せっかく教材作ったのに「めんどくせぇ」と言われる 教育者のマインドセット改革 #7
どうすれば楽しみながら学べる?
苦手感を持たずに取り組める?
これならあの子も取り組めるかな……
そうやって試行錯誤を重ねて、教材研究をして準備をしたものを、「は?めんどくせぇ」と一蹴された。
こんなことが、よくあるのが学校です。
そんなとき、最強無敵のマインドセットならどうなるか。
教育者のマインドセット改革 #7
それではいきましょう!
せっかく教材作ったのに「めんどくせぇ」と言われたら
1、現状
6年生教室。担任と子ども達の関係はあまり上手くいっていない。
「教師は授業で魅せるんだ」という、言葉を信じて、教材研究に夜遅くまで時間をかけ準備をしている。
担任は、勉強に積極的に取り組もうとしない男子児童Cさんのことを考え、ワークシートの授業を考えて実施した。
すると、Cは、ワークシートを見るや否や「は?めんどくせぇ!やらんし」とプリントを放り投げる始末。
2、普通だったら
パターン① 落ち込む・傷つく
「ま、まぁ…… やってみよう?……」
あれだけ夜遅くまで残って、どうすれば活動に取り組めるか考えて、ワークシート作って、彼らのためにやっているのに、なんで?……
もう、やりたくない…… しんどい……
もうこんな教室に来たくない……
授業したくない……
パターン② 激昂する
「あんたらのために作ってんだよ! やりもせずにめんどくせぇとか言うな! 周りもそんなこと言われたら気分が落ちるんだよ!!」
3、最強無敵のマインドセットなら
「そうか、めんどくさいんだな」
「何がめんどくさいの? 詳しく教えてくれる?」
「先生は、君たちがどうにか授業を楽しめるように、苦手感を感じないようにと思って、今回ワークシートを作ったみたんだけど」
「でもさ、その努力の方向性が間違ってたら、どちらにとってもしんどいよな」
「実際、先生は頑張って作ったプリントを放り投げられてとても悲しい。せっかく自分がママのために作った朝ごはんの卵焼きを少し焦げてるからってママに捨てられる、みたいな気分だよ」
「だから教えて欲しい。先生の努力の方向性は間違ってるか? どうすればその『めんどくさい』を解決してあげられるだろうか。先生はみんなと一緒に楽しく学びたいんだよ」
「ワークシートが違うならやめよう。でもやってみなきゃ、経験しなきゃわからない。自分に合った方法を選ぶのもありだ。だから、教えてくれないか? 君たちの気持ちを」
4、関係するマインドセット
人はそれぞれにしか分からない地獄を生きている
自分を大切にする人が、他人を大切にできる
不完全でいい。不完全だからいい。
経験こそ全て
「めんどくさい」って言われ、なぜイライラしたり、悲しくなったりするのか。
それは自分の中にある正しさや、期待のせいだ。
これだけやったのだから、少しくらいいい反応があっても……という期待。
身を粉にして働いているのだから、その成果が上がるはず……という期待。
「面倒くさい」なんて言うもんじゃない! という正しさ。
勉強は有無を言わずにするものだ! という正しさ。
「めんどくさい」という言葉は、聞いた人全員が嫌な気持ちになるから、口に出すもんじゃない。という正しさ。などなど
「めんどくさい」という言葉自体に負のイメージが付与されていることがわかるだろう。
そう思い込まされてきたのだ。
もはや「めんどくさい」は誰かを傷つける悪口になった。
しかし、本当に悪い言葉かどうかというと、言葉自体に良いも悪いもない。ただ、そこには人間の思い込みがあるだけだ。
「面倒くさい」という気持ちは確かにある。
その気持ちを、思っていても、出してはいけない。
言いたくても我慢しなければならない。
その気持ちを否定し、遠ざけなければならない。
それが普通だ。そう教えられてきた。
相手のこと思って、そんなこと思ったとしても口には出してはいけないと。
しかし、心にたまった毒はいつしか自分を蝕んでいくだろう。
「めんどくさい時だってあるよなあ」
と言えるのは、そう思う自分自身の気持ちを肯定し、ありのままを受け入れているからだ。
めんどくさいといって挑戦すらしない。
そんな子どもを見て、まず最初に「やりたくないことも、やらなければいけないだろう」と否定する思考が浮かんでくるか、「挑戦したくない理由があるのだろう」とその背景に思考をめぐらせるかで、紡がれる言葉は180度変わる。
しかし、実際こちらも一生懸命やっているのに認められないし、結果が出なくてつらいのだ。
その気持ちを大切にすることが重要だ。「私はつらい」とそのままを伝えていい。教師だって、正解がないなかで子ども達に合わせて一生懸命にやっている、ということを伝えればいい。
うまくかみ合わず、どうしたらいいかなと迷っていることも伝えればいい。
教師だって、間違ったり、方向性を見失うこともあると言っていい。
人間はみんな不完全な生き物なのだから。
目指しているところは、自分が成果を上げ、頑張りが認められることか。
それとも、自分も子ども達も楽しく毎日を過ごし、いろいろな経験をしながら学んでいくことか。
後者であれば、自分だけが頑張らなくてもいい。
一緒につくりあげていけばいい。時には子どもに頼ったっていいのだ。
そうやって、自分たちの気持ちをつぶすのではなく、気持ちを汲み取り大切にしてくれる先生の言うことは、自然と心に染み入るのである。
そうして良好な人間関係が築かれていく。
自分の気持ちを分かってくれる、くみ取ってくれる。だからこそ、この人の言うことを信じようと、人は思うから。
その起点となるのはやはり、「めんどくさい」という自分を「そんなときもあるし、そうであっても私の価値は変わらない」と受け入れているかどうか。「どんな自分も受け入れていい」という自己受容感を持っているかどうかなのである。
自分に許していることを、相手にも許すことができるのだから。
5、まとめ
結局は「自分を大切にすること」が全ての起点になります。
どれだけ自分を許すことができるのか。それはとても難しいことだと感じる人もいるでしょう。
なぜなら、「どんな自分も受け入れるなんてありえない」と、小さい頃から教えられてきたからです。受け入れられなくて当たり前です。
しかしながら、もしあなたが自分を受け入れられなくて苦しんでいるとしたら、これは大きなチャンスです。
受け入れられなかったものが受け入れられるようになる。
それはきつい縛りから解き放たれることを意味します。
思い込みという縛りから自由になることで得られる幸福感は、縛られていたからこそ得られるものです。
今苦しんでいるからこそ、その問題を解決した先にしか味わえない幸せが待っています。
どんな自分も受け入れて、人間関係のストレスから解放されませんか。
ぜひ、ご一考ください。
この世に無駄なことなど何もありません。
不幸でさえも、幸せになるために必要なのです。
不幸の先にある幸せを、一緒に目指していきましょう。
教育者のマインドセット改革#7、これにて終了!
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