僕とあいつの奇妙な教員生活 第四話 「不登校」前編
夏休み明けから1ヶ月。
教室の一番後ろの席は、今日も主人が座るのを待っている。
第四話 「不登校」
「健康観察です。先生おねあ……いします」
ラミネートされた司会原稿を日直の本田さんはあくび混じりに読みあげたあと、原稿を教卓の収納棚にしまい、自分の席に戻った。
教室後ろで待機していた僕は入れ替わって教壇に立つ。
ペンを片手に、教卓の上に置かれた健康観察板を手に取りながら、教室を見回した。
今日も一人欠けている。
「健康観察するよ。えーっと…… 飯塚さん」
「はい。元気です」
「柿本さん」――
夏休みが明けて、1ヶ月。
健康観察板の出席番号一番の行は、1ヶ月間ひたすら斜線が引かれている。
つまり、欠席続きということだ。
欠席続きとは、聞こえが良く言っているだけで結局は「不登校」と呼ばれている。
出席番号1番。彼女の名前は、秋山咲良(あきやまさくら)。
一学期から、皆勤ということでもなく、一週間に一度は休んでいた彼女は、この1ヶ月の連続欠席をもって欠席数がトータル30日を超え、学校側も「不登校」と認定したわけだ。
健康観察のたびに「秋山さんは今日も来てないね、どうしたのかな」なんて言うのがどうにも白々しい感じがして、彼女が来なくなって三週目には、空席と見るや健康観察の時間に彼女の名前を呼ぶことはなくなっていた。
子ども達も、その暗黙の了解を受け入れているようである。
クラスで、彼女の話題が出ることはほとんどない。
給食当番のときに、ペアになった子が、「秋山、今日もいないし……」とつぶやくので、僕がそれ以上言う前に「先生が持つよ」と手伝いに入る。
それくらいだ。
しばらくすると、彼女のことを忘れてしまったかのように、みんなが振舞い始めた。
正直この状況をどうしたらいいのか、僕自身も分かっていないのだ。
初めは、家の近い子どもに、配付物を入れたファイルを渡して届けてもらっていた。
しかし、それがさずがに1週間、2週間と続くとなるとその子に申し訳なくなってきて、緊急性のないものは数日に一回、1週間に一回とお届け便の数が少なくなっているのも事実である。そうやってもう1か月経ってしまった。
僕はというと、学校の欠席連絡用アプリに届く「欠席:体調不良」という保護者からの連絡を、「体調が悪いのなら」と都合よく信じて待つくらいしかできていない。
電話連絡も、数日に一回。
その際に保護者がいつも口にするのは、本人曰く「体調が悪いから学校にいけない」ということだけだ。
電話越しに聞こえてくる保護者の「すいません」と謝る声はいかにも申し訳なさそうで、何かを隠しているようには聞こえない。学校側に憤っているという感じもない。
だから僕は何をしたらいいのかわからず、とりあえず今日の授業でしたことを書いた連絡帳と配付物を入れた封筒を、子どもづてに渡すだけだ。
職員室
いつも通りの週明けのけだるい朝の会を終え、1・2時間目の図工の道具の準備の指示を出した後、僕は職員室に戻った。
月曜日の1・2時間目が図工というのは非常にありがたい。
こちらも週明けのけだるさを引きずっているので、2時間分ゆっくりスタートできるというのは、心身共に助かる。
机上のパソコンを開き、出欠席確認アプリを起動する。
「秋山……、欠席ね」
腕を組み、背中を深く背もたれに預け、フスーと鼻で深いため息をもらしてパソコンの画面とにらめっこをしていたら、「新橋先生」とふいに低くするどい声が横から飛んできた。
「は……はい!」
跳ねるように姿勢を戻し、声の飛んできた方を向くと、数メートル先のデスクから平(たいら)教頭が座ったままこちらを見ていた。
「な、なんでしょう」と立ち上がって、僕はすぐさまデスクの前までかけ寄った。
平教頭は、太いゲジ眉に鋭い目つき、そして角刈りがトレードマークの中年教頭だ。一昔前のドラマに登場するついカッとなって手が出るタイプの刑事かのような威圧感がある。
