視線に静かに促されるように僕は席を立った。
「新橋先生は教室が好きだねー、遅くなったら先帰っとくよー」
「はーい」と適当に返事を返し、携帯をもってそそくさと職員室を出る。
教室に上がると、あいつがいかにも何か言いたげに僕の教師用机にすわっている。
「そこ、僕の席ですけど。 丸付けするんでどいてもらえます?」
「喜多朗」
その声は朝とは全く違う雰囲気をまとっていて、僕は思わず背筋が伸びた。
「すわれ」
まただ。体が勝手に動いて、一番前の席にすわる。面接にきた就活生スタイル。
「なんだよ。 僕なんかした!?」半分心当たりがありながらも、一応聞いてみた。
「分かっているだろう」
おっさんは当然のようにいう。
「居眠りの彼だ」
やはりかと思ったが、あの対応のどこが悪かったのかと疑問に思った。
「で……? 何が言いたいの?」
思春期の少年みたいに僕は聞き返した。
「いろいろ言いたいことはある。 が、とりあえずお前の感情についてだ」と予想の斜め上の話題が出てさすがに戸惑う。
感情? 何言ってるんだ? このおっさんは。
「お前。 あのとき、イライラしただろう」
「あ、あぁ……! もちろんイライラした!」
「イライラするってどういうことだと思う?」と、おっさんはさも当然のようにきいた。
イライラについて考えろ? 一体、僕は何を考えさせられているんだ? この面接には、何の意味があるんだ?
いろいろな思いが頭の中を走り回っていたが、とりあえず考えてみることにした。
……といっても、何も出てこない。
「……ぜんぜん分からない。 僕、頭悪いから」
「だろうな」
だろうなってなんだよ! と、その言葉にイラっとして、少しズキっとしたのはもちろんおっさんに伝わったようだ。
「今お前が、俺の『だろうな』でイラついたのは、俺が『そうでもないぞ?』って言ってくれることに期待していたからだ。 そうならなかったから、お前はイラっとしたんだ。 つまり、お前は俺に『期待』をしていた。その期待こそがイライラを生み出した元凶だ」
「期待なんか……してねぇし!」
苦し紛れに言ってみるが、心はまったく落ち着かない。
「お前は、今それを隠そうとした。 認めたくないんだ。それは当然のこと。なぜなら、それは『傷』だからだ。 だれにも触らせたくない、自分でも触りたくない、無意識の奥底に隠してしまった傷なんだよ。 ズキっと傷んで当然だ」
こっちの気持ちなんかお構いなしにおっさんは続ける。
「まず、お前は期待していた。 『僕は選ばれたんだから、きっと能力を評価してくれているんだろ? まぁいい大学は出てないけど、教員免許取ってるし、教師としては何とかやっていけてる。 この学校で一番下っ端だけど、物おじせずに意見も言える。 俺は頭悪くなんてないぞ』ってな」
雨のように降り注ぐコトバの槍が、ウィークポイントにグサグサと突き刺さる。だが、僕は倒れまいと必死に耐えた。
「そして、イラっときた。 加えて、傷ついたんだ。能力はあるぞ!って見栄を張るのは、本当は自分に能力がないと感じているからだ。 それがお前の傷でもある。 心の底では、おまえが一番『僕は頭が悪い』に納得していたんだよ。 俺の言葉で、お前が勝手に同意して傷ついたんだ」
とどめの一撃は心臓を貫いた。思わずふらつきそうになる。
「イライラしたのは、期待したから……傷ついたのは、自分が一番その言葉に納得していたから……」
思えば確かにそうだ。同期で自分より活躍している人を見ると、なんだか嫌な気分になる。学歴の話になると、僕は話を逸らす。これはコンプレックスだったんだな……
「そうだ。 これは人類全員に言える。 ちょっと回り道をしたな。 話をもとに戻そう」
いや、回り道でもう傷だらけなんですけど!? もう瀕死に近いよ!?
