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真夏の夜、思うこと
どんなに忙しくて、やたら辛いことが続いて、たまにほくそ笑んで,なのにそれが期待通りにいかず…。
自分にとってなんて人生だ!と嘆いてもそれは長くて短い人生の一コマ。
宇宙から見れば瞬きほどのことかもしれません。
だんだんと残り時間が少なくなって、振り返った時なんだどれも大したことはなかったんだと思えるものだと思います。
他人はひとくくりで「幸せそう!」と言ったり「苦労したね。」と慰めたりしますがその感情にどれほどの実感が含まれているかは計り知れません。
自分の過去を語るとき、絶好調の時 のこと。人は少々盛って話すので果たしてそんなに?と。小説を読んだ時のような驚きもありますが、と同時に少しの誇張を許すものです。
真実の深い痛みや辛さは本人のみぞ知る世界で、人に話したとしても浮かばれるものではなく、又どんなに成功した話をしても思うほどの感動はしてもらえません。
その人の姿から垣間見える話の内容の律義さでその人に好感は持っても
自分に当てはめることはなく皆それぞれの人生という道を歩いているのだと思うのです。
そんな悠長なものではなかったと腹を立てても天から見れば砂漠の中をありんこほどに見える人がとぼとぼと歩いているような風景が見えます。
ナイアガラ瀑布から落ちていった!もうだめだと思っていたのに必死で藻掻いているうちに青い空を見ている自分が居たりとそれは波乱万丈と言うよりはいろんな風景を見ながらちょっと骨のある散歩をしたようなものです。
夢の中、春の桜並木を歩いているような、しとしと梅雨の空を見上げる時、知らぬ間にそれは蝉の声で目覚める真夏の空となり、暮れ行く秋の空には鳥が北に向かって飛んでいく。毎年の風景なのに何かが違っている。
人生を四季に例えるように自然という大きな器の中で生かされて、その世界をあてどもなく歩いて行く。自分の意思でと選んだのに果たしてそうであったのかと思うような仕事に就いたり、世界がちがうと思っていた人に魅せられたり、人生って本当に楽しいと思えるのです。
今はオリンピックの真っ最中。白熱した競技を観て、そこにたどり着くまでいろんな方向から集まりし選手たちの努力に感動しています。
どれほどの苦難を乗り越えてきたのか薄っぺらい感情で表すには重すぎる道を歩いてきた彼らに心からエールを送りたいと思います。
心を揺さぶられることが少なくなってきた昨今、久しぶりに寝不足のからだに心地いい風が吹いています。
今日もいい日にしましょう!