その平教頭が眉間に皺を寄せ、机に両肘をつき、握った手を口元に当て深く考え込んでいるのだ。もうそれだけでインパクトが強い。
管理職がそろってその姿勢をとって神妙に話し合っているときの様子は、もはや警視庁の特別対策本部といっても過言ではない。
実際の中身は、見た目ほど怖くはなく、硬派ではあるがどちらかというとインテリで穏やかな人だ。
平教頭はパソコンの画面から視線をずらさず、低い声でつぶやいた。
「秋山さん。ずっと来てないねぇ……」
出欠席アプリを見ているのかと合点したのち、このあと何を聞かれるのかをくみ取った僕は言葉を慎重に選んだ。
「あ……、そうですね。ずっと体調不良みたいです。連絡は入れているんですが、保護者は申し訳なさそうに謝るばかりで……」
「新橋先生は、その理由は本当だと思う?」
平教頭は腕を組み、椅子の背に深くもたれ、鋭い視線をこちらによこした。その圧倒的尋問オーラに気圧されそうになる。
「他の理由があるとは思わない?」
その指摘に、僕は思わず言葉につまった。
考えなかったわけではない。面倒ごとにならないよう、考えないようにしていたのだ。
「え~っと……、わかりません。保護者が言った通りを信じていました……」とうつむき加減にセルフ懺悔をすると、平教頭は「いや説教しているわけではないんだ」と誤解を解くように片手をあげて軽く笑った。
その様子に僕はホッと胸をなでおろした。
「さすがにここまで休むとなると、気になるよな。不登校の理由も色々あるだろ。体調不良、寝不足、怠惰、家庭環境。それに……いじめもな」
『いじめ』という単語を発する平教頭の顔は完全に刑事のそれだった。
思わず僕も肝が冷える。無意識に僕は腕を胸の前で組み、考えるふりをした。
いじめ――。僕が避けていた、考えないようにしていたことだ。
「それに、あの事故もあるだろ。最後に来たのは1学期の終業式の日だな。頭に包帯巻いていた日だ。あれもあるんじゃないのか。頭の包帯をバカにされたとか」
「そう、ですね……」
そう言ったきり黙った僕にしびれを切らしたのか、「まぁ……」と平教頭が切り出した。
「とりあえず、家庭訪問してこようか」
出来ればせずに終わりたかったが、仕方ない。
僕は重々しい口調で了解した。
「わかりました。今日連絡して、行ってきます」
平教頭は「また教えて」と言って、背もたれから姿勢を戻し、またパソコンに向かった。
自分の机にもどった僕は、静かに長いため息をつきながらも、目の前の受話器を手に取り、ボタンを押した。
二学期になって、もう10回以上かけているため、電話番号は暗記している。
数回の呼び出し音のあと、「はい、秋山です」という女性の声が聞こえた。
「小学校の新橋です。お忙しい所すみません。今、よろしいですか?――」
さっそく放課後の家庭訪問の予約をつけ、未だしかめっ面の平教頭に報告する。
教頭はこちらをチラリと見て「うん」とうなずいただけだった。
放課後
帰りの会を終え、まばらに帰路につく子ども達。
放課後の遊びの約束が飛び交う。
プリント類を整理し、秋山さんへのたまった配付物をまとめて封筒に入れていたら、いつも配付物を届けてくれている椿原さんがどこぞのギャルのような気軽さで「今日は持っていかなくていいんですかー」と聞いてきた。
「あぁ、ありがと。今日は先生が行くからいいよ」と答えると、椿原さんは「え? 先生が?」とピタと動きを止めて、なんでと不思議そうな顔をしたが、「用事があってね」というと、「そうですかー」とまた気の抜けた返事をした。そして、先に教室を出た友達を追いかけ、高めにまとめたポニーテールをぶんぶんと揺らしながら「さよならー」と背中越しに言って教室を飛び出していった。
走り去った後に「そういえば、椿原さんに秋山さんの家の様子を聞いておけばよかったな」とふと思ったが、わざわざ追いかけて聞くのも怪しく思われるやもと思い、ふみとどまった。
腕時計を見ると、4時5分だった。
