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自分で幸せをつかめる子を育てる
幸せな子ども達を育てたい。
なんてことを、初めから思っていたわけではないのだ。
私はただ、幸せになりたかった。
昔は、オリンピックの競泳で金メダルをとって、大金持ちになって、別荘を作って、山を買って遊園地にして、みんなと遊びたかった。
教職についたのは、私が " どれもそこそこ " な人間だったから。
それと人に何かを教えるのは好きだった。
小学校教師になり、仕事量の多さにびっくり。初日から目がまわる忙しさ。初任校の数年はいろいろな意味で大変だった。
ときどき聞こえてくる子どもや保護者からの「先生が担任で良かった」という言葉が唯一の救いだった。
4月になって新しい教室が始まることは、楽しみではなく、つらかった。
車で学区内を移動中、いつ停車して大声をはり上げなければいけないのか、子どもの姿を探していつもピリピリしていた。
しかも、いくら頑張っても給料はほぼ変わらない。
頑張った分だけ得をするのが好きな自分にとって、この仕事にやりがいはなかった。本当にこの仕事を続けていくのか。そう何度も思った。
そして失礼ながらも、本気で教師をしている人たちを冷めた目で見ていた。
そんな私が幸せ追求教師を名乗るなんて。
ただ幸せになりたかった。
最初はお金を稼ぐこと。そこから最新科学や心理学、精神世界に関する本を興味に沿って読み漁っていくうち、「本当の自分」を探すようになった。
そして、お金は私の本当の願いではなかったと悟った。
学んだことを学級経営に活かし、仮説の実証ができたとき、私は心から子ども達と共に喜んだ。帰りの車ではガッツポーズしていた。
子ども達がどんどんポジティブになり、言葉や行動が変わっていくのを見るのが心底楽しくなった。
本気で教育に携わっている人たちの気持ちが分かったのだ。
今、私はいきいきと教師をしている。
私の研究していることが、目の前の子どもだけでなく、社会の幸せにつながっていると確信した。
わくわくを追及し、人を幸せにできることが嬉しい。
人生をかけて取り組む価値があると信じている。
今の私なら、娘にも誇ることができる。
私が研究している幸せ追求教育は土台となるマインドセットを整えることがすべてだ。予算も時数も増やす必要はない。
幸せ追求教育が義務教育に普及していけばどんな子でも、自分で幸せをつかんでいくことができるだろう。
そのために私は今、研究・実践・発信を続けている。
いつか同志が現れることを信じて。