「本当の話はここからだ。 お前は期待していた。 居眠り本田くんに。 いったい何を期待していた?」と平然と聞いてくるおっさん。
この人、ぜんぜんこっちの気持ちを読み取ろうとしないじゃない。
聞こえてるよね! この心の声!
「俺がお前を選んだのは、その傷に向き合える強さがあると思ったからだ。現にお前はさっきの話を受け入れた。 さぁ、考えろ」
おっさんは冷ややかで挑戦的な瞳で、僕を見下す。
「ほほう……見る目があるじゃないか……仕方ない。 乗ってやろう」
乗せられたことに気付かない僕ではないが、気分は悪くなかったので、気を取り直して考えることにした。
我ながら切り替えが早くて素晴らしい。
「何を期待していた……? って、難しくないか?」
「では、頭の悪い喜多朗君にヒントを出そう。」
ため息交じりに話すおっさんにまたイラっとする。
これも期待しているのか?
「期待を具体的に言い換えると、『こうなるもんでしょ』『こうするもんでしょ』『こうなるべきでしょ』と決めつけていることだ。 いわゆる『正しさ』だよ。 今回、お前は本田君にどんな正しさを当てはめていた?」
おっさんは足を組み替えながら、どこぞのCEOかのように余裕たっぷりに聞いてくる。
「正しさかぁ……。 授業中に、居眠りをしてはいけない? とか?」
「そうだ。 もっと出してみろ。 お前はイラっとしたよな。 なぜだ」
問いかけるその瞳は、どこか遠くをまっすぐ見ている。
「僕の授業を寝ていたから……? 話を聴いていなかったから……? ……話はちゃんと聞くもんでしょ! 先生の話だよ!? 担任の先生の! 授業中に寝るとか、失礼でしょ! 思い出したらまたイライラしてきた!」
ふつふつとよみがえってくるあの時の感情に支配され、頭が熱くなっていくのがわかる。
「そうだ。 そこだよ喜太郎。お前は本来大切にされるべきだと思っている担任の先生、そのお言葉をないがしろにされて、傷ついたんだ。 だからイラっとしたんだ。 お前は「担任である僕は大切にされるべきでしょ」って期待してたんだ」
その瞳は、僕を見据えた。力のある、でも穏やかな声だった。
「う……」
どストレートに槍がまた僕の心臓を貫いた。
そんなことはお構いなしに続けるおっさん。
こいつに人の心はあるのか? いや、そもそも人ですらなかった……
「ほかにも、目上の人の言うことは聞くべき。 それが礼儀だ。なんて正しさもイライラした原因だ」
僕の気持ちに気づいたのか、おっさんは逃げ道を用意してくれた。
「そ、そっちの方が原因かな……!?」
おっさんが言っていることは多分、正しい。
けどなんだか納得いかないって思いたい自分がいる。
でないと……ほんとに、みじめな気分……
ちっさ……僕の心ちっさ……
「そうだ。 砂粒並みに小さいな」
声の端に小ばかにした笑いが漏れている。
そこまで言わなくてもいいじゃない……
おっさんは、傷つく僕をよそに話を続ける。
「期待、正しさ。 それらが怒りを引き起こす。 それは理解したか?」
「はい……。 理解しました……」
もう認めるしかない。僕は砂粒マインドだと。
「今回言いたいことはもう一つある」
「ええぇぇ! まだあるんすかー……!」
「お前は、『なぜ』本田君が居眠りをしていたのかを考えたのか」
どこか遠くを見ていたその瞳が、また僕に向けられた。
「なぜ? いや、そんなこと考えるまでもなく居眠りはダメでしょうよ!」
「はぁー……」
あからさまなため息には失望の念が込められている。
こっちだってため息つきたいよ。ため息つかない僕って偉いよね?