4時30分には秋山邸に赴く約束をとりつけていた。
荷物をまとめ終え、教室をあとにしようと入口横の窓のサッシのフックにかけられた鍵を手にした瞬間、いつものあの悪寒が背筋をかけあがってきた。
僕は鍵をとろうとした手を下ろし、ふぅと一息ついて振り返った。
茶色のスーツのおっさんが最後尾の席に座っていた。
前のめりに座り、両肘を机に置いて、拳に手を合わせるその様子は、朝の平教頭のまんまだった。
しかも座っているのは、よりによって秋山さんの席。
心なしか眉毛も太く見えてくる始末。
「今から家庭訪問ですけど。何か用ですかー」と椿原さんばりの軽さで聞いてみた。
「逆だろ。用があるのはそっちじゃないのか」
おっさんは、どこをみてるのかわからない視線をこちらに向けようともせず、当然のように言い放った。
そしてまたもや平教頭の動きをなぞるように、腕を組んで椅子の背もたれにもたれかかった。
まったく意地が悪いおっさんだ。実に腹立たしい。朝の様子をどこかから見ていたのだろう。要するに、秋山さんの話をしに現れたのだ。
まぁ内心、そろそろ出て来いよと思っていた僕の心もお見通しなのかもしれないが。
「で? 何が聞きたい」
おっさんはやたらと偉そうな顔をやっとこちらに向けた。
つけ髭かと思うくらいに整えられた鼻下の髭と、黒縁の眼鏡、軽くパーマのかかったショートヘアの相性が抜群なところがどうにも気に食わない。
茶色のスーツもどこで買ったのと聞きたくなるくらいクールだが、絶対に聞いてやるもんか。
「分かってるだろ。心が読めるんだから」
おっさんは、「素直じゃないなー」とため息をもらした後姿勢を戻したと思ったら頬杖をつき、「聞かれたことにしか答えない」と白目をむいた。
「ちっ…… その……秋山さんだよ。不登校の。おっさんなら分かるんじゃないの。原因とかさ。学校の精霊なんでしょ?」
僕の問いにおっさんはしばらく宙を見つめて、ふうむと考えていたが、こちらに視線だけを移し、おもむろに口を開いた。
「彼女が学校に来ない原因は……」
その様子を、僕は固唾をのんで見守る。
「わからん」
おっさんはけろりと言い放った。
拍子抜けする答えに僕が「わからんのかーい!」と声を張り上げ、遠巻きながら逆水平チョップをお見舞いしそうになるのを必死でおさえ「学校の精霊だろ! 分かるだろそれぐらい!」と攻め立てるが、おっさんに動じる様子は全く見られない。もはや鼻をほじりそうなほどの腹立たしいアホ面をしている。
「わからんよ。だって学校の外にいるもん」
平然とその無能ぶりをさらすおっさんにあきれ果て、特大のため息をついていると、おっさんが口を開いた。
「知って、どうするんだ」
その声は先ほどとはうって変わって深みがあった。気が付けば、おっさんの何もかも見透かしたような鋭い視線が僕を捉えていた。
「それは…… 対策とか、できるだろ」
「何を対策する? 今から家庭訪問だろ? 直接聞いて来いよ。まったく……そういうところだよ。チキンめ!」
「はぁ!? なんだよチキンって!」
「その言葉の通り、臆病者ってこった。他人の評価にびくびくして、いつも二の足踏んでるから、結局あとになってケツを拭くのが大変になるんだよ。最初からやっときゃよかった、ってな! もはやチキン新橋…… いや、チキン喜多朗…… いやチキタロウだ!」
呆れ腐ったと言わんばかりの表情で愚痴を吐く姿に、さすがにこちらも怒りがこみあげ盛大に反抗したいのだが、実際その指摘は的を得ていて返す言葉が出てこない。
おっさんは窓の外へ顔を向け、「ときに喜多朗よ」とつぶやいた。
僕が一言も答えたくないのは分かってるくせに、そんなことお構いなく聞いてくる。
これがこのおっさんのムカつくところだ。
「お前、不登校についてはどう思っているんだ」
この問いの感じは必ずと言っていいほど僕が劣勢に立たされるパターンだと気がついたが、どうせ脱線しても連れ戻される可能性が高いので抵抗するのはやめた。
