義理と人情
もう死語になってしまったのか⁈
義理と人情は誠心誠意や自己犠牲と代えることが出来ます。人間関係でやっぱり恩義を感じることは大切。いくら自分に利益が無くても一肌脱ごう!。
決してやくざチック⁈なところまでいかないまでも…。
最近は理性的で、感情に惑わされないことが良いように思われているようですが、なんと味気ない!と思うことがあります。自分中心は時としてエゴイスト。自分さえよければの気持ちでは人が離れていくのは当たり前。持ちつ持たれつという言葉が浮かびます。
自分が助けられた場面が人生では何度もあること。恩義を感じてとる行動はいつしか自分に帰ってくるものです。
義理と人情というと任侠映画の世界と思われがちですが、普通?の社会にも存在します。自分の権利ばかり声高にすることが多くなってきている現代ですが、自分が毒を吐き過ぎて疲れたなら「寅さん」の映画を観るのもいいかもしれません。
私の小さなころ特に祖父は人間関係を重んじる人でした。自分にとっての損得ではなく相手のために行動することを良しとしていました。
時々訪れる人は「お爺さんにはとてもお世話になりました。おかげで今があります。」というようなことを祖母に話していました。亡くなった後もいろんな人が時折訪れて「そんなことがあったのですか!」と驚いていました。
度が過ぎるようなことを頼まれているのではないなら、協力してあげよう。また自身は助けてもらえるような人間であれということです。
結局 人に対しての思いやり。これが基本です。
一人一人をリスペクト!そこから自然と生まれる人情と義理が一緒になって初めて行動がとれるのでしょう。
しかし「お義理で」となると意味が違ってきます。
また祖父が人情の厚い人だと思ったことは、いくつかありますがその一つに高知県に旅行した時、闘犬の訓練所のようなところに行ったそうです。噛ませ犬という役割の犬がいて体中傷だらけ、けんか?の相手にもならない弱り方で、そろそろ処分。何ともたまらなくなった祖父はその犬を譲り受けて、お土産みたいに持って帰ってきました。
「大きなフジもいるのにどうするの!」と祖母はかんかんでしたが、友人が快く引き受けてくれてその土佐犬は助かりました。
子供心にも、「良かったあ~」と。それ以上に心がとっさに動く、祖父の熱さが好きでした。
お別れの時は家を何重もの参列の人が取り巻いて、祖父が人徳の高い人であったのがよくわかりました。
YES,NOをはっきり言うことも今の時代大切ですが、人のためにNOをYES
に変える度量の深さも持ち合わせたものです。
今日もいい日にしましょう!