何はともあれ
毎回今度のお休みにはカーテンを洗おうとか庭の掃除をしよう、とか冷蔵庫の中を整理しなくちゃ…。と、小さな用事がたくさんあって金曜日の夜は張り切っていますが、いざ土曜日の朝、天気がいいと「今日はゆっくり散歩が出来るよ」とニケを誘います。
不思議なもので、言葉が分かるとは思えないのですが、いつもと違うコースを歩いたりとニケも休日を楽しみます。
涼しくなったとはいえ、30分ほど歩くとやはり汗をかきます。
少々寄り道してもいいやーという気持ちでどんどん先を進みます。
時計も携帯も持ち歩かない散歩は心地よく時間を忘れさせてくれます。最近は追われる生活でもないのに、そう感じるのは自分の中で時間の枠を外れるのにまだまだ慣れていないからかもしれません。
それは昭和生まれの性⁈が少なからずあるかもしれません。
時間を守ることは厳しく両親に言われました。人として基本的に守らないといけないことの一つ。
その大きな壁、一度門限の夜の10時を19歳で破ったことがありました。もちろん雷が落ちました。両親の心配は想像以上のものでした。が、後悔はありませんでした。親に盾突くなんて!したことが無かったのに…。今の時代ならなんてことないことですが嫁入り前の娘が!と当時は不良になったかと決め付けられました。
私にとってはおとなへの一歩。大げさですがそう思えました。ついつい友達の悩みを聞いていて遅くなっただけ。今となっては親の気持ちもよくわかりますが、子供たちにはそれなりに遅くなる理由もある。
一応今日中には帰ってくるように息子たちには言いました。掟?を破ってもしないといけないこともあるものです。
こんなこと思い出していると早やお昼前。あれカーテンを取り外す機会を逃している。
ブランチを終えてゆっくりしていたら、冷蔵庫の整理はまた明日となり、庭に出てもメダカや金魚の泳ぐさまをいつまでも見ている。あー雑草を抜くのも面倒。それにまだまだお昼は暑い。熱中症になったら大変と。
結局土曜日はだらだらと過ごして。まだ一日あるという余裕で夕方からビール。
日曜日も同じように過ごして、以前ならなんと時間の無駄使い!と思ったものですが、今はそれが何よりの贅沢。何もないということ。モノも同じ。あることが窮屈と思えたら、すこしづつ処分して…。
すると気持ちに余裕が出てくるような気がします。
何はともあれお休みの日は何もしない。自分をニュートラルな状態にしたらまた元気な自分になれるような気がします。
時間の使い方は人それぞれ。休む時、一日がいい日だったと思ったら充実した使い方をしたとなるのでしょう。
今日もいい日にしましょう!
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