とは言っても、ない頭をしぼって「心が読めるんじゃないのか……」と苦し紛れに答える僕に、おっさんは視線を戻し、にやりと笑って「言語化することに意味があるんだよ」とさも当然のように言い放ち、組んでいた足を組み替えた。
「不登校を、良いと思うか。悪いと思うか。の話だよ」
どう発言すれば自分がケガをしないのか、考えあぐねて言葉に詰まる僕に対して「大丈夫、どんな答えでも責めたりしない」と、おっさんは穏やかな微笑みを浮かべて言った。
どうもこのおっさんは、つい先ほどまで僕をなじっていたことなど気にも留めていないらしい。
僕は抵抗するのを諦めて、ため息まじりに質問に答えることにした。
「良いか悪いかで言ったら、悪いだろ。学校側からしても、親側からしても。まぁ子どもからすれば休めてラッキーって感じかな」
おっさんは「まぁ、そうだろうな」とつぶやいた。
「なんだよ。否定しないのかよ」
「いや、それが普通だ。学校側、教師側から見ればな。つまりお前は "普通の" 教師だってことさ」
「"普通" の何がいけないんだよ」
「いいんじゃないのか? 普通で。お前が普通を望むなら、それでいい。というか俺は普通を悪いなんて言ってない。お前が勝手に思っただけだ」
またこのパターンだ。言い合いになると結局僕が追い込まれる。完全に向こうが上手だ。
「学校に来ることが当たり前だからこそ、不登校なんて言葉ができて、登校しないことが悪いことだと扱われる。皆勤賞もその一つだろ。休まずに来ることが『良い』ことになれば、自然とそうではないことは『悪い』ことに分類されるもんだ。もちろん、毎日続けることは大変なのは重々承知している。何かしら理由があって登校できなくても、はたから見ればやれ怠惰だ、やれ病弱だと言われるだろう」
僕は入り口近くの机に腰掛け、少し考えた。たしかに、おっさんの言っていることはもっともかもしれない。
「親から見てもそうだ。なぜ保護者が『学校に行かせられなくてすいません』と謝ると思う? それは、行かせなければならないからだろ。法律で決まっている。親も縛られているよ。学校に行かせられない自分は立派な親ではないと、自分を責める方向へ落ちていく。周りに顔向けできなくなると思っている」
その言葉には、さも自分が経験してきたかのような強さがあった。
しかし、それはないだろう。あいつは学校の精霊だから。まぁ、あいつの言葉を信じるならの話だが。
やっぱ学校に来ない理由を知ってるでしょ、という僕のつぶやきには答えず、おっさんは話をつづけた。
「見せかけだけで判断することほど、軽率なことはない。見えるものだけがすべてと思っているやつは、科学で証明されたとされるこの世の1%の理を信じて、残りの99%を信じないのと変わらない。科学で証明されているものは、物事の一側面でしかないのにな。その裏にある膨大な情報を無視している。それは正常な判断と言えるか?」
「ええっと……不登校の話をしてますよね? 盛大な科学批判をしているように聞こえますが……」と恐る恐る聞いてみるとすぐさま深い落胆のため息とともに、「この例えはまだ早かったか」という落胆のつぶやきが返ってきて訳も分からずムッとした。
「つまりだ。 "普通は" 見えているものしか信じない。特別でいたいのなら、その裏にある膨大な情報を想像しろっつー話だ」
おっさんは腕を組んだまま、もう説明にうんざりだと言わんばかりの残念な表情をしている。
「あー、それならわかるかも。つまり、きちんと話を聞いて、中身まで理解して想像しろって話?」と軽くつぶやく僕に、おっさんは先ほどとは打って変わってあからさまに驚いた表情で「なんだ喜多朗、急にかしこくなったか」とこちらに視線を向けた。
「その顔はむかつくからやめろ。さっきの例えが悪かっただけだ。でもまぁ…… それもそうだな」
よいこらせと机に置いていた尻を上げ、立ち上がる。
「ま、話してくれるかは、また別の話だがな」
おっさんはにやりと笑った。