「原因には結果があるだろう。 居眠りをしていた本田君には、そうならざるを得なかった原因がある。 お前はその背景を理解しようともせず、目の前の行為という結果のみを見て、彼を評価したんだ」
おっさんの声は低く、そこには苛立ちがにじんでいた。
それは、確かにそうだ。僕は何も考えなかった。
自分の自尊心を傷つけられたことに腹を立てた僕は、本田さんの背景なんか考える余地もなかった。というか、他人の行動の背景を考えるなんて、僕は今までしてきたのだろうか。
「イライラに支配されていたのは分かったよ。 でも、それと居眠りがいいか悪いかは別じゃない?」
「そうだな。 常識的に考えれば、授業中の居眠りは悪いことだろう」
「何その『常識的に。』ってやつ……。 ちがう場合があるとでも?」
「ふっ……」
小ばかにするような笑いを口の端から漏らしながらおっさんは続けた。
「常識ってのは、『大多数の当たり前』だ。 非常識って言葉は、お前はその大多数から外れている小数派だぞって指摘する言葉だ」
言われてみれば、確かにそうだ。
非常識って言葉を使えば、自分たちが大多数で、お前は残りの数%のマイノリティだって言ってるようなものだ。
「しかもその常識とやらは、時代や場所、人種、様々な要因で違ってくる。お前の常識は他人の非常識ってことも多々あるものだ」
確かに僕が普段使う方言が、東京の人に全く通用しなかったことはある。
「で、それが何の関係があるの」
「そこまで関係はない。ただ知っておけ。教師を名乗るならな。 常識を振りかざして、あてはまらないものを切り捨てる人間にはなるな」
相変わらず偉そうに言う。でも、もっともなことを言ってる。
その言葉には妙に、力がある。
「それで、彼の背景とやらは?」
僕から話を戻してやることにした。
「そうだな。 お前は想像できるか。 彼の人生を」
あまりに壮大な質問に僕は笑いそうになった。
「大きすぎるって! そんなの分かるわけないじゃん!」
「そうだ。 分かるわけないんだ」
おっさんはさも当然のように言った。
おっさんならもっとましな答えが返ってきそうだけど。
「彼の父親がリストラされて、家計が苦しくなって、母が家で内職をしているのを気遣って、夜遅くまで手伝っていたなんて。 分かるわけがないんだよ」
おっさんの言葉に、一瞬時が止まった。
「は?……」
僕は言葉を失った。
冷たい水を顔にぶちまけられた気分だった。
心臓の鼓動が大きくなる。
一気に後悔の念が押し寄せた。
「それ…… 本当のことなの?」
思わず握り締めた手には汗がにじんでいる。
「…………うそかもな」とおっさんは、背もたれに深くもたれながら言った。
「なんやそれぇい!!」
ここは鋭いツッコミを入れさせてもらう。
一気に肩の力が抜ける。今日一の大声がだったと思う。
僕は大きなため息をついた。
おっさんは、もちろんその気持ちの正体を見逃さなかった。
「お前今、後悔したな。 なんてことを言ったんだと。 なんて態度をとったのかと。 彼の苦労も知らずにって」
名推理でついに犯人のしっぽをつかんだかのように、得意げにおっさんは言った。
こいつに嘘はつけない。
「……あぁ、そうだよ。 寝覚めが悪いじゃんか……。 こいつは何もわかってない。 って確実に思われただろうし」
「その通りだ。 彼はそう思った。 しかし、それも仕方ないと感じていた」
おっさんは、うなづきながら話す。
また言葉を失った僕の心を見透かしたのだろう。
聞きたかったことを話し始めた。
「本当かって? さぁ。どうだろうな。 彼に聞いてみればいい。 本当のことは話さないかもしれないがな」
こいつ、またはぐらかすつもりか!
「お前が同じ立場だったら、本当のことを話そうとするか? 自分のこと理解してくれようともしない、すぐ不機嫌になる、常識常識ばかり言って話を聴こうともしない。 そんな教師に」
おっさんの鋭い視線が僕に向けられる。
おっさんのその言葉に、まったく反論は浮かばなかった。
その通りだ。
今思い出せば、僕が小学校の頃にもそんな先生がいた。
いくら本当のことを話しても信じてくれなかった。
僕も絶対話なんか聞くもんかって、シャッターおろしていた。
あの先生と同じことをしていた? 僕が?
