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昭和の時代、アル中の妻と私との会話

依存症とうつ病との重複障害について、「仏さまでは生きていけない」

昭和の時代、作家なだいなだはアルコール中毒(アルコール依存症)は「社会的人間としての病気」であると世に伝えた。そこで、昭和の時代の私とアル中(アルコール依存症)のおカアちゃん(妻)との会話から始めよう。疲れ果てたおカアちゃん曰く、「先生、うちの父ちゃんは、飲まんときは仏さまのごったとですよ! どげんかしてください。飲まんごとしてくださいよ」と。私、それに対して「仏さまじゃ、このせちがらい世の中生きていけんよ」と、いい加減な返答をするしかない。つまり、父ちゃんが(図表6)のような状態になったので疲れ果てたおカアちゃんは、父ちゃんを(図表7)のような仏さまにしたいのだ。でもこれでは大変、自殺か過労死かしかねない。要するに「ケ」で根を詰めれば、体が悲鳴をあげて心身症、心が反応したらうつ病とか適応障害等、あるいは「ハレ」の時には依存対象物で一息いれてと、体と心を一時的に守ろうとするが何時の間にやら「ケ」にも悪い影響を及ぼす、それを依存症と言う。根っこは一緒だ(図表8)。そして、そんなこんなでうつ病になったり、依存対象物に逃避したりと・・・(図表6)と(図表7)を行ったり来たりする。それが重複障害、結構多いんだよね。お見逃しなく・・・。

(図表6)
(図表7)
(図表8)

そこで、父ちゃんを仏さま(生き仏もだが、本当の仏さまにも)にならないで、社会的人間としてこの先、それなりに人生を過ごしてもらう術を身に付ける必要に迫られる。それが治療であり、回復支援なのだ。「絶対、ダメダメ」ではダメだよ~!
【「ハレ」、「ケ」とは:「非日常」と「日常」】 

治療と回復支援について

精神科医療における治療とは、生物学的アプローチ、社会的アプローチ、心理的アプローチと3つがある。生物学的なアプローチは概ね薬物療法である。ただ依存症に関しては、まずは質のいい睡眠を確保できる処方薬で十分だ。次に社会的アプローチだが、生活リズムの改善も含めて当初は療養空間や居場所の確保が大切だ。依存症当時者が求める療養空間、居場所については、彼らが体験談の中で次のように語っている。「・・・やはり、僕には居場所が必要なんですね。入院でもいいし、仲間たちと過ごす施設、NAのミーティングと色々利用させてもらって、〈・・・僕自身が居場所だと思えないとだめなんですね・・・〉と・・・また他の当事者は〈・・・自分の中にある自分の居場所を見つけたら楽になりました・・・〉とも・・・。つまり、我々医療従事者等が良かれと思って提供する居場所は、居場所として好ましくない場合があることを我々は心得ておくべきだ。時間はかかるが「説得より納得」が肝心である。そして、最後の心理的アプローチだが、そんな彼らが納得できる居場所で語り合われる体験談ということだろう。
西脇病院の場合は、四十数年前、病院施設の一室を断酒会の例会場として月1回提供、そして、夜間集会を週1回行うようになったのが始まりだ。それが今では、(図表9)のような治療メニューを当事者と家族に提供できるようになった。治療メニューへの参加は原則無料であることから、相談初期の家族と当事者にすこぶる好評である。(図表9)向かって左の面が病院主催の集団療法もどき、(図表9)右面が当事者グループに施設提供の集いである。このコロナ下でも〈マスク・換気の徹底〉続けている。

(図表9)

当初は、夜間集会と断酒会のみだった。近年は当院が施設を提供のミーティング等がこれだけ多くなり、それに加えて今では、それが地域全域への広がりをみせて多くのミーティングが、地域内でも開設されている。おかげで私が唯一主催する夜間集会(毎火曜日18時45分~20時)が斜陽産業になってしまった。外来通院の依存者に参加の声掛けをしても、「・・・地区のAAミーティングのチェアマンしてるんで・・・」、あるいは「家の近くにGAの会場がオープンしたんで・・・時間があったら夜間集会も参加します」と、やんわりと断られることが多い今日この頃・・・。それでいいのだと思っている。個々個人が自分自身の居場所を見つけてくれたら・・・。ただ、10数年前に始めた「女性の集い」(毎水曜日15時30分~16時30分)が成長産業だ。やはり女性が、女性の抱える様々な問題、課題を吐露できる場は、まだまだ限られているようだ。
依存症とは、プライドの病であり、自分の弱さを弱さとして認めきれない否認の病でもある。自分の弱音を吐露でき、自らに正直に向き合える場を見つけることが、治療、回復の第一歩だと確信している。いや、言うは易くだが、誰もが自分の弱さを中々吐露できないものである。そうそう、昭和のアル中の父ちゃんとおカアちゃんのこと、その後を話すのを忘れていた。ネット社会の中、そろそろ年賀状、暑中見舞いは失礼しようかとも考えている。だが、今年も長いことお付き合いが途絶えている昭和のアル中の方々から何枚か年賀状をいただいた。お元気なのだろう、飲酒しているか否かはどなたも書いてない。きっと〈・・・自分の中にある自分の居場所を見つけて・・・〉、悠々自適の老後かな!懐かしくもある!(図表10)

(図表10)


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