「せいぜい想像と共感をしてこい」
「結局は、そうしろってことだろ?」
「いや、しなさいなって言ってないだろ。お前は選べる。見た目でジャッジする普通の教師か、中身まで知った上で理解し、何が相手を形作っているのか想像しようとする普通じゃない教師か。お前はどちらの在り方も選べるんだよ。結局、どっちが好きかの話だなんだ」
適当にへいへい、と相づちを打って、僕は教室前に設置されている壁掛け時計を確認した。
「あれ……時間が…… おい、おっさん!」
教室の後ろに顔を向けると、すでに黒い霧が今にも消えていくところだった。
「なんでもありかよ…… 前のときは普通に時間経ってたのに……」
10分以上話していたように感じていたが、時計の針は先ほど確認した4時5分のままだった。
時間に遅れるなというおっさんの配慮だろうか。
しかし、時間が巻き戻るという現実では全くありえないことが起きているのに、いとも簡単に受け入れてしまっている自分がなんだか滑稽だった。
僕は今度こそ窓のサッシにかけられた鍵をとり、教室を施錠して職員室におりた。
「今から行ってきます」とあい変わらずパソコンとにらめっこしている平教頭に報告し、太く低い「気を付けて」の了承をただいたのち、僕は職員室を出た。
もう10月なのに、刺すような日差しだ。
肌に確実にダメージを与えているであろう太陽の熱線は、年々強くなっている気がする。
いったいいつまでこの暑さは続くのだろうか。
校舎が作った日陰を通り、そそくさと車に乗り込むと、車内に押し込められたあふれんばかりの熱気が体を包みこんだ。
急いで助手席後ろの後部座席の窓を開け、運転席のドアを何度も開閉しポンプの要領で換気をする。
車内の空気が外の空気となじんできたのを肌で感じ、エンジンをかけた。
エアコン全開で、学校を出発する。
秋山さんの家は、学校から車で5分程度の場所である。
秋山邸は自宅兼設計事務所であり、父親は一級建築士。母親はパートをしていて、秋山さん自身はは一人っ子だ。
だからこそ、不登校になったとしても、家にはいつもお父さんがいるから何とかなっていたのだろう。
お母さんは、パートを休んでいたのだろうか。
そんなことを考えながら運転していると、簡素な住宅街の中に秋山邸が見えてきた。
外壁にマットなグレーの吹き付け、ところどころ木目がのぞく和モダンな印象の平屋の前に、駐車スペースが3つ。そのうち2つはピンクの軽四と白の普通車で埋まっていた。
おそらく、両親のものだろう。
二人そろっていらっしゃるとなると、こちらも身構えてしまう。
やはり家庭訪問は、何度経験しても慣れない。
まずどう声掛けしようかとか、子どもが出てきたらなんて声をかけようかとか、どんなことから話すかとか、家の中までお邪魔するか玄関で話すかなど、考えるべきことが山程浮かんできて妙に緊張してしまう。
僕は、空いたスペースに駐車し、助手席に置いていた配付物が入った封筒をもって車を降りた。
改めて家の外観を眺めるが、さすがに一級建築士が建てた家である。庭の植栽までおしゃれだ。
駐車場横に備え付けられたゆるい石のスロープを通って一段上がった家の敷地にお邪魔する。そして本物かフェイクかわからない木目の玄関の前に立った。
一呼吸おき、僕はインターフォンのボタンを慎重に押した。
ピーンポーーン。
やけに長い呼び出し音のあと、家の中でくぐもった足音が聞こえ、家の中のどこかで止まると同時に「はい」と少し高めの女性の声がスピーカーから飛び出した。
僕は精一杯明るい声で「小学校の新橋ですー」と答えると、「ちょっとお待ちください」と言って女性の声は途絶えた。
家の中から足音が玄関に近づいてくるのが聞こえる。
僕は、ハンカチを出し、額ににじんだ汗をぬぐった。
ふいに「せいぜい共感と想像をしてこい」というおっさんの言葉が頭をよぎる。もう一度深く呼吸をした。
ガチャ、とドアノブをまわす音がして、玄関のドアが開いた。
後編へ続く