今夜何食べる?
毎日の献立を考えることは悩ましいことでした。
たまに給食とガチンコする時や、主人や義父がお昼食べたメニューと同じだったりと。
学校から1か月の献立メニューをもらっているにもかかわらず、買い物に出かける前のチェックを怠っての結果です。
今やそんな心配をすることもなく、食べたいものを食べる自由があるのですが、自分がなにを食べたいのか?浮かんでこない。
「お茶漬でいいわー」となります。
最近はおひとり様用の小分けした総菜もあり、家で作るより経済的という人も増えました。
コンビニのスイーツなどはありがたい。ケーキ屋さんなら1つというのも気兼ねして2つ3つと買ってしまって、結局同じ胃袋に入ることになります。
三宮の夕方五時ごろから地下街では買い物バギーを引いているプラチナ世代も気楽に一人で定食屋さんに入っています。テーブルにはビール!自由を満喫しているみたいで微笑ましいです。
そこでも隣に座ったよく似た年代の人と話をしたり、結構楽しんでいるようで、すぐに友達みたいになるのは大阪人と一緒。「アメを持っている大阪のおばちゃんに対抗?して私はチョコを持ってるの!」と笑って差し出しています。
朝はなじみの喫茶店でモーニング、お昼は近くの定食屋さん。夜は抜いてもいいくらいという友達もいて、家族のいる人が、献立に悩んでいる様子は、懐かしくもありもうその時代は卒業したんだという安堵感、そして少しの寂しさ?と言いたいところですが、それだけはそんなにありません。
それは家族のために食事は大切!と毎日頑張ったご褒美の今!
最近は家族みんなで作ったり交代でと主婦だけが台所で奮闘する時代ではなくなったようです。父たちは「男子たるもの厨房に入らず!」と教えられた年代です。テーブルに食器を並べることもなく、たまに、母が味見と言って差し出す豆皿。味が薄い、濃いと言うだけ。
もちろん食べ終わった後は母一人が台所で後かたずけ。それが当時の主婦の仕事の一つでした。
今や主夫もいて時間のある方が家事をする。合理的で、いい時代になりました。私の時代もまだまだ。たまに「今日はカレー?良い匂いがした」と言って台所へ覗きに来ることはありましたが、一緒に作るということはありませんでした。
たまに息子と夕食。「なにがいい?」「なんでもいい」「言ってくれた方が助かる。」ですが、最近は「リクエストしてもそれが出てこないから⁈やっぱり何でもいい!」と言います。
聞くだけ聞いておいて、おかしな話ですが、スーパーでほかに目移りして、全く違うものを作ってしまいます。ほんと!「それなら聞かないで!」ですよね。
こんなやり取りも少なくなってきましたが、季節を知らせる食材がスーパーに並ぶと台所に立ちたくなります。
一人分を作るのはなかなか量的に難しいですが、今日はキノコご飯。食べ過ぎに気を付けてとは最初の決意で、夕方にはほぼ忘れています。
今日もいい日にしましょう!気持ちのいい秋晴れです。