正直、かなりショッキングだった。
床から滲み出した後悔の念が足元からじわじわと体を蝕んでいく。
「喜多朗。他人の生きてきた背景なんて、分かるわけないんだ。 だから、その子が発する言葉が、本当のことを話しているかも定かではない。 俺たちは、想像しなくてはいけない。 なぜこうなったのかを。その子がどんな道を歩いてきたのかを。 その出来事は起こるべくして起こっている。 必ず背景があるんだよ」
おっさんは背もたれに預けていた上体を起こし、真剣な眼差しで言った
おっさんの言葉は、今までとは違って、なぜかすっと僕の中に入ってきた。
「少なくとも、自分がどんな人生を歩いてきたかを想像し、共感し、心配してくれる教師の言葉は信頼できる。 この人には本当のことを言おうかな、って思うものだ。 教育には、信頼関係が必要不可欠なんだよ。 それは……お前もよく知ってるだろ」
信頼できない大人には本当のことは話さない。僕自身がそうだった。
僕達は、教師である前に、信頼できる大人でなければいけないのか。
「それにさっき、内職の話を聴いて、お前は後悔したな?」
「うん……したよ?」
「それはお前の優しさからだ。 その子の背景を想像して『もしかしたら……』と考え、声をかけていたら。 それが杞憂だったとしても、お前は後悔していなかったはずだ。 後悔しない道を選ぶ。これは生きていく上で、とても重要なことだぞ」
おっさんはとても真剣な眼差しでこちらに話かけるが、僕は目を合わせることができず、下を向いた。
後悔か…… 確かに今、俺はすごく後悔している……
「相手のこと、心の中なんて、全てわかるわけじゃない。 だからこそ、そこにあるものを想像する。きっと何かがあったんだと考える。 そして行動する。別にそこに何かなくてもいいんだ。 でも、その背景に何かあった場合、それを知ってしまったら、お前は必ず後悔するよ」
握った自分の手を眺めながら下を向く僕に、おっさんは話し続ける。
「そうやって、子どもの言葉を聞き、想像し、配慮した声掛けをしていけば、お前は信頼される教師に一歩ずつ近づいていくだろう。 そうなりたいんじゃなかったのか?」
おっさんは、真剣に僕に問いかけている。
その言葉には優しさがあった。
僕は答えなければいけないだろう。
おっさんが言った彼の背景は、本当かどうかは定かではない。
でも確かに僕は、「居眠り」という行為しか見ていなかった。
自分の感情に振り回され、行為そのものしか見ることができなかった。
僕の理想とする大人の対応ではなかった。
正直、かなり反省している。
僕は素直にそのアドバイスを受け入れることにした。
「おっさんが言いたいことは分かった。 これからは、立ち止まって、その人の背景を考えてみるよ」
おっさんは軽くうなずき、満足したのか、霧のように教室に溶けていった。
もうだいぶ日も暮れて、窓の外には夕焼けが赤々と広がっている。
きっと、明日は晴れるんだろうなぁ。
次の日
案の定、居眠り本田はまたこっくりこっくりと眠気を楽しんでいる。
いや、楽しんでいないかもしれない。
彼の背景を想像すると、冷たくしてやろうなんて思いは、1ミリも浮かばなかった。
彼は、彼にしかわからないつらい人生を生きている途中なのかもしれない。
そうではないかもしれない。
いや、そんなことはどうでもいいのだ。
そんなことを考えていたら、僕の口から出てきた言葉は、昨日とは違った。
「本田さん……」と肩を軽く叩く。
「大丈夫か? 調子悪い?」
「あ……あぁ…… ちょっと疲れてて……」
「まぁ、無理はするなよ」
そんなことを言われると思っていなかったのか、本田さんは少しの間、ポカンとしていた。
誰かが教室の隅で、「ふっ……」と笑みを漏らした気がした。
もうここに、居眠りごときでイライラする僕はいない。
僕は、優しさに満たされた自分でいられることに、穏やかな心地良さを感じていた。
第一話 おわり
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