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今に感謝

土曜日は曇り空、山も静かです。暑い毎日が続いていたので、この湿った空気に柔いシャワーのような雨が心地いい朝になりました。

明け方に珍しく階下に降りたニケが庭に出ていくガザゴソという音を聞きながらまどろんで、今日はゆっくりしようと決めました。

こんなこと思えるようになって10年になります。

いつもかたずけないといけない仕事に追いかけられてあっという間に一週間が終わってしまう。あれあれもう一か月の速いこと。

今から思えばそんなに詰めてしなくても何とかなったことばかり、疲れた体は置いてけぼり。自分ではあえて力まずにと思っていても知らず知らずのうちに無理をしていたのでしょう。

 若かったからかもしれませんが、忙しくして、自分を騙していたのかもしれません。

その当時は不整脈、血圧は高く、たまに動悸。上から重ーいものが下りてくるような感じの時もあり、やたら不安になって病院に行くと、更年期障害とひとくくりにされました。

その時期辺りから健康診断は遠さ蹴るようになりました。今病気を見つけている場合じゃない!入院なんてしている場合じゃないとも思っていました。

誰にもわかってもらえない、仕事と家庭それと健康。何もかもがこんがらがって、顔で笑って心で泣いて。強がりな私はそんな心を見透かされるのが嫌で虚勢を張っていました。なにしろ子供たちが成人するまではの一心でした。

いつかはトンネルを抜けられる。その言葉を呪文みたいに自分に言い聞かせて、毎日過ごしていました。

しかしすでに悲鳴を上げていた身体が私を諭す手段の一つ。体はアナフィラキシーショックというかなりきついダメージで私に知らしめました。

その日は朝からなんとなく体の重さを感じていました。疲れがたまっているんだろうと軽い気持ちで支度をしているとき、鎖骨あたりにぽつぽつと汚いという表現がピッタリな湿疹が見えました。痒くもなく、いつも疲れると蕁麻疹が出来ていたので、市販の薬ですぐに治ると過信していました。

皮膚科があったことを思い出してまずはそこに行こうとするのですが、前に進めない。いつもは10分ぐらいのところが果てしない砂漠を歩いているようでした。病院までの道中は鉄の靴を履いているかのような重さでなかなか前に進めません。向こうから来る人の目が異様なものを見るようです。

やっと着いたころには声を出すのもやっとの状態です。医者は顔を見るなり横になるように促しました。どんどん体はこわばって全身動きません。

「車が来ましたよ」という看護師の声。「どこに連れて行かれるのだろう?」
体を起こそうにも動けず手伝ってもらい目を開けたとたんそこは山吹色一色の世界でした。目が見えない!

大きな病院に着いたのは分かりました。タンカーに乗せられたのも。何人もが周りで叫んでいました。血圧急低下、脈は薄く…。

静かに寝かされている私だけが静寂の中。意識は別人のようにはっきりしています。

喧騒の中 何とも気持ちがいい。いつの間にか大きなトンネルの前にいます。そこはゆっくりと渦を巻いた黒い闇でした。

なのに恐ろしさも、不安もない。「そうだ大きくカーブしたその陰から主人が迎えに来てくれるんだ。(柴の)アルも一緒かな?」待ちどおしい気持ちさえ湧いてきて…。

東京にいる息子のことも、大学生になったばかりの娘のことも、二代目の柴のアリスのことも両親のことも、そして仕事のこともひとまとめになぜかどっかに飛んでいました。

「なんて気持ちがいいんだろう!」ただそれだけの痛くもかゆくもない。表現できない居心地のよさでした。

しばらくして…。

「未だすることが残っている!」と天からのお叱りがあったのか先生の声掛けで、現実に戻りました。

そんな出来事が遠いところにあったことを思い出す朝になりました。

今悩んでいても、窮屈な毎日でもきっといい日がやってきます。トンネルの向こうにたどり着けます。生きているなら何とかなる!

そんな人にエールを送れる私になりました。

今朝は早くから雨。全く散歩に行く気のないニケも三歳から五歳まで続いた癲癇もすっかり治って、もうそんなこと忘れているようです。

 そんな時代もあったねといつか話せる日が来るわ~

私もニケも今の風に吹かれることにします。

今日もいい日にしましょう!






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